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「さようなら」と言わないで

「さようなら」という言葉が苦手だ。どうやら「さようなら」は「左様ならば」が語源らしい。この言葉を口にすると、もう2度と会えないような気がして、寂しい気持ちになる、もちろん言われるのも苦手だ。会いたい人とはまた会いたいから、決まって「またね」と言うように決めている。

誰かとお別れするあの瞬間が苦手だ。楽しい時間を一緒に過ごした事実を思い出すあの瞬間は好きだけれど、1人になってしまったという事実を受け入れるのが怖い。「またね」と言ったくせにもう2度と会わなくなった人がたくさんいる。あの約束はなんだったんだよと言いたくなるし、別れは一時的なものでタイミングが合えばまた会えると前向きになれる日だってある。その日の気分と相手を思う気持ちによって、変わるのかもしれない。

お別れは、いつだって相手の背中が小さくなるまで見送る。こちらを振り向いてくれないかな、なんて期待も添えて。相手が振り向いてくれたら嬉しいけれど、振り向かないからといって、その人を嫌いになるわけではない。

相手を見送るのは、お礼の気持ちもあるがけれど、本音はもう会えなくなるかもしれないことに寂しさを覚えているからだ。たとえその日が最後だったとしても「ちゃんとお見送りすれば良かった」と後悔したくない。自分を守りたい気持ちと、相手を思う気持ちが交錯しているような気がする。

友達と会った日の帰り道は、いつもセルフ反省会を開催する。あそこの話はもっと引っ張れたよなとか、相手の話のターン奪っちゃった?とか、絶対に話しすぎた、申し訳ないとかいつも反省点ばかりだ。うまく話せたと思った日はこれまでに1度もない。もう2度と会ってくれないという恐怖心が沸々と湧いてくるし、そんなものは取り越し苦労だと思う日がある。

翌日まで引きずることはないけれど、その日はずっと申し訳ないと思いながら、相手にお礼のメッセージを送るのが習慣だ。そのくせ何度も同じ過ちを繰り返してしまうため、どうしようもない。

「さようなら」という言葉は、もう2度と会わないと言われているような気がして、好きになれない。もしも2度と会えないとしても、また会いたい人には「またね」と伝える。そして、いつの日かどこかで会えますようにと、祈りながら、静かにそっと眠りにつく。

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