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「優しい人は損をする」は果たして本当なのだろうか

この世は優しい人で溢れている。少なくとも僕の周りにはたくさん優しい人がいる。あまりにも優しすぎて、損をしていないだろうかとしなくていい心配をずっとしてしまう。これは完全に余計なお世話だ。優しい人が報われる社会であってほしい。だが、現実は優しい人が損をする社会になっているような気がする。

相手の優しさに気づけない、もしくはその優しさが当たり前になっている人は感謝の気持ちを忘れがちだ。そこから生み出される無意識の見下し、傲慢な考えによって優しい人は損をしている。何かをしてあげたときに、頼んでいないと言われれば事実なのかもしれない。だが、相手を思ったその気持ちに対し、そして相手の行動を観察し、回りして相手を気遣った事実に感謝すべきだとは思う。

だが、どれだけ歩み寄りを重ねても決して相手は変えられない。相手を変えようとしても変えられないという事実に辟易とするだけだ。時間の無駄まではと言わないが、その事実を知った以上は自らを変えた方が効率もいい。

変わるべきは自分自身で、傷つかないために何をすべきかを考える必要がある。無意識の悪意からは身を遠ざけるべきだし、意識的な悪意なんてもってのほかだ。全ての身の振り方は自身が決められる。これがもしも事実なのだとすれば、損をすると分かって相手から離れないと決めているのは、他でもない自分自身なのだ。

優しい人は損をするではない。損をする人と付き合っているが正だ。優しさを優しさだと気づけない人のそばにいても優しさは報われない。どうして気づいてくれないと悲劇のヒロインになるのがオチだ。自身が報われたいのであれば、優しさに気づいてくれる人で周りを固めるべきだ。相手の優しさに気づけない人は一生気づけないままである。そこに消耗するのはもったいない。あなたの優しさを求めている人はたくさんいて、そして、その優しさに対して優しさで返してくれる人もいる。何が正しいかは分からないけれど、得たいものがあるのであれば、自身の身の振り方を顧みることがそれを手にするはじめの一歩なのだろう。

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