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選ばされたはずがずっと選んでいた

世間の目が気になって仕方ない。誰もお前のことなんか見ていないと何処かから声がした。それでもあいつは僕をどう思っているのかが気になる。見知らぬ人に勝手にジャッジされるたびに、失望させてしまう。その逆も然りだ。なぜこんなところにいるのだろうか。僕の居場所はここじゃないと思う日がよくある。自分で選んだはずの場所が、誰かに選ばされたような気がしてならない。

学歴なんて関係ないと人は言うが、まだ学歴至上主義は残っている。大手企業には学歴フィルターが存在していて、低学歴で遊び倒してばかりいた僕は書類選考で落とされ、面接にすら辿り着けなかった。就活は全敗。大きな夢を見過ぎたのもかもしれない。ただ相性が合わなかっただけとどれだけ慰められても、周りは大手企業から内定をもらっているし、お見送りメールを読むたびに、自分のなかの何かが欠落していった。

現在、日雇い派遣として働く僕は正社員にすらなれなかった。いろいろな企業に飛ばされて、自分の代わりなんていくらでもいると、身を知って思い知らされている。いわばロボットみたいなものだ。使われるだけ使われて、役に立たなくなったらポイ。世の中に代替不可の仕事などないと言い聞かせているが、色々な場所に飛ばされ続けるのはやっぱり心が痛い。

高校生の頃からずっと将来に漠然とした不安があった。その理由は家庭の事情で夢を諦めたことで、自分のいい将来を想像できなくなったためだ。夢を叶えたいのであれば、本気で叶える努力をすればいいのに、努力をしなかったのはそこまで本気ではなかった証拠。ひとつの物事にしか打ち込んでこなかった人が、すぐに前を向けるわけがない。世界は広いが、視野は狭くなる。人間なんてそんなものだ。夢に破れ、何がしたいのかがわからなくなった。

大学生が自分探しという理由でよく海外留学をしている。海外留学に行った人たちは世界が広がったよという浅い発言をするばかりで、肝心の自分は見つかっていない。海外留学後に行動が変わる人もいるが、そんなものは少数派。大半の人が留学前と変わらぬ暮らしをしている。海外には自分はいないという残酷な事実を突きつけられた反動だろうか。

いろんな人が「自分は自分のなかにしかいない」と言っている。もちろん逃避行は悪ではないし、逃げるが勝ちの場合もあるが、目の前の地獄を乗り越えるには、逃げずにきちんと向き合わなければならない。海外留学は無駄ではないと思うが、貴重な時間を使って、自分は見つかりませんでしたという浅い発言には心底ガッカリする。僕は友人から海外留学に行くという話を聞くたびに、怪訝な表情をしてしまうのだ。

高校、大学と、僕はずっと遊びとアルバイトに勤しんでいた。忙しいは何も考えなくてもいいから楽だ。向き合うべき自分からずっと逃げ続けてきた。忙しいは「心を亡くす」と書くが、まさにその通りである。悩みなんて大小に関わらず、忙しくすれば考えなくて済む。それが解決ではなく、ただの逃避行だという事実に気づかないふりをしたとしてもだ。逃げて逃げて、どうしようもなくなったところで、こんなはずじゃなかったと後悔する。すべて起こるべくして起きた出来事にも関わらずだ。

僕も自分探しをすると言って、海外留学に行く人と同じである。これは同族嫌悪かもしれない。将来について何も考えずに、学生時代を過ごしてきた。目の前の楽しそうに、ただ流され続けただけ。サークルに飲み会、アルバイトと、そこらへんにいる大学生と同じ道をずっと歩んできた。社会人になって自分のことは自分で考えなさいと突然言われても、考え方すらもわからない。

そもそもこの世界に社会人などいるのだろうか。僕は社会のために働きたいわけではなく、自分の生活を守るために働いている。明日から働かなくてもお金をもらえますと言われたら、すぐにでも仕事をやめて、適当にのんびり暮らす。

今日は日雇い派遣として、新しい職場で働く日だ。夢や希望など微塵もない。頼まれた仕事を機械のようにこなし、ただそこに従事するだけ。用が済んだらまた別の場所に飛ばされるのがオチ。よろしくお願いしますの言葉には何の感情も込めない。どうせすぐにいなくなると思われているし、それは紛れもなく事実である。

仕事終わりに自販機で、缶コーヒーを買うのが日課だ。まだブラックは飲めないから、僕は大人になりきれていないのかもしれない。いつまでも子どものままでいたかった。夏休みのある学生時代に戻って、現実のことなんか何も考えずにただ遊んでいたい。電車のなかで、缶ビールを飲んでいる人の気持ちが痛いほどにわかる。あれは働いた自分への労いではなく、飲まなきゃやってられないと、自分と社会に向けた怒りと諦めだ。

甘い汁のおこぼれを吸って、ずっと生きてきた。当然甘い汁の作り方は知らない。その代償がいまの暮らしである。別の職場に選ばされたと思ったら、ぜんぶ自分で選んでいた。満員電車に揺られて、住んでいる街に着いたらロボットのように降りるだけ。帰路、街を照らす街灯は枯れきった僕なんか照らさない。暗闇に紛れ、社会のおこぼれをもらって、今日も生きていく。涙を拭うためのハンカチは家に忘れた。着ているTシャツで涙を拭う。涙で濡れたTシャツすらも、僕なんかのためにと、可哀想に思えた。

置かれた場所で咲きなさいという話がある。置かれた場所で咲いたところで、何も生まれない人はどう生きるべきなのだろうか。答えは自分のなかにあるかもしれないし、そもそも答えなどないかもしれない、と思いながら目の前に流れる川をただ眺めていた。

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