サトウリョウタ@毎日更新の人

ライター兼編集者。広報/PR関連の取材執筆、メディアのディレクション、編集業務に携わっ…

サトウリョウタ@毎日更新の人

ライター兼編集者。広報/PR関連の取材執筆、メディアのディレクション、編集業務に携わっています。ベーチェット病と闘病しながら楽しく生きる方法を日々模索中。

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SNSのない世界にいた

先日、SNSを一切使わない女性と出会った。彼女いわくSNSはよくわからないものらしい。「インターネットに時間を取られるのがいや。現実世界を生きていたい」が彼女の持論だった。 アパレル業界で働く彼女は、綺麗なネイルを塗り、おしゃれな服装をしている。アパレルで働く欠点は、好きでもない服を買うことだと言って、頬を膨らませていた。先日から出張続きで、どうやら昨日地方から帰ってきたようだ。 「インスタ映えも楽しいかもしれないけれど、インスタに熱中するのではなく、いまに熱中したほうが

    • 退化ではなく、進化

      人間の細胞分裂はおよそ50回も行われるとどこかで聞いた。その期間は約120年。人間は怪我や病気がなければ、120歳までは生きられるようだ。細胞分裂と言われても、正直ピンとこない方がほとんどだろう。その理由は、細胞分裂が行われている瞬間を誰も知らないためだ。 30歳目前で地元の大阪を離れ、上京を果たした。その理由は、緩やかな日常に終わりを告げたかったためだ。地元の友人たちは、いつの間にか上京していた。それを指を咥えて突っ立ったまま眺めながら、頭のどこかでやらない理由ばかりを探

      • 創作大賞に参加しなかったからこそ芽生えたもの

        今日は創作大賞の中間選考の発表があった。今回は不参加のため、傍観者として創作大賞を楽しむ予定だ。知り合いの方も何人か中間選考を通過していて、自分のことのように嬉しかった。noteが爆発的に読まれて、商業出版を果たした人が何人もいるので、彼らもそれに続いてほしいと本気で願っている。そう思えたのは、今回の創作大賞に参加しなかったためだ。 今回参加しなかったのは、単に満足のいく作品を生み出せなかったことが理由である。これは完全に自身の実力不足のため、言い訳するつもりもない。 仮

        • 毎日更新が1900日を迎えた

          毎日更新が1900日を迎えた。あと少しで2000日という大台に手が届きそうだ。そういえばつい先日、毎日更新の継続が5年になっていたのだけれど、その事実に気付いたのは達成日から1ヶ月半が過ぎた頃だった。 毎日更新は、仕事とプライベートの合間を見繕う必要がある。ある程度習慣化ができるまでは、毎日の執筆を苦痛に感じていた。今では息を吐くように毎日更新ができるようになっていて、継続の凄さをひしひしと感じている。始めた当初は考えもしなかった2000日の達成だが、今は達成して当然だと思

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          どうせなんとかなるし、なんとかしてきた人生だ

          大阪帰省が終わってから、疲れも相まって物事がスムーズに進んでいない。めばちこで1週間のほとんどを無駄にして、順調だったはずの転職活動もストップしている。 人生を振り返れば、人生でうまくいったことなんてほとんどなかった。失敗という屍を積み重ねて、束の間の成功を手にする。これはうまくいくかもと気を緩めた途端に、手元からスルリと成功が抜け落ちていく。ないものねだりばかりが上手くなって、目の前の大切なものに気づけない。それの繰り返しをずっと生きていて、きっとこの先も同じ生き方をして

          どうせなんとかなるし、なんとかしてきた人生だ

          9/11〜15の日記

          9/11 今日は朝からMTGづくしで、作業をする時間を確保できなかった。一通りMTGが終わったとホッとする間もなく1ヶ月に1回の難病の定期通院の時間がやってくる。白内障の濁りを取るレーザー治療を受けてから左目の視力が回復傾向にある。今回も少し回復していたらしい。右目にできためばちこ(ものもらい)を見た担当医が「大きなものもらいができていますね」と笑っていた。担当医との付き合いは1年以上になるが、笑みを浮かべてくれたのは初めてのような気がする。少しだけ距離が近づいたような気がし

          何かが始まって、終わるという必然の中で

          何かが始まったと同時に終わりが顔を出す。それが心躍るものだったらどれほど嬉しいのだろうか。終わりが来るという必然を頭でわかっているつもりでも、その瞬間はいつまでたっても慣れないものだ。終わりを迎えるたびに、儚い気持ちになるし、もう少し何かできたのかなと後悔の気持ちに襲われる。 あと少しで1900日目を迎える毎日更新もいつかは終わってしまうのだろう。終わりを迎えた瞬間にどんな感情が芽生えるかはわからないけれど、後悔ではなく納得に近い感情が生まれると確信している。毎日文章を書き

          何かが始まって、終わるという必然の中で

          忙しない日々の中で見つけた美しさ

          仕事が楽しいと同時に、迫り来る納期に恐怖を感じている自分がいる。パソコンの前に座って、次から次へと積み重なる仕事を前にして、何かに追われ続ける日々。もちろん納期の遵守は大事で、仕事をする上での最低ラインだ。それが自身を縛り付ける理由になるのも、理解できる。刻一刻と納期が迫るたびに、焦りは膨らむ。そうやっていつしか豊かな暮らしを忘れてしまうのかもしれない。なんて物思いに耽っていたら、何だか怖くなってきた。 あの日、街の片隅で僕が見つけたのは、何でもない風景の中に潜む「美しさ」

          忙しない日々の中で見つけた美しさ

          異性からモテたいという欲求からの解放

          人生で一度やってみたかった長髪に挑戦している。髪を伸ばし始めて早10ヶ月。人生で最長になり、パーマをかけたりなんかもしている。以前よりも髪の毛を乾かす時間は長くなったし、頭を少し動かすだけで口の中に髪の毛が入りそうになる。加えて、夏の暑さは尋常じゃない。夏と長髪の相性は最悪だ。後ろ髪のせいで首に風が入ってこない。外出のたびに後ろで髪を結ぶことでなんとか乗り切っている。長髪スタイルを取り入れているすべての人間はこの煩わしさと戦い続けていると知った。 念願の長髪スタイルを手に入

          異性からモテたいという欲求からの解放

          いつまで毎日更新を続けられるのだろうか

          毎日、noteで文章を書いている。仕事の合間に書くときもあれば、ある程度時間を捻出して書くときもあるのだけれど、一体いつまでこうやって文章を書き続けられるのだろうか。ふと、こんなことを考える機会がある。毎日更新の終着点といえば良いのだろうか。 毎日更新を始めたての頃は、書くのにかなりの時間を要した。この苦労を毎日味わうのかと考えるだけで怖い。どうして毎日更新を始めてしまったんだろうと後悔もあったが、蓋を開けてみれば1,800日以上も書き続けている。そういえば以前どこかで習慣

          いつまで毎日更新を続けられるのだろうか

          9/6〜10の日記

          9/6 現在、大阪帰省5日目。休暇を取ったわけではないため、仕事に加えてプライベートの予定といつもよりハートフルな毎日を過ごしている。昨日はスイッチが切れたのか。布団を敷くために布団の目の前まで行ったのだけれど、そこで気絶するかのように眠っていたようだ。姉に起こされて気がつき、布団を敷いて眠りについた。ずっとこのような生活は身がもたないし、旅をしながら仕事をしている人には頭が上がらない。安心感のある大阪。この居心地の良さに溺れながら生きていくことはできる。だが、この先を予想し

          受けた恩は別の誰かに返せばいい

          この人生はずっとたくさんの人に支えられた上で成り立っている。どれだけ感謝しても足りないぐらいには頼りっぱなしだ。それまではずっと一人で生きていると勘違いしていたのに、難病を発症してからより周りの人の大切さを思い知った。もうなんなんだよとどこかに感情をぶつけてしまいたいほどに。思い知らされている。 たくさんの人に支えられている事実を嬉しく思うし、大切にしたいとも思う。いつだって感謝の気持ちを忘れてはならないし、それは人生を豊かに生きるために不可欠なピースだ。とはいえ、相手に恩

          受けた恩は別の誰かに返せばいい

          なくなったものは戻らない:目の病気が教えてくれた人生のルール

          大阪帰省の疲れが出たのか、右目にめばちこ(ものもらい)を患ってしまった。昨日から小さなめばちこができていたのだけれど、今日は目が開けられないぐらい腫れが大きくなっていた。 ベーチェット病のせいで左目で文字を読めなくなっているため、生活に悪影響を与えている。まず仕事ができない。文字を読めないのだからできるはずがない。やらなければならない仕事がいくつかあるが、それに手をつけられないのは非常に厄介だ。今は少しマシになってきているため、仕事をしたり、noteを書いたりできている。だ

          なくなったものは戻らない:目の病気が教えてくれた人生のルール

          帰る場所があるという事実は、人を強くも弱くもする

          朝、目が覚めるとめばちこができていた(関東ではものもらいと呼ぶらしい)。今は目が痛くて仕方がない。これは疲れによって発生したものである。毎日複数の予定があり、その間も仕事は平常通り進めなければならない上京だった。思い切って休暇を取ればいいものの、その勇気はない。当然、睡眠を削るしかないわけで、連日の無理が目に出てしまった。 毎日が帰省中のような生活だったら身がもたないけれど、帰省中は仕方がないよねという気持ちもある。仕事も遊びも全力で楽しみたい。とはいえ、そんな帰省も今日で

          帰る場所があるという事実は、人を強くも弱くもする

          人生は笑われるぐらいがちょうどいいらしい

          「あなたの夢はなんですか?」 夢を語る時間は楽しい。自分の夢を語るのも、他人の夢を聞くのも然りだ。夢が叶うたびに嬉しい気持ちになるし、叶わないと悟った瞬間にこの世の終わりなんじゃないかとつい錯覚してしまう。夢がある人は夢があるその事実を誇らしく思ってほしいし、夢を持っている自分はまだ生きる希望があると安堵している。 だからといって、夢がないからだめってわけでもない。夢がなくても楽しく生きている人はたくさんいるし、夢が叶わなくて苦しい思いをするぐらいなら夢など見ないほうがい

          人生は笑われるぐらいがちょうどいいらしい

          故郷は離れてこそ、故郷になる

          現在、大阪帰省5日目。休暇を取ったわけではないため、仕事に加えてプライベートの予定といつもよりハートフルな毎日を過ごしている。昨日はスイッチが切れたのか。布団を敷くために布団の目の前まで行ったのだけれど、そこで気絶するかのように眠っていたようだ。姉に起こされて気がつき、布団を敷いて眠りについた。ずっとこのような生活は身がもたないし、旅をしながら仕事をしている人には頭が上がらない。 安心感のある大阪。この居心地の良さに溺れながら生きていくことはできる。だが、この先を予想した時

          故郷は離れてこそ、故郷になる