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幸せな心 vs 満たされている心

この2つの違いを認識しておくことは、自分のウェルビーイングを自己評価/認識(subjective well-being)する上で非常に大事です。この記事では、この違いについて掘り下げていきます。

サマリ

幸せな心は持続しない。訪れは離れ、瞬間的に「今だけ」味わう感覚。行動そのもの(=WHAT)から来る感覚 。何かのイベントに基づくことが多い。昇給、美味しいもの、絶景、など。「嬉しい!」と感じる。

満たされた心は持続する。取った行動が目標への前進に繋がっていて、「意味」を感じる感覚。行動の目的(=WHY) からくる感覚。何かしらGiveしてサービスすることに基づくことが多い。「意味があった」と感じる。

どちらが良いか悪いかという話ではなく、感覚を識別することがポイントです。目指すべきなのは「満たされた心」ではないかというのが主張です。幸せはダイレクトに追わなくても感じられると思うのです。

幸せな心とは

毎日が幸せであれば、その上はないと思うかもしれません。結果的には、僕も、皆さんも恐らくそれが理想です。ただし、朝起きて「幸せ」を目指したことによって、一日終わって「幸せ」な状態になっていることは本当にあるのだろうか?

そんな日もあるかもしれないですが、稀ではないかなと思います。
僕たちが感じる幸せは、瞬間的であるからです。刹那です。

昇給が確定したその日は「幸せ」を感じたかもしれないが、翌日には忘れているでしょう。
小学校5年生の時に漢字テストで100点を取った「幸せ」は、今では覚えていないでしょう。
美味しいランチで味わった「幸せ」な感覚は、午後の仕事の開始には忘れているでしょう。

この「幸せ」な感覚が持続する長さは差異はあるものの、このように「幸せ」は来ては離れ、行った「こと」(=WHAT) から派生すると思いませんか?

目指して幸せを得られたとしても、すぐに消えてしまいます。持続しないことに不満をもち、(=なんで、こんなことも果たしたのに物足りさを感じるだ!?)そのサイクルを繰り返すことは不健康ではないかと思います。

なので、幸せは偶然または必然的に努力した結果から生まれ、「受けて感じる感覚」であって、「目指すべき感覚」ではないと思います。

満たされている心とは

満たされている(Fulfilled)は幸せ(Happiness)と似てるようで感覚的に異なってきます。
嬉しい感情よりも深い、長続きする感覚に近いです。

必ずしも嬉しい気持ちではない、というのも特徴ではないでしょうか。
・毎日走ることは辛いけど、走り終えた後の満足感が好きだから続ける
・夜泣きや反抗期は辛いけど、子育てに意味がある
・目的(WHY)に沿った行動、またはGive精神で誰かにサービスをしている

幸せな心と大きく異なるのは、瞬間的に受けるのではなく何かしら自分や周りにGiveしていることに繋がっているのではないかと思います。

「やりがい」なんて言葉がありますが、まさに仕事も、必ずしも毎日が幸せではないだろうが、WHYに沿って周りへサービスをすることに満たされ、「意味」があると感じます。

意味のあることは、たいていの場合辛かったり、がっかりしたり、イライラすることがほとんどですが、(いつも目先のハッピーではない)
意味を目指すことで「自分以上の何かを達成できる」と思います。

なので、毎日「満たされる心」を目指して、その工程で辛さも幸せも感じられればいいと思います。幸せはダイレクトに目指さなくても感じられると思うのです。


まとめ

「幸せな心」が悪いということではなく、ウェルビーイング向上の観点で目指すべき感覚は「満たされる心」ではないか。

「あ~今日も一日幸せだった」の言葉を発した時、本当は、
「あ~今日も一日終えたが満たされている」と言いたいのではないでしょうか。

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