隅田川はせせらがない (燐光校閲エッセイ) 2


  ここで突然の校閲クイズである。
  Nobody expects the proofreading quiz!

問一、 次の例文をより適当な表記にせよ。
 a.「彼はその一言によって勇気が沸くのを感じた。と同時に喉の乾きを覚えた。」
 b.「現代日本人のボキャブリーの貧困には呆れるばかり……。」
問二、 次の文章は江戸後期を舞台とする架空の小説の一節である。それぞれ指摘すべき点があるがそれはどこか。
 a.「まもなく十八になろうという夏の夜、お初は村の神社の祭りで弥一に再会した。」
 b.「完成したばかりの船は大評判となり、港には大勢の見物が詰めかけた。船が港に近づくと、群衆からはどよめきが起こり、ついには万歳三唱となった。」

「校閲」という謎の集団がほんとうは何をしているのか、具体的に想像していただくのは以外と難しい。
  誤字脱字から事実確認、内容の整合性の精査までを行ない、作家と編集者が編み上げた文の織物のほつれを取り除く。「文章のチェック」と一口に言えばそれまでだが(実際には商業印刷の校正者であればチラシやカタログに記載された値段や商品名の確認などの作業もあるし、出版社に所属する文藝校閲者であっても、表紙やオビといった所謂「付き物」のほか、刷り位置やノンブルの確認、各種広告のチェックなどもする)、その多層的な読み方を仮に体験していただこうというのが上のクイズの趣旨である。
  ほんとうは実際のゲラを見ていただくのが早いのだが、そういうわけにもいかない。校閲という仕事は、決して書籍という舞台には上がらず、痕跡も作品には残らない。ゲラという稽古場が我々の現場であり、そこで起きたことは基本的に外部に出ることはない。そこでクイズの出番というわけだ。どうですか、解けましたか?

  もちろん本来の校閲は白か黒か、正解か誤謬かを明瞭に決定できるクイズではなく、実際の作業は徹妙な判断の(そしてケチをつけられる当の書き手に校正疑問をゲラ上の書き込みで正確に、丁寧に、おこられないように伝えるための綿密な工夫の)連続である。言語は人間が不透明な存在であるのに精確に対応して不透明な媒体であり……
  しかし御託はよして、ひとまずの「答え」を次に記そう。


 

解答例

問一、 次の例文をより適当な表記にせよ。
 a.「彼はその一言によって勇気が「湧」くのを感じた。と同時に喉の「渇」きを覚えた。」
  → 漢字の使いわけ。沸騰してごぼごぼいうのが沸く。風呂もフロアも沸くが勇気は沸かない。客観的に乾燥している状態が乾く。主観的に喉がかわいている状態が渇く。こうした漢字の使い分けに関しては2014年に文化庁の文化審議会国語分科会が示した「『異字同訓』の漢字の使い分け例」という指針があるが(知ってました?)、白か黒かと言えるものではなく、また音としては「読めて」しまうので見落としやすい。

 b.「現代日本人のボキャブ「ラ」リーの貧困には呆れるばかり……。」
  → 脱字。なおこれはほぼ実際にお目にかかった事例。笑った。別のゲラでは文学を糞学と誤字していたものもあり、なにか意図があるのかしばらく考えこんだこともあった。

問二、 次の文章は江戸後期を舞台とする架空の小説の一節である。それぞれ指摘すべき点があるがそれはどこか。

 a.「まもなく十八になろうという夏の夜、お初は村の神社の祭りで弥一に再会した。」
  → 江戸時代は数え年なので、生まれた時が一歳で、正月に皆いっぺんに一つ年をとる。ゆえに「まもなく十八になろうという夏」は存在しない。時代ものの事実確認は、資料的にも自分が生きている時代の常識から離れる視点を持たねばならないという意味でも、難儀なことが多い。

 b.「完成したばかりの船は大評判となり、港には大勢の見物が詰めかけた。船が港に近づくと、群衆からはどよめきが起こり、ついには万歳三唱となった。」
  → 大勢の人々が万歳を叫ぶ風習は明治の帝国憲法発布の時から。『明治事物起源』(明治四十一年、石井研堂、橋南堂)には「萬歳の始」という節があり、「(・・・)近年萬歳を高唱することは、明治二十二年二月十一日、帝國憲法発布の盛典あり、主上觀兵の式を行はせらる。時に、大學生、鹵簿(ろぼ)(儀仗を具備した行幸・行啓の行列編成)を拜して『萬歳』を勸呼せしに始る」の記述あり。明治三十九年(1906年)の漱石「趣味の遺伝」には、日露戦争からの凱旋兵に対する群衆の歓声と万歳に同ずることができず、しかし一人の将軍の姿を見て涙をこぼす文学者の姿が描かれている。


  さてどうでしょう。こういうものを初校で見落とすと、ダブルチェックの社外校正者諸氏が見つけてくれれば入知れず恥と冷や汗をかくだけで済むが、再校、念校で読み返しても見つけられなかった場合には、もれなく誤植の発生となる。初版が刷り上がってから作家や読者からの指摘によって発見された誤植は、校閲部にある保存原本の重版訂正表に、校閲担当者の名前とともに半永久的に刻まれることになる。ゲラ上での数か月に及ぶ長い戦いは夢のように消え、残るのは誤植という結果のみ。あゝ無情。誤植っちまった悲しみに、なすところもなく日は暮れる……。


  それなりに長く校閲を続け、身に染みてわかったことがいくつかある。自分を筆頭に、多くの人間がいかに迂闊であり、妙な言い方だが、言語というものに向いていないかということ。日本語というもの(の特に表記体系)がいかに不可思議なシステムになっているかということ(これについては次回書く)。それから、我々が日々空気のように呼吸している日本語について、あまり多くを知らないことだ。呼吸するものが必ずしも空気についてよく知っているわけではないように。
(例えば蓮實重彥『反=日本語論』を読みトリュフォーの『大人は判ってくれない』を見ると、少なくとも当時のフランス人が、いかに幼少期より韻文詩の暗唱や書き取り等の訓練を通じて文法を叩き込まれているかをしみじみと思わされる。我々は日本語の文法についてどれほどのことを教わっただろう。国語教育の名のもとに我々は何を教えられてきたか? 石原千秋氏によれば、「日本の国語教育は道徳教育である」(『秘伝 大学受験の国語力』新潮選書より)。)

 誤植の悲しみは、校閲者をおのずから自問自答へ導く。アポロンの神殿に刻まれたというあの「汝自身を知れ」へと。校閲という常みは、営に自分を疑い続けるということでもある。「校正畏るべし」という、論語をもじって校正者たちに言い慣わされた格言は、ソクラテスの悟達におそらく存外近いところにある。何度目を皿のようにして読んだって、完璧ということはないのだ。人間は不完全である。自らが知らないことを知る、ということが知ることの真のはじまりであり、読めなさを知ることこそが読むことの一つのはじまりになる。

 ……こうして、「誤植のない本はつめたい」という井伏鱒二の言葉を時に心の慰めにしつつ、校閲者はまたゲラに向かうのであった。


 〈いまや、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ。〉
(カミュ『シーシュポスの神話』清水徹訳、新潮社)


(問題と解答以外の地の文の箇所に、誤植が四カ所(正確には五つ、四カ所)ある。時間のある方は探していただきたい。以下にヒントを記す。)
 




イガイ ビミョウ ヒトシレズ イトナミ-ツネニ


       


     


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