淡座「端唄と忠臣蔵」、本條秀太郎の三味線

 深川江戸資料館での淡座本公演「端唄と忠臣蔵」、すばらしかった。

 淡座(http://awaiza.com) は、現代音楽の作曲家・桑原ゆう、ヴァイオリン・三瀬俊吾、チェロ・竹本聖子、三味線・本條秀慈郎の四氏からなる気鋭の若手音楽家の団体で、この特殊な楽器編成に現れているように、東西の音楽文化を、特に江戸文化と西洋現代音楽をつなぐような試みを根幹に据え、落語家の古今亭志ん輔師匠との共演や屋形船での演奏など、多彩な活動を行なっている集団である。
 桑原さんの野心的な試みを、三人が高い演奏力と息の合ったアンサンブルで支える、とても好いチームだ。
 昨年八月より一般社団法人となって、コンスタントに演奏の機会を重ねており、今回は第三回本公演という位置づけの会だった。

 今回の目玉は、なんと言っても三味線本條流の家元、本條秀太郎の出演で(淡座との共演は昨年の公演以来二度目となる)、全篇に亘って家元の三味線、端唄をフィーチャーした構成になっていた。
 まずはとにかく、初めて聴く本條秀太郎の音に惹き込まれた。名人が撥で単音を弾くや、もう陶然としてしまって、ほとんど忘我の境で、三味線というのはこんなに艶と余情のある楽器だったのか、という驚きだけが、「ゆり」(ビブラート)とともに反響していた。とにかく精確で、深く、色気がありつつどこか枯淡でもあるような、不可思議な音色だった。その音色に寄り添うような桑原さんの音楽は、志ん輔師匠との累ヶ淵でも感じたことだが、間、つまり休符を恐れず、むしろ無によって有を活かすようなやり方で、三味線の音色の効果を、時に緊張を孕みつつも増幅していた。特に、チェロと三味線の「若紫のうた」や、師弟二人の三味線による「三味三昧」では、二つの弦楽器が交錯し、対話する、魅力ある演奏が行われた。

 後半の一曲目は、家元の手になる「高速度忠臣蔵」(未聴だが、端唄をちりばめ、一時間もかからずに「仮名手本忠臣蔵」を楽しめる、という趣向のよう)を参照しつつ作られた作品、「淡座版『継ぎ接ぎ忠臣蔵』」。三味線と端唄、弦楽トリオのアンサンブルによる、端唄で忠臣蔵の場面を点綴する、言うなればかなり切り詰められたオペラ版忠臣蔵のような作品。
 第一部ということで四段目の判官切腹まで、家元の「未だ参上つかまつりませぬ」のぞくりとするような高音に、無念の塩谷判官の姿を彷彿とする。意欲的だが雅致ある試み。

 家元の音色の素晴らしさが印象的ではあったものの、淡座三人での演奏も一層深化しており、前半の終わりに置かれた「越後獅子幻想」(プッチーニ「蝶々夫人」にも引用された長唄「越後獅子」を素材としつつ再構成された器楽曲)では、開始前のリラックスしたムードから一転、緊密なアンサンブルが磨き上げられ、Vl三瀬さんのソロに鳥肌が立つ大変な名演で、二部終わりの「通さん場のための音楽」も危うい均衡を渡っていくような緊張感を醸し出していた。

 淡座は、来年1月30日に再び深川江戸資料館で事始めのコンサートを行ない、3月28日にはケーン奏者のクリストファー・アドラー氏を招いた公演を行うらしい。
 彼らの試みは、もっともっと広く聴かれるべきものだと思う。

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