見出し画像

わからないこともあるよ

例えばマネージャー。親。コーチ。
日々目の前の誰かに、背中を見せたり、指導したり、コーチングしたり、怒ったり、接してますよね。でも、する方もされる方もつい忘れちゃうのは、「する方が正解を知ってるわけではない」ということです。

する方が、「する方が正解を知ってるわけではない」ことを忘れると、独善的で、ティーチング的になります。助言が増え、聞くことが減ります。される方のやり方が自分の思ってることと異なると、否定することもあるかもしれません。この姿勢は、相手が自分を超えない前提になりそうです。

される方が「する方が正解を知ってるわけではない」ことを忘れると、言われたことを鵜呑みにし、指示待ちになります。自分で考えることをやめ、答えを求めるようになります。

もちろん0か100かではなく、グラデーションだと思います。瞬間的に「自分が正解を知っている」ように接してしまったり、何かのときだけ「上司/親/コーチが正解を知っている」ように接してしまうこともあるでしょう。


ほぼ毎日、高校生・大学生と1on1ミーティングを重ねています。今だから感じて、考えられることは多分にあり、社会人になって久しく、公使共にそれなりの経験を積んだからこその視座・視野・視点はまちがいなく存在します。しかしそれでも、僕もあなたも誰も万能ではなく、暫定的にベターな考え方を持ってコーチングを行うだけなんです。コーチングされる側からすると、コーチが成長中という事実は朗報でもあり残念でもあるかもしれませんが、事実はそういうことになるんだと思います。

そういう点では、我こそが答えだという姿勢の教育者は、その時点で疑っていいかもしれません。答えを持つ者は、答えを教えてくると思います。被教育者側は、その答えを求めてはいけない。その瞬間に成長は止まるからです。一緒に考えなくては。僕はそう思います。

でも、ちょっと油断すると、本当にちょっとの隙に、答えを知っているかのような接し方をしてしまうことがあります。これは大いに振り返り、点検し、発見しだい猛省すべきだと思います。もちろん自分としては、それなりの意見が、いろんなものごとに対してあるでしょう。しかしそれはあくまでいち意見。この世の唯一解では決してありません。


マネージャーや、親や、コーチとして、僕らは強い信念を持ちつつ、常に自分を疑い続けなきゃいけないと思います。疑うことをやめることは、自身の成長を止めることになり、従って自分のコーチング能力の向上を止め、コーチング対象者の成長促進に限界を設けることを意味します。そんな教育者、僕は絶対に尊敬しないし、成長を止めた誰かが自分の大切な誰かの教育者になることは耐えがたいです。

生き方、感じ方、考え方、全部が試される。価値観を更新しないで戦うなんて想像もできません。でもそれこそが、教育者のやりがいなのではないでしょうか。教育者は、被教育者の存在によって動機や勇気を授かり、前に進めるはずです。あなたのメンバーや子どものためなら、一番いい背中を見せたいじゃないですか。少なくない原動力をもらっています。


そう、だから、わからないこともあるのは、良いことです。
価値観が更新される喜びと衝撃を、たくさんの教育者に感じてもらいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?