どくたーすなふきん

23歳

どくたーすなふきん

23歳

最近の記事

5/3①「俺は何を基準に人を信用しているのだろう」

居酒屋で、友達同士が、生成AI(?)についての何やら議論をしていた。詳しいことはわからないが、お互い別の立場をとって対立して、お互いを説得しようとしているように見えた。 俺は第三者の立場から、誰が正しいのか見極めようとした。そんな時に浮かんだ疑問が、この記事のタイトルだ。俺は、何を持ってして、他人を信用しているのだろう。 強くなるためには、今ここにないものを探すよりも、今ここにあるものを点検して、確認することの方が、ずっと大切だと思う。 何を持って、人を信用しているか、

    • 5/2①「健康から見る俺の10年史」

      最も大事だと思っている、健康面から、直近10年間を振り返ってみる。 10年前は、13歳。ちょうど中学生に上がったぐらいの頃だ。その頃の健康状態は、良かったように思う。まあただでさえ記憶力が悪い上に、10年も前のことなので自信はないが。 勉強も部活もうまくいっていたし、学校内での立場も悪くなかった。ただ、思春期ということもあったのだろうか、見た目についてのコンプレックスが、強くなってきている時期でもあった。 そこから、中2、中3と学年が上がり、受験勉強をハードにするように

      • 5/1②「浅倉成秋『六人の嘘つきな大学生』を読んで」

        ※ネタバレ含みます。 久しぶりに読んだ小説かも。それも、久しぶりに読んだミステリ。期待以上に面白い本だったと思う。 トップ企業の最終面接に残った六人が、採用を目指して、グループディスカッションをする、というのが舞台の物語だ。就活中と、その後、の二編構成になっている。 まず、比喩表現が秀逸だと感じた。聞いたこともない表現であると同時に、聞いてすぐに直観的にピンとくる、そんな表現が物語の節々に散りばめられており、なんどもその表現の的確さに感動した。 そして、これまた物語に

        • 5/1①「『知る』『分かる』『出来る』ということについて」

          「知る」、「分かる」、「出来る」。何かを学んだり、物事を理解したりする。そのプロセスについて、今思うことを書いていく。 何かを「知っている」とは、どういうことだろう。「知」という言葉の字義は、「言葉を素早く理解する」ということらしい。 「知識」という単語がある。これも、どういう意味なのか、きちんと考え出すと、なんだか分からなくなってくるが、一般的には、「ある事柄について知っている内容」ということらしい。 矢のような口、と書いて、「知」である。ここから、「早口言葉」や、「

        5/3①「俺は何を基準に人を信用しているのだろう」

          4/30②「消費者金融借金体験記」

          漢字十文字のタイトルになったが、それぐらい固い、深刻な話なのかもしれない。 初めて借金をしたのは確か、一年半前か、二年前ぐらいだっただろうか。きっかけは、サークルと、高校時代の友達との遊びが、ちょうど近くに予定が入って、貯金じゃ足りなさそうだ、ということだった様に思う。 それまでにも、大学に入ってから、何度か、親や祖母にお金を借りたことがあったが、当然気持ちのいいものじゃない。血縁があるからこそ、むしろ余計にややこしくなる危険を孕んでいる様にも思えた。 そして、某消費者

          4/30②「消費者金融借金体験記」

          4/30①「正直と嘘について」

          あらゆる徳目とされるものは、実はそれ自体が特別なものとして、元来あるのではなく、現実的な利益を追求するための、原則として、高度に抽象化された概念である、と今は思っている。 前にそんなことにも触れた。 今日は最も一般的な徳目の一つ、「正直であること」「正直でないこと」について考えてみる。 当たり前の様に思えることを、今一度点検することで、何か新しい発見があればいいな、と期待している。 正直であることの、何が良いのだろうか。これについて考えるにあたって、対偶の、嘘をつくこ

          4/30①「正直と嘘について」

          4/29[2]「勤勉であることについて」

          「勤勉」であることというのは、あらゆる社会において、一般的に最も徳目として認識されているものの、一つなのではないだろうか。 そんな「勤勉」であること、またそれを含む、人生における徳目とされること、について今思うことを書いていく。 さて、根本的な話、勤勉であることの、何が良いのだろう。これについて考える出発点として、最近考えていることがある。 あらゆる徳目、というのは、何かこう、最初からそれがあるわけではなくて、あらゆる側面の統一として、その徳目に至る、という発想とでもい

          4/29[2]「勤勉であることについて」

          4/29「考えるということについて」

          「考える」ことを考えてみる。すでに今ある力を点検し、より強くなることを目指す。 考える行為、というと、どんなことを思い浮かべるだろうか。本を読む、執筆、計画立案、視覚化。それらはもちろん、不必要な行為ではないし、最終的には、考えるということは、これらのいずれかの形で表出されることが多いと思う。 だけれど、これらがすなわち、「考えること」であると言えるのだろうか。これらは、自分や、他人に、明晰に自分の思考を認識させようという試みであって、「考えること」そのものではない様な気

          4/29「考えるということについて」

          4/28[2]「移動や旅をすることについて」

          今、久しぶりに、最寄駅のホームにいる。久しぶりといっても、せいぜい一ヶ月弱とか、その程度だろうが。それでも、この二十三歳というこの歳で、今までの経験を踏まえても、少し珍しいぐらいのスパンが、空いたのじゃないだろうか。 暮らし慣れた、歩き慣れた街を、電車に乗り離れていく。そのことに、どこか自分の中に高揚感を感じている。そんな、地元を離れ、別の街へ行くこと、について書いていく。 ちなみに、今日は二本目のnote執筆だ。これははじめての試みじゃなかっただろうか。自分で思ってた以

          4/28[2]「移動や旅をすることについて」

          4/28「玉・鏡・剣。三種の神器について。」

          最近これらの概念について、よく考える。「三種の神器」の歴史などはよく知らないが、この三つの物に象徴される、概念的なものが、なんだか普遍的で、大事なことのように、今は感じている。その「感じ」をなんとか言語化していきたい。 俺はこれらの物を、今はこう捉えている。 玉ーフロー 鏡ー対話 剣ー力 これらについて一つずつ解説していきたい。 玉は、フローのことである。勾玉のオタマジャクシのような形を見ていると、それは動きのあるものの様に見える。 フローとは、今この瞬間を生きるこ

          4/28「玉・鏡・剣。三種の神器について。」

          ヒップホップについて

          高校生の時に、MCバトルにハマり、YouTubeでよくそんな動画を見ていた。浪人期ぐらいから、ラッパーの音源もよく聴くようになり、今でもそれは続いている。 ハマる以前は、ヒップホップというと何だか滑稽な印象があった様に思う。輪に入れずに、変に開き直って、群れている負け犬、バカ。 だけど、ヒップホップにハマるにつれて、その様な印象は少しずつ変わっていった。自分の信念に忠実な人たち、自分自身や、友達に対して、突き抜けた誠実さを持った人たち、そしてそれ故に、一般社会に適合できな

          ヒップホップについて

          歴史の勉強をしていることについて

          最近は心理や恋愛について書くことが多かった気がするが、今日はやや離れて、学問的な話を。 かれこれ一年半ぐらい、割と継続的にに歴史の勉強を続けている。きっかけは、あるnoteを読み、高校までの教育課程で手に入るアイテムは、あらゆる文化にアクセスするための、資本である、と気付いたからだ。 とはいうものの、俺は高校時代は勉強など全くといっていいぐらいやっていなかった。学校は進学校だったが、入学と同時に、進学校まで行っても、学生や教師にも嫌な奴は全然いるのだということに気付いたし

          歴史の勉強をしていることについて

          母親と過ごした昼間の日記(ビビンバ、水道管ゲーム)

          予定が入れば、平日の昼間から自由に過ごせるのは、親の脛齧りウーバー配達員の冥利だろうか。別居している母親が休みということで、今住んでいる実家に遊びに(?)来た。 母親との関係は、最近は良好だ。俺が幼い頃は、かなりべったりで、俺が一人っ子で当時は友達が少なかったこともあり、親子にしてもかなり親密だったと思う。 その後思春期を迎えるにつれて、だんだんと距離が広がっていき、浪人期あたりに、俺の感情が爆発して、一時かなり関係が悪化した。もう戻れないかもしれないと思っていた。 だ

          母親と過ごした昼間の日記(ビビンバ、水道管ゲーム)

          マッチングアプリにハマっていた頃を振り返って

          一年近く前の話になる。去年の春から夏にかけて、マッチングアプリを結構力を入れてやっていて、十人弱ぐらいの女とデートをした。そして、その倍以上の女とは、電話で話したりもしたし、さらにその倍以上の女とは、メッセージのやり取りをしたと思う。 恋愛をしたいという気持ちは今もあるので、何か手がかりになる部分が見つかるのではないか、という期待も抱きながら、振り返る。 Xには、ナンパ界隈というものがある。有名なアカウントだと、何万人ものフォロワーがいたりして(ほとんどは男だろうと俺は思

          マッチングアプリにハマっていた頃を振り返って

          河合隼雄『コンプレックス』を読んで

          学者が書いた新書だが、なんだか大事なことを書いてそうだけれども、難しくて理解できない、という様なところも多かった。自分がこれまで抱えてきたコンプレックスとも絡めながら書いていく。 確かこの本を書店で見つけてパラパラと読んでいた時に目についたのが、「コンプレックスは、主体性をおびやかすもの」という文章だ。 「主体性」というのは、俺が昔信仰していた『7つの習慣』のキーワードの一つでもあり、今でもそれなりに、人間にとって必要だと俺が考えているものだ。 『7つの習慣』では、端的

          河合隼雄『コンプレックス』を読んで

          「セクシーさ」についての考察

          「セクシーだ」というと、どんな印象を受けるだろうか。小中・あるいは高校生ぐらいの頃だったら、なんだか気恥ずかしかったと思う。 今言われたらどうだろう。男で、セクシーだ、なんて褒め言葉をもらえるのは、よほど容姿に恵まれている男じゃないだろうか。でも、そんなふうに言われたら、やっぱり嬉しいと思う。 そんな「セクシーさ」について、「セクシーさ」とはどういうものか、なにをするものか、ということについて今思うことを書いていく。 なぜこんなことを考えたのかというと、実に卑近なことか

          「セクシーさ」についての考察