二村ヒトシ『なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか』を読んで

かなり興味深い本で、少なくとも今回を含めて3回は読んだと思う。この著者の本で、僕がこれも興味深いと思っている、『すべてはモテるためである』という本が、男性向けに書かれているのに対して、この本は女性向けに書かれたものだと思う。

Xで、この二つの本は、書かれ方が異なるだけで、本質的には同じことが書かれているのだという説を、見たことがある。そんなことも頭の片隅に置きながら読んできたのだが、それはいまいちピンとこなかった。

というのも、前者は「モテたい男性が、口説けるようになる」ための本で、後者は「自分のことをめんどくさいと感じている女性が、恋愛やセックスで幸せになれるようになる」だ。これらが一緒のことを言っているというのは、分かるようでわからない、そんなむず痒い気持ちがする。


キーワードは、「自己受容」と「心の穴」だ。幼少期に親にあけられた心の穴を埋めるなにかを、男に求めてしまうから、あなたの恋愛は報われない。

その穴を自分で見つめ、理解しようとし、自己受容することで、恋愛やセックスを楽しめるようになるし、愛し合うことができるようになる、ということだと理解した。

すべモテには「心のふるさと」や「自分の居場所」ということはが出てきた。これらはもしかして言い方を変えているだけで、「心の穴をうめて自己受容するための手段」のことを言っているのかと思った。


男性向けの前書きには、「マジメでモテない男性」と「不真面目なのにモテてきた男性」に向けてのメッセージが書かれていた。

結局どちらがよいのだろう。なんだか自分の経験を振り返ると、この両極を揺れ動きながら、生きてきたように思う。まじめが一番だなんて無責任にいってくる大人は、なんだかバカそうに見えることが多い気もする。


恋と愛は、コインの裏と表のようなものでもあると書かれていた。恋の行く末は2つに一つ、破れるか、愛に変わるか。

うまくいくカップルの2つのパターンというのも書かれていた。恋する男と、それを受け止める女、相思相愛のカップルの2つだ。恋する女とそれを受け止める男、というのは、現実的に難しいらしい。女に恋されると、インチキ自己肯定してしまう男が多いからだ。

こんな話を読んでいると、恋する女はいい、みたいなのはホントにウソっぱちのように思えてきた。


自己受容しなくちゃ、というのは、中高ぐらいの、勉強や部活をマジメにやっていた頃には、感じていた感覚だった気がする。

それが大学に上がり、自由になり、遊びだす友だちも増えて、焦って、マッチングアプリにハマったり、恋愛の戦略の情報収集をしたり、何だか道をそれてしまったのだろうか。

いや、男はそれで良かったのかもしれないし、マジメにやりすぎてしまっていたのかもしれない。道をされたことで気づけたことも多いのも、間違いなく思える。やはり今はまだ答えはわからないなと思う。


この著者の理論が今は一番信じられるものに思える。すべもての方でも、男はまずモテろと言っていた。

すべモテの理論を実践して、口説ける男になりたい。じゃないと、カッコ悪いし、何より自分が辛い。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?