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人生が続く限り。

この記事は、 Coaching Advent Calendar 2022 の1日目の記事です。

「あいつ、もっとできるはずなのにもったいないよなあ。」

友人と久しぶりの居酒屋。いつものように「最近どう」と、互いの近況を報告しあった後、話題は共通の知り合いであるあいつの話になった。

あいつは今年、自分で個人向けの事業を始めることを決意した。希望の詰まったキラキラした目が印象的なあいつは、大学時代からの知り合いだ。単にキラキラ全開というわけでもなく、どこか慎重な性格を持ち合わせていて、地に足ついた感じに好感が持てる人だった。そんなあいつが、事業を始める。純粋に応援したいなと思った。

そして一緒に飲んでいる友人も、あいつに一目置いているのだと思う。しかし、物事を俯瞰的に見ている友人には、始めた事業のスケールが少し小さく感じたのだろう。期待にも批判にも捉えることのできるさっきの一言を、僕は素直に共感しきれないでいた。



僕はコーチングという仕事をしている。今の生活・仕事状況、これからやりたいことなどに耳を傾け、それに伴う葛藤を扱いながら、「自分にとって、豊かな人生とは何か?」と、クライアントが大真面目に自分の人生について考えることを支援をしている。

コーチングっていうのは、超個人的で、個別具体の話を扱うものだと思う。

クライアントの「私はこう思う」「私はこう感じる」をできるだけ引き出していき、その人を主人公にした唯一無二の物語の脚本を手伝っていく。コーチングの世界では、自分の人生は自分で決めていけるという信念が共有されているので、「もっとこうすべきだと思う」などというアドバイスめいた話はあまり意味を持たない。

居酒屋で話していたあいつのことだってそうだ。あの事業は、あいつが「自分はこれをしたい」と願って始めたことなのだ。社会に与える影響の大小や、事業のスケールの話は、進む先で必要な時に出会うはず。だからコーチとしては、先回りしたアドバイスよりも、まずはあいつの踏み出した第一歩を受け止めて祝福したい、なんてことを思ったりする。




そういえば最近、4年に1度のサッカーワールドカップが始まった。中学まで10年間続けてきたスポーツだから、今年も初戦をリアルタイムで観戦した。結果は日本の逆転勝利。下馬評では対戦相手のドイツが勝つと言われていて、試合が始まる前から日本はどうせ負けるという声も多かったし、実際に自分も勝てるという確信を持てていなかった。

けど、勝った。そして試合の行く末を決めたのは、チームの戦術システムの変更だった。

サッカーは11対11で戦う競技だ。全体の数を見れば戦力は平等だけど、局所的に人数有利を作ってゲームを有利に進めていくのがサッカーの基本戦術となる。

試合前半は、ドイツに圧倒されていた。ドイツはボールを持つと、守備の人を減らして攻撃の人を増やす戦術システムを取っていた。当然、日本側は守備の人数が足りず、ドイツの戦術に対応できていないことは明らかだった。失点したけど、何とか精一杯耐えたよねという感じ。前半終了時点では、これでは厳しいと日本ファンは誰もが思ったはずだ。しかし後半、日本は思い切ってチーム戦術を変えた。守備の人数の帳尻を合わせて、ドイツの攻撃に対応し、反撃のチャンスを作れるようになった。その結果、一瞬の隙をついて勝利を掴んだ。

僕はこの結果を振り返りながらふと、この試合は個人の頑張りだけではなんともならなかったんだろうなと思った。

サッカーはチームスポーツだから、勝敗に与える影響は、個人の力よりもチームの戦術システムの方が断然大きいことは明らかだった。だけど、やっぱり個人がどうこうって話より、チームでどうするかなんだよなということが印象的だった。



コーチングっていうのは、超個人的で、個別具体の話を扱うものだと思う。

1人ひとりの物語に深く触れながらそこに生まれる葛藤に関わり、個別具体の人生を支援していく仕事であり、ここに大きな醍醐味。けれど、社会全体の視点で考えてみると、僕のコーチングが社会に与える影響はいかほどのものか。ふと、「チームとして、つまり社会として勝つことができるか」という視点が欠けてしまってはいないか?という問いが頭に浮かぶ。

果たしてコーチングで個人の支援だけしていれば、それでいいのだろうか?

その答えは、部分的にYESなのかもしれないけれど、サッカーで言えば社会というチームの勝利に向けて、個人の力で状況打開するようなものではないか。かの試合の戦術システム変更のように、もっと社会に対して直接的にアプローチすることはできないのかな、なんてことを考えてしまう。


「あいつ、もっとできるはずなのにもったいないよなあ。」


あの日の言葉が、心の中から聞こえてくる。



人の為すことは全て、初めからバランスに欠けているものなのかもしれない。

何かをするということは、何かをしないということ。今、私たちが日々取り組んでいることや考えることの裏には、無数の取り組んでいないこと、考えていないことがあるのだ。何かを感じたり考えたり行動するたびに、できていない、至らない世界が生まれていく。

話をシンプルにするなら、個人と社会、自由と安定、仕事とプライベート、多くの二項対立の中、何かを始めるときは、そのどちらかに自分の身を置くのだと思う。最初は無意識に、意図せずに。コーチングを始めた頃の僕は、社会に与える影響よりも先に、個人に寄り添うことを無意識に選んだと言える。

そして、そんな偏りを潜ませながら進む中で、その対岸にある社会という視点が見えてきて、自分のアンバランスさに気づくようになる。ここにきて初めて、個人と社会という二項対立に見える(実際に対立しているとは限らないが)ものを、自分はどう扱っていくか?という問いに出会う。

あいつも自分の事業を進める中で、友人が僕に言った通りに「個人向けの事業で留まっていてはもったいないのかな?」と思い立ち、より社会に影響を与えるために動き出すかもしれない。もしかしたら、事業にのめり込みすぎた結果、「自分は仕事してればいいんだっけ?」と思い立ち、パタンと事業を辞めて旅に出ることだって考えられる。それにあの友人だって、「俯瞰的になっているばかりで大事なことを見落としてないか?」と思い立ち、個人的な思いを胸に何かをがむしゃらに始めるかもしれない。

この流れを、あなたはどう思うか?きっと、行き当たりばったりで不器用だなと思う人もいるだろう。初めからバランスとって上手く生きていきたいよとさえ思うかもしれない。

けど、僕はこれが正規ルートなんじゃないかと思う。自分の人生を変えうる考え方って、リアリティのないまま人からショートカットして教えてもらっても心まで届かない。「仕事はお金だけじゃなく、やりがいがあることも大事だよ」なんて言われても、やっぱり給料の額に惹かれてしまい、本当の意味でお金だけじゃないと実感するのは社会人になってから、って話と同じだ。

きっと自分の今を揺さぶる問いというのは、リアリティのない状態では見逃してしまうし、考えていること・やっていることが今にフィットしている時には見えてこないと思う。きっと自分の状況や見えているものが変化してきた時に初めて、その時々に合わせてより納得感があり、美しく思えるバランスに向かうための問いを意識できるようになるものだなって。

だからこそ、僕は「私はこうしたい」と何かを初めてみて、まずは一生懸命進んでいくことが大事だと思うし、その中で新しい問いに出会い、どう扱っていくかを試行錯誤しながらより良い形を探求していく展開は、たった一度の人生物語として面白く、かつ正統派なストーリーだなと思っている。きっとその物語は、唯一無二のシナリオになっているはずだし、多少遠回りなことをしていたとしても、物語のいい引き立てとなり、新しい問いに出会う伏線となると考えれば、むしろ歓迎したいくらい。

改めて、人の為すことは全て、初めからバランスに欠けているものなのかもしれないと僕は思う。何かを為すということは、その何かに少なからず傾倒して、執着して、他が見えなくなるという側面がある。だけど、その唯一無二のバランスの欠け具合が自分らしい生き方であり、でもそのアンバランスさを楽しみながら、その先に見えてくる階段を少しずつ登っていけば、より美しく納得感のある自分だけの人生の形になっていくのではないか。僕はそう信じてる。


あいつは、前に踏み出した。客観的には小さなことかもしれないけれど、確実に自分の人生を一歩踏み出した。そして、踏み出したことできっと偏りが生まれる。でもそれがいいんだよね。きっと進んだその先に、必要なタイミングでバランスがどこに偏っているのかに気づき、更なる可能性に向けて挑戦を始めるのだろうから。

そして、これはあいつに限った話ではないわけで。私たちは誰もが偏っているのだと思う。この学校に通う選択をしたこと、この会社で働く選択をしたこと、この職業を選んだこと、ひとりで生きていくんだと思ったこと、何かを始めようと思ったこと。その全ての思考・感情・行動が、自らのバランスを崩して、その唯一無二の崩れ具合が自分らしい生き方となる。そして、きっとその時々に合った形に変化するための問いに出会い、その先の新しい可能性との出会いを楽しんでいける。

僕は、そんな可能性を感じながら、毎日を一生懸命に生きていく。差し当たり、コーチングという個人にアプローチする仕事を、どう社会により強く繋げていくか?という問いから初めてみようと思う。人生が続く限りこの旅は終わらないし、どこにたどり着くかなんてわからない。

あなたの今はどんなバランスの崩し方をしていますか?

そして、その先に向かうための、あなたが今向き合う問いはなんでしょうか?



追記

最後までお読みいただきありがとうございます!

問いを受け取るタイミングの時、自分の人生に潜んでいる偏りを認識するようになるきっかけは、あらゆるところにあるはずだと思っています。今やっていることの周辺で自ら気づくかもしれないし、趣味でサッカー観戦をしている時かもしれないし、友人と飲み交わす中でかもしれません。そして、今日から始まるアドベントカレンダーも、問いと出会うきっかけになったら嬉しいな、なんてことを思っています。

2022年の締めくくり。アドベントカレンダー企画は、25人分の世界が覗ける貴重な機会です。ぜひ、みなさんの記事を読み、新しい世界との出会いを楽しんでいってください。

さあ、今年もアドベントカレンダー、スタートです。

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