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それを知るのは十年先のこと #あなたに送るブックレビュー

学校蝙蝠は、町をぐるりとまわりながら自分が町に告げるべきことを告げた。
今宵は夜市が開かれる。

 その一冊に出会った頃、あなたはまだ十代の学生で、先のよく分からない漠然とした不安と、先のことなんてどうでもいいやと投げやりな気持ちを抱えながら深夜帯のアルバイトに明け暮れる毎日でした。真面目な学生だったかと言われると、残念ながら疑問符が付きます。でも不真面目を割り切っていたかと言われると、それはそれで残念ながら疑問符が付きます。要するにあなたは何をやっても中途半端な、何者にもなれない青年だったのです。

 あの時の記憶はぼんやりしている部分とはっきりしている部分が大きく分かれてはいるのですが、確か……あれはその日たまたま平日の夕方だけバイトのシフトが入っていて、すこし早めに退勤した、その帰り道のことだったと思います。いつもは通り過ぎるだけだった書店の明かりが夜の暗さの中でやけに目に付いたのです。

 外側から見える店員さんしかいない静かな雰囲気に惹かれたのかもしれません。あるいは給料日後で余裕のあった財布の中身が、あなたの衝動的な購買欲求を高めたのかもしれません。

 あなたは乗っていた自転車からおり、その書店に入りました。まだ閉店の時間にはすこし余裕がありました。もうすこし遅かったら、店員さんに気を遣って入らなかったと思います。

 もともとそこまで小説は嫌いではありませんでしたが、それでも本の虫や活字中毒と呼ぶにはほど遠く、読むか読まないかで言えば間違いなく後者に属する青年でした。

 なので勘を頼りにするしかありませんでした。たくさんの知らない本、知らない作家の中から、表紙の雰囲気、帯の文言、本自体の手触り、最初の一行……保証のない直感のままに選び取った三冊の本は、今でもそのタイトルまではっきりと覚えています。

 二冊の文芸書と一冊の文庫本。文庫は『夜のピクニック』や『蜜蜂と遠雷』などを書かれた恩田陸の『禁じられた楽園』というホラー小説。

 文芸書の二冊の内の片方は、のちに映画化もされる『聖の青春』などノンフィクションも多く手掛けている大崎善生の恋愛小説『スワンソング』。この時の印象が強いせいかどれだけノンフィクションの分野で評価されても、あなたの中で大崎善生は恋愛小説というイメージが強い。

 平台の積み上がったその本の帯に書かれた故・児玉清の「滂沱の涙を流した」。そんな言葉に琴線が触れての購入だったように思います。

 そして何よりもあなたの心を掴んだのが、
 恒川光太郎の『夜市』という小説でした。そして内容に触れ、その作品はあなたにとって特別な一冊になりました。

 物語は秋の夕暮れ時、大学二年生のいずみが高校時代の同級生が暮らしているアパートを訪ねる場面から始まります。同級生の裕司とは友達以上恋人未満という表現が似合う微妙な関係で、すこしの緊張もそこにはあります。そんな裕司からいずみは夜市に誘われます。「夜市って、何?」ということが長々と書かれることなく、すんなりと裕司の誘いを了承する不思議なトーンにまず冒頭から惹きこまれてしまいます。

最初に姿を現したのは永久放浪者だった。永久放浪者は、商品を並べた黒い布を地面に広げて、その前に座って煙管(キセル)をふかしていた。並んでいる商品は石や貝殻だった。

 夜市。それは森の中の秘密のフリーマーケット。
 その存在を学校蝙蝠が教えてくれます。
 そしてふたりは異界へと誘われるように夜市に招かれ、そこには黄泉の河原で拾った石、なんでも斬れる剣、老化が早く進む薬……そんな物が商品として並んでいました。そんな夜市を見て回る内に、いずみは夜市の意外なルールを知ります。

 何かを買わなければ、ここからは出られない、と。

 そしてその事実を知ると同時に、いずみは裕司が夜市に来た本当の理由を知ることになります。裕司は子供の頃、弟とともに夜市に迷い込み、出られなくなった裕司は野球の才能と引き換えに人攫いに弟を売った、という過去があったのです。

 そう、そこでこの物語は、弟を買い戻すための兄の贖罪の物語だったのだと読者は気付きます。

 しかしこの物語についてこれ以上、語ることはできません。そんなことをすればネタバレだと言われて、友達を失ってしまうでしょうから。

 ただその世界が一変するような驚愕が根幹となって、『夜市』という物語は支えられています。

 そして、おそらくこの展開を事前に想像できるひとはいないんじゃないだろうか、と思えるようなその驚きが自然に現れるからこそ、結末の美しい余韻に深く頷けるのかもしれません。

 そして読み終えた一冊の本は、その内容、本そのものの佇まいとともにあなたにとって特別な一冊になったわけですが、残念ながら長い月日の中で単行本版はあなたの手元を離れ、今、本棚に残っているのは文庫版のみになってしまいました。

 でもそのページを開いて内容に触れれば、あの日の記憶まで蘇ってくる、あなたにとって特別な作品です。

 それからあなたは毎日のように本ばかり読むようになってしまいます。その間に、濃密な文章や不思議な物語、未知なる世界、と色々な作品と出会いました。その中にあって「特別優れた作品は何か?」と聞かれれば、悩みが深すぎていつまで経っても答えが出なさそうですが、ただ小説におけるあなたの原点はこの作品であり、何よりも思い入れ深い一冊が『夜市』になるのは間違いありません。

 そんなあなたは数年後、書店員となります。そしてやがてあなたは本を売る立場としてその本と携わることになるでしょう。

 でもそれはあなたがその本と出会ってから、十年くらい先のことです。

 そんな時、ふとあなたの頭にぼんやりとよぎるのは、
 この本と出会っていなかったら、書店員になっていなかっただろうなぁ、
 という想いです。

『夜市』は、そんなあなたの人生さえも変えてしまった一冊なのかもしれません。

 このブックレビューは、秋月みのりさんの、

 こちらの企画への参加のために書いたものになります。久し振りにブックレビューを書きました。ブックレビューを書かないブックレビュアーになりつつある(笑) ということでせっかくのブックレビューの企画だったので、ぜひこの催しには参加させていただきたいな~、と。

 秋月みのりさん、素敵な催しをありがとうございます!

 ちなみに秋月さんのこちらのブックエッセイが、

 とても好きなんです。

 まだ読んでいないひとは、ぜひ読んでみてください~。