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座右のnoteをめぐる旅
「座右の銘」……心に留め、自分へのいましめや励ましとする言葉。(「類語辞典」【講談社】より引用)
この世界には座右のnoteというものがあります。先日までは多分存在していなかったかもしれませんが、今は、ある。だって私がそんな言葉を創って、使ったから。
折に触れて読み返したくなるような言葉が紡がれ、変われない心を鼓舞し、変わっていきそうな心を戒める。立ち止まって動けなくなった時、手を伸ばしたら触れられる場所にあって欲しい……数日前、そんなnoteをめぐって私はひとり、かつて辿った軌跡を追体験するように歩み直してみました。
好きなnote、何度も読み返したいnoteはいくつもあります。でも敢えて〈座右のnote〉と記して紹介したい記事が二作品浮かびました。別の記事でも一度書いているので知っているひともいるかもしれません。その記事での紹介は簡単なものになってしまいましたが、こちらの記事ではもうすこし詳細に書きます。
一つ目は考え之介さんの記事、
「自分で繋がる人を選べる」時代だからこそ作ることのできる居心地の良い賛同の輪が、インターネットによって広がっていたはずの世界を逆に狭めていたのではないか、という話で、居心地の良い賛同の部屋(エコーチャンバー)の壁にひびを入れるためにもフォロー数をフォロワー数よりも多くする、という意志表明が綴られています。
考え之介さんはそんな言葉を荒くも激しくも書かず、静かに丁寧に言葉で表現しようとします。その姿は、〈誰か〉に説明や教示しようとするのではなく、〈自分自身〉がどうしたいのかを大切にしているようにしっかりと映り、だからこそその言葉や思考に強く惹かれるのだと思います。
色々な声が、多様な声が、なるべく聞こえる場所に立っていたい。自分が今、醜いと思ってしまうものは、本当はとても美しいものなのかもしれません。
この世界はオセロではなく、何事も白黒はっきり付けなければいけないわけではありません。当然のことですが、ときおり忘れてしまいそうになることがあります。だけど仮にこの世界がオセロだとしても、白は黒になり、黒は白になります。一面的な見方だけが許される世界なんて本当にあるんでしょうか?
二つ目は森とーまさんの記事、
これは私の座右のnoteだから、当然自分と重ねながら書いています。noteで書く理由、なぜ創作をするのかという理由。理由は十人いれば十通りあり、正しい、という観点はそこにあってはいけないと思っています。ただ自分の立場を明確にするなら、私は小説が読むのも書くのも好きみたいで、その延長線上としてnoteでの創作活動があります。悪く言えば自己満足で、そんな私にとって本来〈評価〉という概念は副次的なものでなければいけないはずなのに、ときおり、その副次的な部分が本来の目的を飲み込もうとする時があります。副次的ではあるけれど大切なものなので、悪いわけじゃない。ただ過剰になった時の自分を見失う状態はとても怖いものだと思っています。
そんな私にnoteでの一歩目を踏み始めた時の感覚を思い出させてくれるのが、この記事です。
評価にこだわり、得た評価の先に自分の見たいものがあるのか? もしも歩き始めた頃と景色が変わり、ふっと気持ちが立ち止まりそうになってしまったら、ぜひ読んでみて欲しいなと思います。
ランキングを上げたり、PVを底上げしたり、★をもらいまくったりして、何をしたいわけでもなかった。本当にしたかったことは、私の文章を読んでどう思ったかを、誰かに聞いて、その感想からまた新しい発見をしたり、想像を広げたり、お話の続きを考えたりして、楽しむ、ということがしたかった。
小説家は読者の成れの果て。そんな言葉を強く感じさせるような文章を書き続ける森さんの物語への、作品への愛に、胸が詰まったりもします。
……と、二作品、私から〈座右のnote〉を紹介しましたが、noteで活動しているひとなら多かれ少なかれこういった〈座右のnote〉に当たる作品を持っているのではないか、と思います。
思わず背中を押されてしまったnote、自身を省みてしまったnote……喜怒哀楽どんな感情であっても〈座右のnote〉は成立するものだと思っています。あなたの文章を、あなたの作品のためではなく、あなたの愛する誰かの作品のために綴ってみませんか? 誰かの何かを好きな気持ちが、誰かの好きに繋がっていく。感想を書く人間として時には辛辣な言葉もあったかもしれませんが、感想やレビューの本質ってそこだと(すくなくとも私は)思っています。
例えば「#座右のnote」みたいにしてみたり、とか。これは企画ではないので通知とかも付けなくて大丈夫です。勝手に盛り上がる形で想い入れを語り合う場が生まれたらな~なんて思ったり……笑
最初は企画にする考えも過りましたが、二つの理由から断念することにしました。ここからは話の本題とは逸れるので読みたいひとだけ読んでもらえれば。
まず第一に今後私は、noteを書いたり読んだりする頻度が以前に比べて大幅に減る可能性があるからです。まぁきっと自分の性格を考えれば書かなくなる、ということは当面ないと思います。別にこれは大したことではなく、私はnoteで文章を書いたり読んだりするのも大好きですが、それと同じくらいに本を読むのが好きな人間です。最近はnoteの作品に浸りきりになっている内に積読状態の本の数がおかしなことになってきて、それらの本をがっつり愛でたいわけですよ 笑
まぁ簡単に言うと読書時間を増やしたいわけです。
第二に……というか、まぁ実際はこっちのほうが理由としては大きいわけですが、私は強いられて読むのがひどく苦手な人間で、自発的に読むことを好む人間だからです。言ってしまえばわがままなので読みたくないものは読みたくない……と言いつつ実際はあんまり読みたくないものってないのですが、とりあえず強いられる感覚が苦手なのです。もしも企画として、やるなら全部読もう、とも思うだろうし……。
まぁ企画にしろそうじゃないにしろ、自分の手なんか離れて、好き勝手に誰かが見つけてきた好きなものを好きに語って、それを受けたひとと、やいのやいの語り合っているのを一参加者か見物人のつもりで楽しむほうが好きなのです~。
……と言って誰も書かなかったりしてね。そしたら自分でさらなるオススメnoteや新たな座右のnoteを書くだけの話です。
好きでいることは楽しさを守ります。奪われないように、あなたのお守りの言葉にさらに好きを注ぎましょう~。