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書けなかった、かつての僕へ

 昔ある好きな作家の小説を読んでいると、〈小説家志望や小説を書きたい、という人間は驚くほど多いけれど、実際に書いている人間は驚くほどすくない〉と大雑把に言うとこんな感じの内容の文章が出てきて、僕はその言葉にどきりとした覚えがある。

 何を隠そう、それを読んだ当時の僕は、小説家になりたいと口にしながらも、ほとんど大して何も書かない生活を送っていたからだ。わははっ。

 一度、小説家になりたい、と小説を書き始めて、その内に何も書かなくなって「小説を書きたい」「小説家になりたい」という願望の名残りだけが胸の奥底にへばりつき、だけど実際に行動として手足が動くことはない……。今、この文章を読んでいるひとの中で、どきり、としたかつての僕のようなひとも、もしかしたらいるかもしれません。いるでしょ~、ほらほら。隠したら駄目だよ~。

 僕に関して言えば、ある時期から小説はすっぱりと書かなくなりました。3、4年くらい書かない時期があったかな。もうあんまり覚えてないや。

 僕はまぁその後、なんやかんや、で本のレビューを書いたりしていたので、文章はそれなりに書き続けていたわけですが、小説を書くことになるのはnoteに来てからです。

 きっかけなんて偶然みたいなものです。noteに来て、そして何となく書き始めて、そのまま今に至る、っていう感じで、昔の謎の「小説を書かなければ……!」という謎のプレッシャーだけがあって、だけど何も書かずにいたあの頃と、趣味のようにして書き続けていられる今、と何が違うかっていうと、別に小説があの頃より段違いにうまくなったからではなくて、ただの気持ちの問題なんだと思います。

 たまに才能、という言葉について考えることがあります。僕はこの言葉に懐疑的ではありますが、それでもこうやって創作をする以上、考えずに済ませるのも中々難しいものです。プロになるため、コンテストで勝ち上がるため、の才能はまた別のものになるかもしれませんが、

 すくなくとも小説を書く上で一番大切な才能については、自分なりに現時点の解をひとつ出しています。

 この作品はフィクションなので虚構ももちろん織り交ぜてはいますが、ショートショートのひとつのオチとして提示したこの解は、書きながら、「確かにそうだよなぁ」なんて考えている自分がいました。

 ここからは自作品のネタバレをします。もし良ければ、短いので上の記事に目を通してもらえると嬉しいです。

 読みましたか?

 いいですか?

 大丈夫、という方は進んでください。


 もちろん考えなんてひとそれぞれで別にこれが絶対的な解などと言うつもりはありませんが、すくなくとも僕にとっての創作のマストアイテムは、道具ではなく、この考えだ、と思っています。

 小説を書きたい気持ち。

 鼻で笑うひともいるかもしれませんが、それでも僕はこの考えを持つことが小説を書く上で一番大切な才能だと思うのです。さっきも言いましたが、〈プロになるため〉〈秀でたものを書くため〉に一番大切な才能は残念ながらきっと別なものだったりするはずです。そしてそれについて僕が何かを言える立場にはありません。

 ただすくなくとも〈小説を書く〉一歩目を踏み出す、あるいは〈もう一度、小説に挑戦する〉再出発のために、一番大切な才能は、

 小説を書きたい気持ち。

 なのではないかな、と思います。

 メジャーリーガーだけが白球を追うことを許されるのか、みたいな感じで、下手なひとが書ける場があってもいいじゃないか……のようなことを言われるひとがいますが、これに関しては、気持ちは理解できるけれど、素直に首肯できない自分もいます。

 誰かの目の触れる場所に文章を置くのはやっぱり緊張するし勇気がいるし不安です。すくなくとも僕はその脆さもあるからこそ文章を書き続けていられる部分があると思うし、それに書けるのなら自分の思う面白く優れたものに限りたく近付けたい。そんな気持ちがあるので、「下手だっていいじゃないか」というような言い回しは使いたくないし、いまだに素直に受け入れられない部分があるのかもしれません。根底にある感情はそれと近いとは思うんですけどね……。

 僕が言いたいのはどちらかと言うと、

 自分より優れたひとがいる=小説を書く行為を断念する

 というこのふたつをイコールで結んでしまっていいのか、という感覚に近いのかもしれません。かつてこのふたつを僕は密接に繋げてしまいましたが、両方存在する上で、これらは別物なのです。

 かつて書けなかった僕はnoteにきっかけをもらいました。

 先日僕はひとつの問いとひとつのお題を、記事の形で投げ掛けました。これはもちろん書いていないひとだけを対象にしたものではありません。

 何度も言うと、それが逆に圧になるのではないか、という不安もありますが、本心なので繰り返します。決してこれは参加を強いるものではありません。本当だよ~。

 そもそも創作は書くも書かないも、そのひとの自由なはずです。

 それぞれのより良い創作ライフがあるはずで、noteにきっかけをもらった僕は、創作すること、あるいは創作について考えることの、なんらかのきっかけに繋がってくれれば、という気持ちで置いておきたい、と思っただけです(もちろん参加やお返事をもらえるのが、すごく嬉しいのも事実です。そこも隠せない本音です)。

 小説って、創作って、楽しい。人の目に触れるような形になれば恐怖を感じる時もあるけど、それを補って余りある楽しさがあるように思います。

 もしもそう思うきっかけになってくれたとしたら、置いた人間として、それ以上、嬉しいことはないような気がします~。