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【よみがえる遺産】しあわせの歌を口ずさむ

 今回、こちらの素敵な企画に参加させていただきました。チェーンナーさん、はじめまして、ありがとうございます!

「今は企画に参加してないんじゃなかったの?」と思った方もいるかもしれませんが、ここのところは心境の変化や落ち着いてきた部分もあって、いくつかの企画に参加していて、今回リレー企画のバトンも受け取らせていただきました。特にリレー企画などは期間中に書けない、あるいは出来ないのでは、という不安もあり、バトンを受け取れなかった(あるいは心苦しかったのですが、お断りさせていただいたり、と、みなさんその節は本当に申し訳ありませんでした……)ことが過去に何度かあったので、本当に久し振りです。

 今日はたまたまお休みだったこともあり、しっかりと時間が取れたので、バトンを頂いてから、ずっとこの記事を書いていました。そのせいで、ただただ今は眠い……。バトンを貰ってからわりとすぐに繋ぐ感じになってしまいましたが、こういうのは勢いと、私は野球で言うと左のワンポイントなる響きが好きなので許してください。

・ダッシュボードの<全期間>で一番ビューの多いnoteの画面のスクショを貼る(任意)
・一番読まれたnoteの記事をアップ(これは必須)
・感想、当時の心境、書いた動機、みなさんの言いたいことなどを書く!
・文字数は自由

 ダッシュボードのアクセス数を載せる、と思ったひと……残念! 私はそこは秘密のままにしておきます。noteのアクセス数が可視化されないところも、実は結構好きなんですよね。その代わりと言ってはなんですが、アクセス上位の記事一覧のみ載せたい、と思っています。

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 アクセス数上位の10記事ですね。割と最近の記事が多いですが、テッド・チャン『息吹』とか道尾秀介『いけない』とか初期のブックレビューが入っているのが嬉しかったりもします。

 ということで、私のもっとも読まれた記事は、こちら!

 もう今は亡き祖母との秘密の遠出を青年が回想する、というこの青春小説になります。元々は1年近く前に書いた小説を、8ヶ月ほど前にリライトした小説ですね。アクセス数は2番目と倍くらいの差があって、それはnote編集部のおすすめに入ったからで、外的要因が大きすぎて、残念ながら力作だからアクセス数が一番になったわけでもなんでもありません。それでもこの作品が一番上に来てくれるのは、やはり嬉しい、というか、ちょっとした感慨深さがあります。

 これを言うと逆に敬遠されそうな気もするのですが、私の過去に書いた作品の中では一番実体験を色濃く反映した部分があり、この作品には自分だけが知る懐かしいにおいがあったりもします。後、それまでホラーやそれ以外のジャンルでもビターなものが多い私の作風ですが、そこからすこし離れた作風に挑戦するきっかけになった、という意味では、創作の転換点のいくつかある内のひとつと言えるかもしれません。

 字数は9000字くらいの短編で、書籍として換算すると特別長いわけではありませんが、noteの一般的(?)な一記事の分量を考えると、結構長いのも事実です。私は昔から、読みたいものを読む、というポリシーなので無理強いはできないですが、読んでくれたらシルエット猫のアイコンが喜びます。

 ちなみに作中で一番印象に残っている文章を恥ずかしながら紹介させて頂くと、

それから祖母はゆっくりと運転するぼくの横で、回想するように語ってくれた。それはたのしかった日々、先ほどまでとは色調の違うしあわせだった頃の記憶。あの日に戻りたいという未練がましさは感じられない。ただ胸に秘めていた愛おしさを淡々と小出しにして、さっぱりとしている。

 という一節になります。以前書いた小説を読み返すと、たまに「本当に自分がこれを書いたのだろうか?」と思う時があります。それは自分の作品の巧拙の話ではなく、小説を書いている時、自分とは違う自分がいるのではないか、みたいな不思議な感覚になる、というか……何、言ってるんでしょうね……。

 今回この作品を読み返して来ました。

 多分、今書き直したらまったく別物な作品になるような気がします。そのくらいweb創作初心者にとっての8ヶ月近い時間は長い。その変化も悪いものではありませんが、それはそれとして、「意外と良いもん書いてんじゃん、自分」とたまには(最近はどんどん自分に甘くなっていて、たまに、どころではない気もしますが……)、褒めてやろうかな、と思います。

 興味がありましたら、ぜひ、どうぞ~。


 

 そして今回、バトンを回してくれたのは、

 きさらぎみやびさん。

 きさらぎみやびさんは良質な掌編小説・ショートショートを定期的に挙げていて、全部読めているわけではないものの、読んだ作品はどれも印象深く、私の中で特に記憶に残っているのが、

 こちらの「あなたの色で」という掌編小説です。

※ここから書く小説や文章の感想はネタバレには配慮はしていますが、未読の方はご注意ください。何よりも拙い感想よりも本文を読んでください。

 本作は色をテーマにした掌編小説で、8月の終わりに夏の色を決めかねている〈私〉が、空を白のままにしたキャンバスに悩み続けている、という導入で、作中では語り手の〈私〉が、職業としての絵描きなのか、それとも趣味としての絵描きなのか、あるいは別の何らかの理由で絵を描いているのか。そういったことが一切明示されていない、想像の余地の多い作品になっています。ただ自立支援施設で絵画教室をボランティアとして行った、という記述があるので、おそらくはプロかそれに近いひとなんだろうな、とも感じます。

 そしてこの時の生徒から渡された、その生徒の描いた無数の色の点描で構成された海と空を表したという小さな絵を偶然目に留めたことが、自身の色との出会い、原体験を呼び覚まします。

初めて24色のクレヨンを与えてもらった時のことを思い出す。
グラデーションに並べられたクレヨンは世界が原色だけで出来ているわけではないことを私に教えてくれた。

 そんな言葉とともに、経験したことで複雑に絡み合ってしまった糸を、何も知らなかったはじまりが解きほぐしていくように、綺麗な一本の糸となって新たなスタートが切られていく様子がとても心地良い一篇です。夏の空を一枚の絵にして切り取るように鮮やかな印象のまま物語が終わっていく、その余韻がとても好きです。



 そして私がバトンを回すのは、お二方。

 ふたりとも素晴らしい文章を書かれる方です。どうしても紹介したい作品があり、拙いものにはなりますが、併せて私の感想も添えさせてください。ぜひさらに多くの方に読まれることを願って……そんな気持ちと、どこかでその、ある2作品の感想をしっかりと書きたくて仕方なかった、という個人的な事情もあり、リンクを貼るのは直近のものではなく、その2作品です。

 一人目は七屋糸さん。私が好きな小説はこちらの、

 この頃、特に私は他の方の記事を読めていない時期だったので、作品を知ったのは投稿されてから、かなり後のことになりましたが、一読してその奥行きのある描写をずっと味わっていたい気分になったのを覚えています。

 現実と地続きにある幻想を静かなタッチで描いた短編小説です。

 舞台は公衆電話を使うのが一般的な時代背景も曖昧な時代の、雪が降り特別冷える季節の、黒い蝙蝠傘が景色に溶け込む夜。〈わたし〉は都会からほど離れた殺風景な駅のホームにいる。彼から「一緒に暮らさないか?」と告げられ、お互いの両親から反対されている関係でもあるため、すぐに答えは出せず、悩んでいる間に約束の日が訪れてしまった、という導入が抒情的な描写で紡がれ、その後、いつしか駅のホームから人の姿が消え、そこにいるのが〈わたし〉と見知らぬ老人のふたりだけとなり……、という形で話が展開していきます。

 細かな雪の降る夜のホームに、彼を待つ(あるいは待たせている、と言ってもいいかもしれない)〈わたし〉と、〈誰か〉を待っている老人。静かで穏やかなやり取りは、やがて老人の過去の話となり、現在の〈わたし〉の置かれた状況と対比するように、過去から現在へと繋がれていく。老人が語る、そのふたりの物語は、置かれた環境、状況は違っても、〈わたし〉の心情に変化を促していきます。知らない世界に、確かにそれは私の人生にもあったのかもしれない、と思わせてくれる瞬間があります。幻想の立ち込めていく世界は、懐かしいにおいがしつつも、まだ見ぬ未来に想い馳せたくなる。そんな感覚を抱くのは私だけではない、と思います。



 もうひとりは知って最初の頃にその記事を読んだ時、文章が鮮烈な印象として残った、Micaさんにお願いしました。急にお願いされてビックリさせてしまったかも……と思いつつ、こういう企画の時、私は普段のやり取りの量とか考えずに、書いて欲しい、と思ったひとに、お願いしちゃうので。

 そして私に鮮烈な印象を残したのが、こちらの記事、

 実はこの記事について言及するのも、初めてのことです。私は詩や音楽レビューを読むのもすごく好きなのですが、ただジャンル的な話で言えば門外漢なところがあり、小説やエッセイとは違って、読んで自分の胸に秘めるだけにすることが多いので、感想を書くのに、ちょっと今、想像以上に緊張していたりもします。

「話がしたいよ」を初めて聴いたときに胸がざわついたのは真の強さが垣間見えたからだ。君や僕と美しい思い出の断片だけでなく、未熟さや後悔もすべて受け止めて、包み込む強さ。
それは私がずっと欲しかったものだった。

 本記事は、2001年のうだる暑さの夏に、地元の小さなライブハウスでBUMP OF CHICKENの音楽を強く胸に焼き付けたMicaさんの実人生における関わり、その想いを導入にしながらも、当時の想い出に終始するわけではなく、今を、当時の感情と重ねつつも、そこに抱いた「何故そう思ったのだろう?」という自分自身への疑問符に対して、紡がれた歌詞や流れる音に丁寧に向かい合いながら、自分なりに答えを出していきます。

 この記事には 味わい感じたこと、疑問を抱いたこと、さらに想いを深めたいこと。それらを明瞭にするために、そこにあるものと対峙する。「あぁレビューって本来そんなものだったよなぁ」と感じさせてくれる真摯さをこの記事から受け取ったのです。私は音楽レビューの門外漢ですが、そこの部分は小説も音楽も同じなのではないかな、と。

本当の強さとは、弱さと向き合うことから始まる。
無論、この曲でもBUMPは自分たちを強いと評価しているわけではない。

誰だって突然強くなるわけじゃないし、仮に強くなった気でいても、一瞬で打ち砕かれるようなこともある。諦めや妥協を強さと呼ばなければならない時もある。
そう考えると、強さなんて推し量りようのない幻想なのかもしれない。

〈強い〉〈弱い〉という言葉は、ちまたではよく使われる言葉ですが、安易に使ってしまうにはあまりに違和感のあるものです。Micaさんは歌詞の中から〈強がり〉の視点を見つけ出して、時に無造作に外へと放たれてしまう言葉に、もう一度しっかりと目を向けるために、私たちの目を開かせようとしてくれているのかもしれません。

 導入の想いに変化を加えて、結ぶ〈終わり〉の章を読むと、仮にBUMP OF CHICKENの音楽を一度も聞いたことがないひとでも、「本当の強さ、って何だろう?」と考えたくなるし、そして紹介された曲はとても聴きたくなる。そんな素晴らしいレビューです。

 ……というか、音楽レビューを書いたことのない人間が、音楽レビューのレビューを書くって、どうなんだろう? 大丈夫かな? ……と思いつつ、

 素敵な記事なので、ぜひ読んでみてください。



 記事の形で、他の方の作品のレビューを書くのはすごい久し振りで、今調べてみたら約4ヶ月振りでした。今は他の方の作品の感想を書くことが全然できていない現状ですが、実は自分の作品の解題をするよりも、他のひとの素敵な作品の感想を書いているほうが、ずっと楽しい。

 まぁ……、というわけで、思ったよりも長めの記事になってしまいましたが、

 きさらぎさん、バトンをありがとうございます。
 七屋さん、Micaさん、バトンをお渡しします。
 チェーンナーさん、素敵な企画をありがとうございます。

 ではでは~。

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