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言葉の裏側【まとめ読み版】

人によって書かれる限り、言葉にはつねに裏がある。
          ――――佐藤蓮『裏側のない遺書、真実の告白』より

①覆面座談会編


〈エンタメ情報誌「ミケランジェロ」にて年末に開催された編集者による覆面座談会〉


 ――さぁこの座談会も今年で4回目になります。なんか年末の恒例行事みたいになってきましたねぇ。

A「なんか、やけにテンションが高いね」

 ――いや~、毎年この座談会が楽しみなんですよ。毎回メンバーが変わるのにいつも作品や作家への言葉に容赦がない! それに、ゲスい話も。働き盛りに当たる世代が平成生まれ中心になっているこの時代に考えられないほど、品性下劣。小説づくりに携わる者とは思えないほどに。いつもみなさんリミッターを外して暴走してくれるので、いやいや、関わることへの恐怖と同じくらい、期待があるんですよ。

B「初っ端から、司会者がリミッターを外して暴走しちゃってるじゃない」

C「そもそも作家や編集者だから品性がある、という考えがまず古いんですよ。知性や文章力と品性は別物です。知り合いの編集者から聞いたんですけど、中堅作家のOくんなんて、お気に入りの風俗嬢に入れあげすぎて、ついにはストーカー、一歩手前の状態になったらしいですよ。怖いお兄さんに殴られてようやく諦めがついたみたいですけど、『あいつがいなきゃ、俺は書けねー』なんて担当編集はその風俗嬢への未練をずっと聞かされる、って」

B「あのひとの作品って妙に説教っぽい、というか、私は会ったことないけど、噂を聞く限り、作品の雰囲気をそのまま作者に当て嵌めても納得できるようなひとみたいだね。これも噂なんだけど、よくドラマや映画化の話は出るけど、すぐに無くなるっていうのは聞いてて、すごく腑に落ちるっていうか。私たちの世代の女性なんかは、ああいう作品どうも乗れなくて」

 ――おおっと、もうアクセル全開ですね。このまま聞いていたいのは山々ですが、まずはこの座談会について説明させてください。この座談会は大手出版社5社に協力をお願いして、各社1名を選出、計5名による覆面形式の座談会でテーマに沿った何人かの作家とその作品への忌憚のない評価とそれに絡めて現在の出版界について語ってもらう、というもので……。過激な言葉がちょいちょい飛び出しては、毎年、一部で話題になって……。

A「あぁ、長い長い」

 ――いやいや、Aさんは唯一の皆勤賞だから聞き飽きているかもしれませんが、他の人は……(笑) そしてちょっと呑んできてますね。

A「好きにしていい、って言うから」

 ――もちろん。ここは時代から取り残された場所ですから。好き勝手にしてください(笑)

D「みんな自由ですね(笑)」

E「Dくんは今回一番年下だね。だけど今日は上下関係なんて気にせず、積極的に発言するといいよ」

A「まぁそういう言葉を鵜呑みにして、クビの飛んだ若手編集者を何人も見てきたけどね」

B「一番年上のAさんの若い頃ならそういう話がごろごろ転がってそうだけど、今はそういう上司なんて、ほとんどいないでしょう。Dくん、気にすることないから、頑張りましょ」

C「まったくBさんもEさんも、若い人に甘いんだから……。(司会者を見て)ほらっ、早く始めないと、無駄話で今日が終わりますよ」

 ――まぁその無駄話を聞いてるだけでも楽しいんですけどね。ではでは、今回のテーマと、俎上に上げられる作家と作品を発表しますね。

 今回のテーマは〈今年の新人王は誰だ?〉ということで、今後一番期待できる作家が誰か、今年話題になった3人の新人作家について語ってもらおう、と思っていて、


①佐藤蓮『地球爆破計画』
②大友圭介『ソールドアウト』
③内野浩平『信長の失恋』


 みなさんには各作品に忌憚のない評価をA、B、Cの三段階評価で付けてもらっています。

A「個性的な顔ぶれと言えば聞こえはいいんだけど、なんか物足りない、というか、食い足りない、というか……。地に足が付いていないんだよね。ふわふわしている。大人の読者を舐めているような作品が、最近、本当に多いよ。特に――」

 ――ま、まぁまぁ。では、まず①の佐藤蓮『地球爆破計画』から、お願いします。

A「評価はもちろんCだよ。大人の読者を舐めている作品の最たる例がこの小説。そもそもこのラインナップの中に入ること自体が、謎、だよね。小説のレベルが他の2作品に比べてかなり劣るかな。日本を壊そうが地球を壊そうが、そんなのは作者の自由だけど、必然性もなけりゃリアリティもない、文章力もなけりゃ、構成も下手。どこを評価すればいいんだろうね。こういうの書くなら、もっと腰を据えないと。小松左京先生が、『日本沈没』を半世紀近くも前に書いていた、という事実を、作者はもっと真剣に考えたほうがいいかもしれない」

B「いきなり、ばっさり(笑) まぁ確かに文章力やリアリティが皆無に等しいのは事実で、私の評価もCなんだけど、実は佐藤くんにはちょっと期待しているところもあって、男性なんだけど女性の書き方が悪くない、というか、良い線いってるのよね。実は今日のために、ちょっとこの作品のレビュー漁ったんだけど、逆に男性読者からは、この主人公の青年のなよっとした感じが受け入れられにくいみたい。でも私世代の女性には結構好かれる感じだし、若い男性アイドルでも起用して映画化すれば、ヒットするんじゃない」

C「まぁweb発の小説は映像化と親和性が強いですからね。でも今回は未来の映像化の話をしているのではなく、今ここにある作品と向き合う時間ですからね。……ということで、私もC評価です」

B「結局同じじゃない(笑) その心得は?」

C「語るに値しない。この作品にはそれでじゅうぶんです」

A「いやいや、言葉遣いは丁寧だけど、一番ひどいこと言ってるよ(笑)」

C「だって、ここは忌憚のない言葉で語る場なんですよね。だったら語る気のない作品に、言葉を費やしたくはありません」

 ――ははっ(渇いた笑い)。……では、次はDさん。

A「忌憚のない意見だからね。正直に答えないと駄目だよ」

D「は、はい。ありがとうございます。僕はA寄りのB評価です。確かに彼の作品は粗が多い。それに荒唐無稽という言葉に対して否定する言葉を僕は持っていません。ですけれど、壮大な世界を描きたい、という想いはおそらく今回の3作の中でもっとも強いと思います。破綻を恐れない自由さに僕はすごい惹かれます。そしていつかとんでもない傑作を書くと信じても――」

A「青いなー(笑)」

E「それが若さってものですよ。いや、羨ましい限りです」

A「Eくんも私に比べれば、だいぶ若いんだけどね(笑)」

E「いやいや、もう身体のあちこちがガタガタです(笑) あぁ、えっと評価ですね。私もB評価ですが、私はどちらかと言えば、C寄りのB評価ですね。まず彼は若い。若いっていいですよ。才能のある若者、ってそれだけで魅力的なんですよ。サガン、アルチュール・ランボー、綿矢りさ、平野啓一郎……若くから活躍する人しか放てない光彩があるのですよ。別に佐藤さんは彼らほど若いわけじゃないですが、やっぱり若さにはアドバンテージがあります」

C「作品の面白さがすべてで、年齢はそれほど関係ない、と私は思っています」

A「Eさん、また若い女性作家とトラブル起こさないでよ(笑)」

E「Aさん、またそんな昔の話を(笑)」

A「そんな昔じゃない気もするけど(笑)」

 ――と、とりあえず。まぁそろそろ次の作品に行きましょうか。次は大友圭介『ソールドアウト』を、お願いします。

A「最初の印象に比べて、読後感はそんなに悪くはなかったかな。ただ良くもなかった、というのが正直な印象。ほらコンビニが舞台だろ。なんか導入が、村田沙耶香の『コンビニ人間』みたいな感じがして、なんだ二番煎じか、って思って印象があんまりね」

C「コンビニが舞台ってだけで、他は何も似てないでしょう」

A「まぁそうなんだけどな(笑) 評価はとりあえずBかな。コンビニの売り切れによる、店員と客のトラブルが周囲の色々な人間に意外な影響を与えていて、大きな騒動に繋がっていく、ってところはいいよな。でもそれこそあれは伊坂幸太郎くんの初期作品とかの影響を感じるところがあって、うーん、もっとオリジナル性が欲しいな、と」

C「それに関しては否定できないところですが、ただ大友さんは抜群に小説づくりが上手い。結局小説に一番大事なのは技巧ですよ」

A「上手いだけで後に何も残らない作品を描く小説家って、かわいげがないんだよなぁ」

C「小説に大事なのは面白さと上手さです。かわいげを競う場ではありません。よって私の評価はAです」

B「私はごめん、C評価。確かに上手いかもしれないけど、男尊女卑の意識を、この人、根強く持ってるでしょ。私は嫌いだなぁ。女性を都合の良い物としてしか扱ってない作家って。私みたいな世代の女性は、こういうの特に嫌うよ」

C「彼は、決してその辺の意識に鈍感な作家ではないですよ。敢えての、意図的な創作を、いや、そもそも創作を、曖昧な感情論で非難されるのは、すこし心外です。まぁここで喧嘩するつもりはないですが、これ以上、そんな話は聞きたくないですね」

B「ごめんごめん」

C「いえ、こちらも言い過ぎました。じゃあDくん、忖度してはいけませんよ。本音で言ってください」

D「僕の評価はBです。人物の描き方はそこまで気になりませんでしたし、上手い小説だな、と思いましたが、やっぱり先行作の影響というのは気になりました。この部分は、あの作品のここで、みたいなのが透けて見える感じがちょっと……」

C「そうですか……」

D「すみません……」

E「まぁまぁ。……私の評価なんですが、私はC評価を付けさせてもらいました。私がもっとも嫌いなのは若作りです。若さへの未練たらしさほど反吐が出るものはありません。この作品が許されるのは、20代までです。なのに、作者の年齢は50代という話じゃありませんか」

C「その考えはどうなんでしょうか。問題は作品の中身であり、作者の年齢なんて関係ないはずです」

E「作品はひとが創るものである以上、その先にいる作者まで見るのは当然のことです」

B「まぁまぁ、小説の価値観はそれぞれ、ってことで(笑)」

 ――は、ははっ……(苦笑い)、まぁまぁ喧嘩は終わってからにしましょう。時間も結構経ちましたし……。最後は内野浩平『信長の失恋』ですね。お願いします。

A「今回の3作品だったら、これしか無いと思うんだけど。絶対評価でAだよ。不思議な手触りな作品なんだけど、その不思議さにリアリティがある。付け焼刃じゃない知識に裏打ちされたリアリティに、豊饒な物語。信長と藤吉郎の男性同士の恋を軸に、その中にひとりの女性を絡める三角関係があって、いいんだよ、これが。藤吉郎は女性にしか興味がないもんだから、信長の片想いになるわけなんだけど……。いやいや、読んでて胸が切なくなる作品なんだ」

E「年相応の落ち着いた物語を書いてますね。若作りをしていない作品ってのは好感が持てますよ。瑞々しさを文章に感じられないのは残念ですが、私もA評価です。多少相対評価も混じっていますが……。デビュー作ですが、来年の直木賞候補になるかもしれませんね」

A「残念ながら出版時期がちょっとずれてて、今年を逃したせいで、来年は対象外なんだよ」

B「男性の描く時代小説の女性って、私みたいな女性はすごい引っかかることが多いけど、これは悪くなかったな。価値観に現代的な考えがしっかり取り込まれている感じがする。後、派手なシーンも多くて、ドラマ映えしそうで、いいな、ってのもある。私も、もちろんA評価」

C「時代小説なんだから、当時の考えを反映させればいい、と逆に私は思いますが……、まぁこれは難癖でしたね。確かにこの作品には粗もあるけれど、確かに面白いし、Aさんがさっき言った〈後に残る〉っていうのも分かる作品です。『ソールドアウト』にA評価を付けたので、相対的にB評価とします。限りなくA寄りのB評価です」

A「あれっ、技巧至上主義のCくんがめずらしい(にやにやと笑う)」

C「……あ、いや、さっきは熱くなって、言い過ぎてしまいました……。すみません」

B「まぁまぁ許してあげましょうよ。気持ちは私も分かるし、Aさんも分かるでしょ?」

A「まぁ当然分かる。じゃあ最後にDくん。忖度をしてはいけないよ。本音で言いなさい」

E「そう、若いんだから、忖度なんて覚えちゃいけない。若い内は、鼻っ柱が強くていいんだよ」

D「僕は、……C評価です。まず僕はこの作品に新しいものを創り出したい、という想いを受け取ることができませんでした。女性の描き方ですが、僕は逆に都合が良い描き方をしているな、と思いましたし、〈若作り〉という表現がどういうものなのか、まだ分かりかねている部分はありますが、私はこちらの方に『ソールドアウト』よりも〈若作り〉的なものを感じてしまいました。とりあえずBLが世の中で人気みたいだから乗っかっておこう、というのが伝わってくるくらい、描写に心打たれるものがないんですよね。この作品、すくなくとも僕の印象には残りませんでした」

A「ふーん……勇敢だねぇ……」

D「すみません……嘘は吐けない性分なので」

 ――(司会者、慌てて)さ、さぁとりあえず、評価が出揃ったので、新人王を決めましょう。ほら、もう時間が……。

①佐藤蓮『地球爆破計画』
B評価 2個
C評価 3個

②大友圭介『ソールドアウト』
A評価 1個
B評価 2個
C評価 2個

③内野浩平『信長の失恋』
A評価 3個
B評価 1個
C評価 1個

というわけで、今年の新人王は内野浩平『信長の失恋』に決まりました!

(一同拍手)


〈座談会終了後〉



B「まさか選ばれた3作品の担当編集者がいる中で、講評することになるなんて」

C「わざとですよ。この座談会の企画者は底意地悪いことで有名ですから。それより私の担当した作品に、『男尊女卑がー』なんてひどいじゃないですか……」

B「本音で言わないといけないんでしょ」

C「全員に対してそうなら、私だって文句は言いませんよ」

B「だってAさんの作品に文句を付けたら、後で面倒くさいじゃない。正直一番読むのがしんどかったんだから。つまらない作品を褒めるの、本当につらいんだから」

C「気持ちは分かりますけど、彼は大丈夫かなー?」

E「あれこそ若さですよ」

B「あ、Eさん。AさんとDくんはまだ部屋の中ですか?」

E「険悪な雰囲気から逃げてきました。若い時は、あれでいいんですよ。まぁもうちょっとしたら牙も抜けていくんでしょうが……。それがとてもつまらないのは事実ですが、仕方のないことです。だから私は牙の抜ける前の若者が好きなんです」

C「でも……Dくんに、編集者としてのこれからがあるんでしょうか?」

B「あそこの出版社って、Aさんのパワハラがすごくて辞めていく編集者が後を絶たないって聞くからね。そんなAさんに目を付けられちゃって……」

C「あぁ、怖い怖い……、『忖度するな』『本音で言え』、ってわざわざ言った意味をしっかりと考えないと駄目だよ、彼は」


②新人賞編


〈第7回那賀川進歩エンターテイメント大賞 募集要項〉


 1970年代中盤、作者と同名の偉大な探偵・那賀川進歩の創造とともに文壇に颯爽と登場し、当初は謎めいた詳細と社会派ミステリ隆盛の時代に異彩を放つ作風で読者を魅了し続け、直江四十五賞を受賞後はその謎めいたベールを取り払うとともに作風の幅を広げ、多岐に渡るジャンルで現在もトップランナーとして走り続ける作家、那賀川進歩の功績の顕彰とエンターテイメント小説界を担う新人の発掘を目的として、本賞は創設されました。

・応募原稿は400字詰めの原稿用紙で300枚~600枚の未発表原稿に限り、二重投稿が発覚した際は失格とする。

・プロアマ問わず(ただし新人の発掘を目的という観点から、単著で出版された文芸作品が3作品を超える者は対象外とする)。

・9月14日の選考会を経て、受賞作を決定する。『小説幻影』紙上にて発表。



〈選考委員の略歴と応募者への一言〉



 釘沼太郎(くぎぬま たろう)
「今年から選考委員に名を連ねることになった釘沼です。私は第1回の受賞者でもあるので、なんだか故郷に帰って来たような、だけど当時とは肩書きも違うので、緊張や不安を感じてもいます。エンターテイメントの賞は面白さを競う場です。面白い、とは既存の枠組みに囚われない自由な発想から来るものであり、私が応募者に何よりも期待するものは、それです。『こんなもの見たことない!』そんな驚きで、私たちを唸らせてください」

〈選考委員略歴〉
 1980年生まれ。本賞の記念すべき第1回の受賞者であり、その受賞作『あなた、と、輪舞曲』で2013年にデビュー。SFやファンタジーの設定を用いたミステリでファンを魅了し続けている。近著は『続 あなた、と、輪舞曲』(2016年)。応募者にお薦めしたい一冊は立花隆『宇宙からの帰還』


 落選之巻(らくせんのまき)
「私は今回受賞する、一人か、あるいは二人になるのかは分かりませんが、その受賞者を除く全員の先輩に当たります。それは悔しいでしょう。でもその悔しさはきっとあなたの糧になる。落ち続けてください、それは挑戦をし続けている、ということでもあるのです。いつかそこから見出せる光があるはずです。私が言うと、説得力があるでしょう(笑)」

〈選考委員略歴〉
 1965年生まれ。小説の公募新人賞に100回落選した記録を綴ったブログが話題となり、そのブログ記事を書籍化した『私の落選履歴書、小説への愛ゆえに』で作家デビュー。その後は文芸評論やエッセイの分野で活躍していたが、2012年に念願の小説家デビューを果たすと、そのデビュー作が第148回芥子龍太郎賞を受賞。同時期に「abさんご」で芥川賞を受賞した黒田夏子とのテレビでの対談は話題にもなった。応募者にお薦めしたい一冊は鈴木輝一郎『何がなんでも新人賞獲らせます!』

 

 赤山青(せきやま せい)
「小説は才能の商売です。努力でどうなるものでもないでしょう。優しい言葉はひとを傷付けるので、私から言いたいのは才能が無いと思ったら、早々に見切りを付けてください。その見極めを各々がするために、公募新人賞はある、と思っています」

〈選考委員略歴〉
 1990年生まれ。2006年、とんび文学賞を史上最年少の16歳で受賞し、早熟な天才と評される。寡作だが、出版される作品はつねに高い評価を得ている。近年は俳優や脚本家としても活動していて、2018年には日本アルケニート賞の助演男優賞を受賞している。応募者にお薦めしたい一冊は……そんなものありません。今読み直しているのはサガン『悲しみよこんにちは』とのこと。


 那賀川進歩(なかがわ しんぽ)
「こう毎年思うのですが、自分の名の付いた文学賞の選考委員に自分が名を連ねるのはこそばゆいものがある、というか(笑) いつも……なんと言いますか、小説を志す後進の者たちが多くいて、心強いな、とほほ笑ましく読ませてもらってます。松本清張さん、森村誠一さん、筒井康隆さん、赤川次郎くん……まだ私のキャリアも浅かった(70年代、80年代のこと)頃、高みの存在だった方々に比べると、ずいぶんと華のない作家人生を歩んできてしまったな、とも思いますが、そんな私の賞にこんなにも応募者が集まってくれていることを考えると、私の人生も無駄ではなかったかな、と……。もうこんな年齢なのでいつまで続けられるかは分かりませんが、可能な限りは続けていきたいな、と思っております」(※去年の応募要項のための文章を再録しました)

〈選考委員略歴〉
 1940年生まれ。死を覚悟するほどの大病を患い、その入院中に読んだ江戸川乱歩、横溝正史、山田風太郎らのミステリに感銘を受け、1973年に『殺意の行方』を江戸川乱歩賞に応募するものの一次選考で落選(その年の受賞者は、小峰元『アルキメデスは手を汚さない』)。翌年、そのプロットの一部を用いた『那賀川進歩の憂鬱』でデビュー。この作品は横溝正史から激賞され、現在では明智小五郎、金田一耕助と並ぶ偉大な探偵のひとりとして数えられている。1981年『那賀川進歩の終焉』で日本探偵作家協会賞、1990年『椿と駆ける日日』で直江四十五賞、1994年『旅はもう終わり』で柴山遼太郎賞、2001年『黄色い部屋に告ぐ』で日本批評大賞を受賞。後進の育成にも尽力し、ミステリ界への功績は計り知れない。応募者にお薦めしたい一冊は……とにかく読んでください。書いてください。そのすべての経験はあなたの血肉となります、とのこと。


〈第7回那賀川進歩エンターテイメント大賞 選考会の様子(録音データより)〉



 ――みなさん今日はお集まりいただきありがとうございます。今回進行を務めさせていただきます、幻影社の大久保です。

「大久保さん、久し振り。元気にしてた」

 ――えぇ私は変わらず元気ですよ。落選さん。

「なら、良かった。ほら今年は出版界の訃報が相次いだからさ。俺よりすこし若いと言っても、お互い何があっても不思議じゃない年齢になってきたな、と思って、急に不安になる時があるんだよ。だからこうやって顔を久し振りに見ると、すごくほっとするね」

「今日は那賀川さんは、やっぱり……」

 ――えぇ釘沼さん。書面回答という形でもらってはいますが、これを有効の形にするべきかどうかは迷っています。もう病状もかなり悪いと聞いていますから。それにあの内容はさすがに。

「那賀川さんと最後に会ったのは、もう5年くらい前だけど、その時点でかなりぼけている感じがしたからなぁ。俺の名前も何度か間違えていたし……。あれだよね。世間には公表しないっていうスタンスはまだ続けてるんだろ。でもさすがに文学賞の選考委員はもう無理だよ。言っちゃ悪いけど、もし俺が応募者だったら、そんなひとに講評されたくないもんなぁ」

「ですが、仮に読まれなかったとしても、那賀川進歩から褒められた、という称号は嬉しい、というひとは多いと思いますよ」

「赤山くん。そうか……? 俺はどんなにそのひとがすごかろうが、読んでない状態で評されたら、どんな褒め言葉でも怒るけどな。昔、ある文学賞落ちた時、俺の作品を唯一褒めてくれた選考委員が、後でまともに読んでなかった、って知った時、もうあいつの本、絶対に読まない、って決めたもん。選ぶ立場になったなら、それがどれだけ不本意な受諾だったとしても、ちゃんと読むべきだと俺は思うね」

 ――おっしゃる通りです。ただ落選さんも知ってるとは思いますが、那賀川先生はこの賞にただならぬ想いを注いでいますから、私からは何とも言えません……。特に前の〈那賀川進歩ミステリ大賞〉の頃は、さらに応募者がすくなく、有望な作家を発掘できないまま終了しちゃってますから……。

「あれは最終選考の委員を那賀川さんひとりにしたからだ、と思うけどな。こんなこと言っちゃ悪いけど、典型的な、書く資質はあるけど、読む資質はないひとじゃないかな、あのひとって……。もしかしたら病気の進行が当時からあったのかもしれないけど、ね。今だから言うけど、那賀川進歩ミステリ大賞の最終選考に残った俺の作品が落ちた時の受賞作を読んでね、俺、三日くらい眠れなかったもんね。ちょっとこれはひどすぎ……って怒りで。今だから笑い話で済ませられるけど……。後、まぁ正直、那賀川さんの賞に送るくらいなら、〈横溝正史ミステリ&ホラー大賞〉とか〈江戸川乱歩賞〉に送りたいよなぁ。やっぱ作家としても賞としても、やっぱお二方は華があるもん」

 ――ま、まぁまぁ、そのくらいに……。ちなみに今の、そのお話に出たかつての受賞者の方、実は今回の応募者の中にいて、二次選考で落ちてるんです……。私はあの方の作品、出版されたものもそうですし、下読みでも何度か読んでますが、意外と嫌いじゃないんですが。確かに評価は分かれるタイプですよね。

「んっ? というか、あの人、もう3作以上、本出してるんじゃ……。要項違反じゃ?」

 ――あのひとは那賀川先生との共著もそうですが、基本、アンソロジーや共著で出版された作品が多いので。ルール違反ではないんです。

「落選さんや釘沼さんも以前、那賀川先生と共著で作品を出してましたよね。ほとんど那賀川先生は内容にタッチしていない、って話を聞いたことあるんですけど、実際のところ、どうなんですか?」

「赤山くん。きみは遠慮せずに、いつもずけずけ聞くよね。落選さんはどうか知らないですが、私に関してはもうほぼ私が書いています。後、那賀川さん単独の作品で、私が内容を似せて書いたものも――」

「ちょ、ちょっとちょっと! それは言ったらダメな約束だろ。しかも単独の作品の内容にタッチしてる、って、それゴーストライターじゃん」

「知らなかったんですか? 那賀川さんのここ10年くらいの作品はすべて他のひとが書いてますよ。私も共犯者のひとりです。いや、私は別に那賀川さんに恨みはないですよ。那賀川さんも本意ではないの知ってますから。一部の編集者への恨みは強いですけどね。後、このゴーストライター活動のせいで、自分の作品が書けやしない。私だって単著はまだ3作しかなくて、最後に出版された単著は4年前ですよ。本当だったら、新人の気持ちでこの賞に応募することだって可能なんですよ。あいつらのせいで私は実績のないまま中堅作家になった、と思っていますから」

 ――先輩には黙っておきます。

「幻影社さんはそこまで露骨ではないので、そんなに怒りもないですけど、私が許せないのは桃岩書房さんですよ。あそこの、荒木さんは本当にひどい」

 ――……あぁまぁ荒木さんは特殊、というか。あのひとの話を始めると、永遠に話が終わらなくなるので、本題に戻りましょう。

「本題はすぐに終わらせるつもりですけどね」

「それでもうきみの今回の感想が読めたよ」

「その予想は完璧に当たってますよ。釘沼さん」

 ――私もなんとなく予想が付きましたが、とりあえずはまず、今回の最終選考に残った作品を紹介させていただきます。


 ハットリハンゾウ『戦のはじまり』
 柿田信彦『殲滅』
 佐藤蓮『あこがれ』
 保谷十四『悪魔の正義』


 の4作品です。では、すぐ終わらせる、と言っていた、赤山さん。その言葉の意味を教えてください。

「受賞作なしです」

「やっぱり、か……。きみは厳しいからね。ただひとつひとつの作品について、まず話していくのが筋だと思うよ」

「筋書きのないドラマを紡いでいくのが、小説ですよ」

「赤山くん……きみは微妙に言葉選びのセンスが年齢に合ってないよね」

「老成しているから、若くしてデビューできたのかもしれませんね」

「そして生意気だね」

「分かりました……。ではひとつずつ作品を見ていきましょうか」

 ――では、まずハットリハンゾウさんの『戦のはじまり』から。

「正直俺ね。自分のことを棚に上げて言うけど、これペンネームひどいよね」

「確かに棚に上げないと言えないですね。まぁペンネームは受賞したら変えればいいだけの話なので、大事なのは内容ですよ。はっきり言って時代小説は守備範囲外なので、時代背景の正しさ、に関しては分からない部分も多いですが、それ以前の話で、文章がまるで駄目。こんな味気ない文章で、よく小説を書こうと思いますね」

「そうか? 読みやすくて悪くはないと思うけどな。時代考証に関してはあんまり熱心な感じじゃないのかな、って気がするな。テンポが良くて、展開も二転三転するから、読んでいて飽きない感じがいい」

「……というか、ここにいる3人は誰も時代小説書かないし、まぁ正直、私はそうだし、おそらくお二方もそうだと思うのですが、この手のジャンルの良い読者でもないですよね?」

「そう、だからジャンルを絞らない賞の選考って嫌なんだよ。良いのか悪いのか、の判断しきれないものを判断しなけりゃならない」

「そういう時は文章で判断すればいいんですよ」

「いや、それだと他の魅力を取りこぼすことになるし、それに俺はこのひとの文章がそんなに悪いとは思わない。ただちょっと気になるのは、心理描写の雑さだな。この時代の価値観は現代とは違う、って言われりゃ返す言葉もないが、死を覚悟した人間の恐怖が伝わって来ないな、ってのが気になる。タッチは軽くても、死や生を扱ってんだから、もうちょい書き方ってのが、あるだろ、って」

「いや、もうこの作品は全部が薄いんですよ。ペラペラです」

「まぁ赤山くんの言い方はどうかな、と思うけど、私もほぼ同意見かな。暇つぶしで読む分には良いけど、それ以上でも以下でもない」

「まぁ2000年以降の那賀川さんの作品もそんな感じの多いから、那賀川賞に合っていると言えば合ってるけどね……。最近評価を持ち直してきた、ってもっぱらの評判だけど、ほとんど自分で書いてないからなぁ」

「那賀川さんの悪口はそこまでに。笑いが止まらなくなりますから」

 ――まぁ、この作品についてはこんなところですかね。次の作品に行きましょうか。次は、柿田信彦さんの『殲滅』です。

「私は結構、この作品を買ってます」

「へぇちょっと意外だな。釘沼さんは端正な本格ミステリが好みで、他のジャンルだとしても緻密な作風を買うかな、と思ってた」

「もちろん好みで言えば、そうですが……。最近の冒険小説って、妙に生真面目、というか、おとなしい印象があって、せっかくフィクションの、しかも世界を舞台にした作品なんだから、荒唐無稽でも壮大なものを、って気持ちが、最近、特に強くて。その点、この作品はフィリピンでゲリラ武装した連中に襲われる導入から、最後はサハラ砂漠で終わり、っていう柄は大きい」

「まっ、それも分からんではないけど、でもやっぱりこういう作品ってリアリティが大事だよ。説明調の文章で土地のにおいが一切感じられないし、多分、作者はその場所に行ったことがないんだろうなぁ」

「行ったことがなくても書き方次第でどうにでもなりますよ。それが作家の想像力です。取材を怠った、とか、そんなことはどうでもいいんですよ。想像力の欠如が感じられる時点で、ぼくの評価はさっきの『戦のはじまり』よりも低い」

「本当に容赦がない。昔から思ってたんだけど、若い頃から活躍してる作家って、総じて後進に厳しいよな」

「ひとくくりにしないでください」

「悪かった、悪かった。まぁ俺は冒険小説を書いているから、そのせいで多少厳しくなっている面は否定しないが、新人に求めるハードルは高くていいと思うんだ。赤山くんほどじゃないけど……。そうじゃないと、どうせ後で苦しくなるだけなんだから」

「そのジャンルを書いているひとに対して、他ジャンルの人間が反論するのは中々難しい話ですが、ただ私自身、一番楽しく読んだのも事実ですし、何よりも主人公が魅力的なので、私は受賞作候補として推します」

「ふぅむ。そんな魅力的か、この主人公? 普通の会社員のはずなのに、途中からは超人みたいになって……。こういう部分を納得させてくれない、と俺は嫌だな。まぁ、でも今回は全体的に微妙だから、相対的に見ると上位に来ちゃうのも事実なんだけど……。うーん。とりあえず積極的には受賞には反対しないけど、賛成もしない、って感じかな」

「ぼくは、反対です」

「受賞作なし、言ってるくらいだからね」

「まず相対評価って考えが嫌だ。絶対的なものが決められないなら、それは、なし、でいいんですよ。無理して出す必要もない」

「今あるものの中から最善のものを、というのが私の考えです。出せるならば、出したい」

「別に今年で終わりの甲子園じゃないんだから」

「今年で終わりのひともいるかもしれません。可能性は狭めるためではなく、広げるためにあるのです」

「……いやもちろん釘沼さんの考えにまで否定はしませんが、ぼくも受賞作なしを引っ込めるつもりはありません。受賞のレベルに達したものがないんですから」

「ちなみに赤山くんはもし相対評価で選ぶとしたら、っていうのは、ある?」

「ない……って言いたいところですが、もし仮にひとり挙げるなら『あこがれ』です。今年のとんび文学賞の受賞作に比べれば、全然こっちのほうが、ましですが、やっぱりこれも文章が酷い。前のふたつと違って、自分に酔っている、というか、文章力があると勘違いしているから、余計に性質が悪い。まぁでも自分という色をはっきり出そうとしているところは買います」

 ――では次は、その佐藤蓮さんの『あこがれ』に行きましょうか。

「というか、彼、去年出したデビュー作の『地球爆破計画』って結構話題になってたよな。年末のランキングか何かに入ったんじゃなかったっけ? あのくらい話題になったら、次作も書かせてもらえるだろうに」

 ――入ってませんよ。ただ何人か今年の1位に挙げている作家や書評家の方がいました。私はあんまり良いとは思いませんでしたが……。彼の作品を1位に挙げた方の鑑賞眼は当てにしないほうがいいかもしれません。

「おいおい。私情が……。そう言えば、彼のデビュー作の担当編集って、若手の、最近辞めた子だったよな? あれ、なんで知ってるんだっけ? あぁ、そうだそうだ。思い出してきた。確か覆面座談会で荒木さんと揉めたって子だろ。噂は聞いたよ。言い返したくなる気持ちは分からんでもないが、その子も我慢したほうが良かったし、荒木さんも……まぁあのひとはもう変わりようがないか……」

 ――荒木さんの性格が変わるより、天と地がひっくり返るほうが可能性も高いでしょう。

「というか私もあの記事読みましたが、Cさん、に当たるひとって大久保さんでしょ? Bさんとのやり取り見ながらにやにやしちゃいましたよ」

 ――やめてくださいよ。本当にあそこは底意地が悪い。絶対知ってての人選ですよ。まったく……。

「元奥さんが座談会にいるってのも大変だな」

 ――確かに、あんまり気持ちのいいものではありませんが……。まぁもう別れて結構長いので、接し方は他の方ともちろん変わらないですよ。

「というか、あれ読んで、本当に荒木さんは相変わらずだな、って思ったよ。覆面付けてても、すぐに荒木さんって分かるもん。しかしその若い編集者も可哀想に……。あぁつまりはそのばたばたで次作の話が立ち消えになったから、この賞に応募、ということ?」

 ――なんでも次に出版する予定だった作品みたいですよ。

「はぁ、なるほど……、180度作風を変えてきましたね。私は前の『地球爆破計画』のほうが、まだ良かったかな、って感じですね。というか、これはもうエンタメじゃないですよね」

「うん。エンタメじゃない。すくなくとも俺の基準では」

「エンタメとか純文学、っていう区切りなんて曖昧なものにこだわる必要はないと思いますね。問題は優れているかどうか。面白いかどうか。……です」

「その面白さのベクトルが俺たちの求めているものと違う、ってことだよ。漫画家の青年が、初恋の女の子をモデルにしたヒロインの作品を書いている内に、その登場人物に執着するようになって、今度は主人公の男の子を自分に似せていく……。そして現実にそのヒロインが現れて現実と虚構の区別が付かなくなって、ってもうなんか延々と妄想を聞かされる感じが、正直つらい。……というか長い。せっかく評価をする気になった赤山くんには悪いが」

「別に構いません。正直、大して推しているわけでもないので……」

「『地球爆破計画』寄りの作品だったほうが、まだ可能性があったかもしれませんね。作風の変更が裏目に出た感じですかね」

「だな。……でも彼がちょっと可哀想だなって思うのが、今後、どのジャンルからも、うちのジャンルではない、って弾かれそうな感じが、なんとも言えないな……。ジャンルへのこだわりが強い人から嫌厭されそうな気がする。そういう意味ではこういうエンタメ全般を対象にする賞で受賞させてあげたほうが――」

「それは私たちが気にすることではなく、彼自身が気にすればいいだけの話です。今はここにある作品について判断しましょう。私も意見としては、落選さんとほぼ同じです」

 ――結局、内輪の話ばかりになってしまいましたね……。最後は、保谷十四さんの『悪魔の正義』なんですが、どうします?

「どうします? やらなくていいなら、これで終わりにしてもいいけど……。というか、これ本当に候補作?」

「二重投稿が発覚して落ちた作品の補欠として挙がってきた、と聞きましたけど……」

 ――ええ、そうです。

「そんなに不作だったの? これを最終に上げないといけないくらい。というか無理に増やさなくてもいいよ。暇に見えるかもしれないけど、結構忙しいんだから。というか、応募者全員に言えるけど、選考委員の作家はみんな、自分の作品を書く大事な時間を削って選考に当たってるんだから。まだ本になってないから人に読まれる意識を持たなくてもいい、って考えはどうかと思うよ。この作品は特にその印象が強い」

 ――まぁ……豊作とは言いがたいですね。

「だとしても……これは……。100回は読んだことのあるような、社会派ミステリを今さら、どう評価しろ、と……。死刑制度に踏み込んだ作品を書いているから志が高い、っていう時代はとっくに終わってるよ。いやメッセージ性を持つのは全然良いことだと思うけど、物語づくりの下手さが、そのメッセージ性を台無しにしてるよ」

「私も同感です。作者は20年か30年くらい前の社会派ミステリを何冊か読んでから自分の作品を読み直してみるといいかもしれない。きっとそれよりも古く感じる、と思うから」

「文章も悪い意味で古いです。色褪せている」

 ――3人ともこの作品は、なし、と……。

「まぁそうだね。これは誰も評価しないでしょ」

 ――うーん、その……。

「もしかして大久保さん、推してる、とか……?」

 ――あ、いえ、決してそういうわけではないのですが……。いえ、とりあえずいったん忘れてください。話は戻しますが、では話を総合すると、みなさんが受賞作でも良い、と評価しているのは、


 釘沼太郎さん→柿田信彦『殲滅』
 落選之巻さん→ハットリハンゾウ『戦のはじまり』
 赤山青さん→佐藤蓮『あこがれ』(or受賞作なし)


 ということで、よろしいでしょうか?

「ちょっと待ってください。ぼくは最初から、受賞作なし、の一択です」

「いいじゃんか、別に。とりあえず受賞作出しとけば」

「嫌です。ぼくがこんな低レベルな作品を褒めたってなれば、自分の人生の汚点になる」

「そんな大げさな」

「まぁじゃあこの時点で、保谷十四さんの『悪魔の正義』は落ちた、ってことでいいかな」

「そうだな」

「『あこがれ』もです」

「はいはい。分かった、分かった。じゃあ残った2作についてだけど……」

 ――いえ実はそういうわけにはいかないのです。

「んっ、ということは、もしや」

 ――えぇちょっとタイミングが遅れてしまいましたが、書面回答を確認したところ、那賀川先生の受賞作候補は、


 那賀川進歩先生→保谷十四『悪魔の正義』


 とのことです。

「いや、まさか……。正直、那賀川さんは『戦のはじまり』だと思ってた。だから受賞作はこれで決まりかな、って」

「ですが、本当に今の那賀川さんは当てになるのでしょうか? 理由を教えてください」

 ――それが大変言いづらくて……。というか、那賀川先生は無視していいと思うんですよ。もう作品を読めるような状態じゃないんですから。

「まぁ確かに。でも理由があるなら、それは教えてくれよ」

 ――これは私の言葉ではないので、私に怒らないでくださいね。理由なんですが、〈14日が決定の日らしいので、保谷十四は縁起が良さそうだ〉とのことです。

「なんだよ、それ。那賀川さん、もう自分が作家だってことも忘れてんじゃないのか?」

「なんか、馬鹿らしくなってきましたね。選考委員の代表が、こんな適当って……」

「結局、そんなもんなんですよ。コンテストなんて。受賞作なし、にして終わらせましょうよ」

「いや決める。もうこの際、那賀川さんの意志に沿って縁起を重要視しよう」

「何を言ってるんですか、急に……」

「じゃんけんしよう。釘沼くんが勝ったら『殲滅』、俺が勝ったら『戦のはじまり』、赤山くんが勝ったら受賞作なし」

「投げやりですね。でもまぁ那賀川さんの言葉聞いたら、私もどうでもよくなってきました」

「もうこの時点で多数決なら負けてるんで、いいですよ。別にそれでも」

「よし、行くぞ。最初はグー、じゃんけんぽん。……赤山くんの勝ち、か。最後に聞くけど、本当に『あこがれ』じゃなくて、いいんだな?」

「もちろん。ぼくの答えは最初から決まってます」

 ――では今回は、受賞作なし、で……。

「はぁ、終わった、終わった」

 ――あの釘沼さん、後、すこしだけいいですか? あぁ落選さんと赤山さんは部屋から出て頂いて大丈夫ですよ。

「どうしたんですか?」

 ――いえ。実は釘沼さんに、選評に載せる那賀川先生の文章のことで、お願いがありまして……。



〈『小説幻影』10月号 第7回那賀川進歩エンターテイメント大賞の選評を抜粋 那賀川進歩評〉



 今年で7年目になる那賀川進歩エンターテイメント大賞ですが、今年も有望な新人が揃っていて、小説の未来は非常に明るい。ただ文学賞の場では、作品の力以外の作用が働くこともしばしばあります。選考委員との兼ね合いや運不運……。今回悔しい、という想いを抱いた方も決して挫けずに、新たな傑作を創り上げてください。雑な選考を行うコンテストもあるとは聞きますが、すくなくとも今回の選考において誰一人として、適当に、作品と向き合おうとする者はいませんでした。

 各作品の美点、欠点はおそらく他の選考委員たちが詳細に語ってくれるはずなので、私は気になったふたつの作品について言及したいと思います。私が気になったのは、柿田信彦さんの『殲滅』と保谷十四さんの『悪魔の正義』です。前者はフィリピンに出張中の会社員が風俗に立ち寄った帰り、武装ゲリラに襲われ、そこから脱出したと思ったら、また別の集団に襲われ、と各国を転々とする話です。ガイドブックのような趣きもあってとても愉しいと思ったのですが、現地のにおいがしない、主人公が前半と後半でまるで別人という反対意見が出て、惜しくも受賞とはならず。後者は初めて清張さんの小説に出会った時の興奮がよみがえって来るような懐かしさがありました。とにかく志が高く、作家になりたいから小説を書いているのではなく、これを書かなければ死んでも死にきれないから、とりあえずその方法のひとつとして小説という形式を選んでいる。その姿勢が、すごく嬉しい。今回は、受賞作なし、という残念な結果に終わってしまいましたが、お二方の今後には、よりいっそう強い期待を抱いています。

 私が選考委員に名を連ねるのは今回で最後になります(次回からの選考委員長は釘沼くんです)。

 年齢も年齢なので(笑)

 ……とはいえ、私もまだまだ元気なので、新たなライバル、そして読者として、次なる受賞者を待ちたい、と思っています。


③ドキュメンタリー、通販サイト編


〈夕方ワイド番組内で放送されたドキュメンタリーコーナー「サムシング」。「再起をかける作家を支える妻」の回より〉



 ――さてここからは話題を変えて、当番組の人気コーナー。毎回ひとつの職業に注目し、その現場で闘うひとをサポートするその周囲にもスポットを当てていく。それをドキュメンタリー形式で紹介していくこのコーナー「サムシング」ですが、芸能人夫婦に焦点を当てた前回に続いて、今回もテーマは夫婦。タイトルは「再起をかける作家を支える妻」。売れない、と苦悩する作家とその作家を献身的にサポートする妻……一組の夫婦に密着しました。彼らの姿を私と一緒に今回見守ってくださるゲストは、コラムニストの山中萌さんと小説家の大蔵省吾さんです。今日はよろしくお願いします。

 ――よろしくお願いします。……ちょっとだけ気になったのでいいですか?

 ――山中さん、どうされましたか?

 ――献身的にサポートする妻、という言い方がちょっと気になる、というか。いえそういう女性がいる、というのは分かります。……ただそういう言葉を安易に使ってしまうと、〈妻=献身的にサポートするもの〉という誤解を与えかねない、と思うんです。今回がただの一例に過ぎないことは、声を大にして言っておきたいな、と……。

(テロップ)「山中萌
 コラムニスト・小説家。社会への違和感に対する鋭い批評が話題を集め、『口喧嘩で負けてはいけない』『これからの女性の話をしよう』『未来・性・わたしたち』などがベストセラーに」

 ――失礼いたしました。

 ――まったく正反対のふたりをゲストに選んだね。

(テロップ)「大蔵省吾
 元教師・小説家。教師時代のセクハラ冤罪トラブルを物語化した『ジャズの音はもう聞こえない』で作家デビュー。現在は作家業のかたわら、問題児の更生などにも取り組んでいる。歯に衣着せないその言葉が話題に取り上げられることも多い」

 ――この映像に、おふたりがどんな印象を持つか、私も今から楽しみです。



(ナレーション)ふたりが出会ったのは大学生の頃――。結婚する前も含めれば、15年以上の付き合いになる、ふたり。当時を振り返る過程で、奥様の理沙さんにスタッフがふと尋ねる。

 ――後悔って、ないんですか?

「探せばきっと後悔ばかりですよ。ひとつひとつの部分を拾い上げていく、と後悔しかしないから、私はそんなことしないんです。そういう嫌な部分をひっくるめても、私はこのひとといたい。それを信じているからこそ、今の暮らしを続けていられるんです」

(ナレーション)今回ご紹介するのは、作家の佐藤蓮さんの妻、佐藤理沙さん。

 ――ご主人は今日?

「ファミレスに行ってます。家では集中力が途切れるから、ってことで、平日はいつもノートパソコンを片手にファミレスで小説を書いてますよ」

 ――失礼ですが、お仕事、って作家業だけで食べていけてるんですか?

「もちろんそういう時期もありました。特に直江賞の候補になった後は。主人もこれでいける、と思ったのか、専業作家を決断したわけですが、見通しが甘かったですね。『夫婦で暮らしていく程度なら、作家だけでなんとかなる』って自信があったみたいなんです。大して相談もしてくれませんでした。だけど……まぁ現実は厳しいですよね。今、彼はコンビニの深夜のアルバイト、私はスーパーでパートをしています」

 ――今、作家としての給料って、どのくらいなんですか?

「ほとんどゼロに等しいですよ。もう本だって三年くらい出してないですから」

(ナレーション)佐藤蓮は1987年生まれ。2019年『地球爆破計画』でデビュー。その後、4年の沈黙を経て大作『聖域を踏む』を刊行。この作品が直江賞の候補となる。『あこがれ』『旅行嫌いのおじさん』『狂えるキャンディの日々』など作品の刊行が続いたものの……。

「『作家はつねに新しいものが求められる。もうきみの作品は色褪せてしまって、戻ることはなくなってしまったんだよ……』って当時よく主人の小説を出版してくれていた出版社の担当編集さんに言われて、そこから歯車が狂い始めた、というか……。その言葉に縛られて書けなくなっちゃったんです。書けない作家に書く場を与えてくれるひとはいません。過去に実績がある、と言っても、役に立つ、というレベルのものではありませんでしたから。最近の執筆状況なんて私には一言も教えてくれません。昔は書いたらまず私に読ませてくれたんですが……」

 ――奥様にとって、佐藤蓮さん、という作家の小説はどう映っているんですか?

「私はすごく面白いと思っています。……とはいえ、私はそんなに小説を読むほうではないので、当てにはなりませんが。でも私は大好きで、彼に何度も伝えたことがあります。でも彼は私の褒め言葉が、身内だからの言葉に聞こえるのか、それとも素人だからなのか、あんまりアドバイス的な意味としては捉えていないみたいです。当然の話ですが……。最近は編集者の方ともやり取りをしていないからか、「ナイル」で過去作品のレビューを見ながら、改善点を探しているみたいですね。精神的に強いほうじゃないんだから、見過ぎはよくないって言ってるんですが、やっぱり作品の評価って気になるんですかね?」

(ナレーション)「ナイル」はアメリカに本社を持つ大手通販サイトで、購入者が五つ星で商品に対する評価と感想を書ける仕組みになっている。

 ――では逆に旦那さんとしての、佐藤蓮さん、はどのように映っていますか?

「穏やかで、優しいひとですよ。たまに『あぁこのひと小説家だったんだ』って思い出すくらい、特別感の薄いひとと言いますか。誤解を恐れずに言えば、どこにでもいるようなひと、なんですけど、それがすごく好ましいんです。ただ……子煩悩な性格のせいか、やたらと子供の話をする時があって、悪気は無いと思うんですが、軽いプレッシャーを感じる時があるんです」

 ――喧嘩とかはないんですか?

「ほとんど喧嘩はしないです。お互いに言いたいことがあっても口に出さずに、自分の中で折り合いを付けてしまうことが多いので。それにまぁわざわざ言葉にするのも恥ずかしいのですが、客観的に見ても仲の良い夫婦なのかな、って思います」

 ――最後に、これは作家として、あるいは人間として……そのどちらでも構わないのですが、再起をかける旦那さんへの想いを一言、いただけないでしょうか?

「最初にもお伝えしましたが、やっぱり後悔だったり、嫌な想いをしたりすることもあります。だけど私はこのひとを選んで、一緒にいたい、と思って、そして信じたい、という気持ちがあります。今後作家として彼がどうなっていくのか、もちろん作家業を辞める可能性だってある、と思っています。実際にそんな話が私たちの間で出たわけではないですが。今後のことなんて分かりません。ただ私はたとえそれがどういう結果になろうと、彼の決断に寄り添いたいと思っています」

 ――ありがとうございます。



 ――作家とその妻……もちろん作家の形と言っても様々なわけですが、今回のお話、山中さんはどう思いましたか?

 ――もちろん家族、夫婦の考え方はひとそれぞれ、とは言え、私の感覚とはすこし合わない、と感じたのも事実です。

 ――と言いますと?

 ――佐藤蓮さんとは直接の面識はありませんし、あくまで今回の理沙さんの話から想像したに過ぎない、ということは前置きさせてください。ただ、どうしても『夫婦で暮らしていく程度なら、作家だけでなんとかなる』とか、彼女へのプレッシャーも考えず『やたらと子供の話をする』とか、どうも年齢のわりに古臭く他者への配慮に欠ける一面が見えるような感じがして。すみません……。事前に思ったことは、はっきりと言ってもらって構わないと聞いていたので。

 ――もちろんです。忌憚のない意見をお聞かせください。

 ――作家としても、彼の資質に対しての編集者の言葉は本人にしてみれば理不尽に思えるかもしれませんが、正鵠を得ているんじゃないかな、と。『作家はつねに新しいものが求められる』という部分を埋めていかない限り、作家としての今後はない、と思ったほうがいいのかもしれません。

 ――きついねぇ。俺は別にそうは思わないけどね。今でもベストセラー作家にベテランが並んでいるじゃないか?

 ――老齢であるからと言って、新しいものが書けない、なんてことはありません。私が言いたいのは実年齢の古さではなく、感覚の古さです。

 ――感覚の古いベストセラー作家なんて、そこら中にいると思うけどな。

 ――それは大蔵さん。自分のことを言ってるんですか? ついこの間も『いじめはいじめられるほうにも問題がある』なんてSNSに書いて炎上してたじゃないですか。そういう無責任な発言のことを私は感覚の古さと呼んでいます。

 ――まぁ感覚が古いことは否定しないが、残念ながら俺はベストセラー作家じゃないんだな、これが。

 ――知ってます。ただの嫌味です。

 ――あ、あのぅ。時間もあるので、話を戻しましょう。大蔵さんはどう思いましたか?

 ――もっと作家なんだから自由に振る舞え、って話だよ。繊細過ぎる、というか、なよっとし過ぎ、というか。編集者の言葉だの、レビューの言葉だの……色々なものを気にして書けなくなる、なんて本末転倒もいいところだよ。佐藤くんとは俺も会ったことがないけど、多分彼みたいなタイプはこの番組を見たりして、また悩んだりするんだろうなぁ。今この番組を見ているかもしれない彼に言いたいのは、あまり悩み過ぎるな、ということだね。

 ――全肯定はしませんが、作家はもっと自由でいい、というのは、確かにそう思います。周囲の考えに縛られた小説家など羽のもがれた鳥に等しいですから。

 ――めずらしい。気が合うね。

 ――100あるうちの1しか考えの合わない相手と1の部分が合ったとしても、気が合う、とは言いません。

 ――かわいくないね。

 ――という言葉を平気で吐けるあなたの無神経な言葉遣いが本当に嫌いです。……話を戻しますが、あと、喧嘩がなくて嫌なことに対してはお互いが自分の中で折り合いを付ける、という関係には危うさを感じますね。正直私は結婚の経験がないので、勝手なことを言ってるのは承知していますが、やっぱりその辺の感覚に首を傾げてしまいます。

 ――危うい夫婦関係でも、二人以外の家族や金で繋ぎとめたりできる場合もあるが、佐藤くんにはどっちもないからな。

 ――下品な言い方ですね。あなたと結婚するひとは本当にかわいそう。

 ――さっきからなんだよ。否定はしないが、結婚相手でもないくせに偉そうに。

 ――あぁもう。こうなるのが分かってるから、あなたと一緒に出るの嫌だった!

 ――あ、ちょ、ちょっとふたりとも。掴み合うのは、やめてください……。


(放送が一時中断)



〈通販サイト「ナイル」レビュー欄〉


『聖域を踏む』レビュー


 奏焼人 ☆☆☆☆☆
「最初は難しい専門用語がたくさん出てきてしんどかったけど、途中から物語が無茶苦茶面白くなって、下巻は一気読みだった」


 セルフ ☆☆☆☆
「直江賞候補作品。いまだ文庫化されておらず、絶版になっているので中古でかなりの高額だったが、それに見合う内容だった。初めて氏の作品を読んだのは、デビュー作の『地球爆破計画』で、稚拙なこの作品への印象があまりにも悪く、氏の作品群からは足が遠のいていた。その不明を思わず恥じたくなるほど、この小説には衝撃を受けた。この作品はいわゆる新興宗教をテーマにしたもので、この題材は地下鉄サリン事件以降、大量に書かれたため、敬遠する向きも多いだろう。かくいう私も読み始める前までは、この小説に対して良い印象を抱いていなかった。新興宗教の教祖に祭り上げられてしまった男の栄華とその先の破滅……そんな当初のイメージは嬉しい形で裏切られた。この作品に分かりやすい破滅はない。物語が終わってしまった後も、その新興宗教は残り、教祖の栄華は続いているのだろう、と想起できる内容になっている。なのに、どこか空虚だ。この作品は確かに人間だったはずの男が、人間性を失っていく物語だ。結末のその物悲しさを感じるヴィジョンに心奪われた」


 名無し ☆
「雑。参考文献の偏りもひどいし、何よりもつまらない。作者の、重厚なものこそ、面白い、という考えが鼻につく。『あこがれ』にもあったが、初恋のひととのセックスシーンが書かれていて、それも気持ち悪い。童貞男の妄想臭さ、というか。本当に結婚しているんだろうか。そういう行為を一度でもしたことがあるなら、こんな文章、書けないと思うんだが……。著者近影の顔も私の人生で一番嫌いな男の顔に似ていて、さらに嫌悪感」



〈週刊誌『週刊夕陽芸能』の記事より〉



P.28「いかにしてその良妻は、低評価レビュアーとなったのか?」


『聖域を踏む』『あこがれ』などの著作で知られる作家の佐藤蓮氏の妻のRさんが先日書類送検される、という出来事があった。

 何よりも驚くべきことがその書類送検の理由で、なんとRさんは、ある通販サイトで、佐藤蓮氏の著作すべてに誹謗中傷や嫌がらせとはっきり分かる低評価レビューを付けていたとのこと。彼のある作品の担当編集者をしていた人物がそのレビューに不審感を覚えて探った結果、その陰湿なレビュアーがRさんだ、と発覚。自身の作品への誹謗中傷を繰り返す謎の人物が自分の妻だ、と知った時の彼の心境を考えるだけで、胸が痛くなる。

 嫌がらせにいたった理由はまだ明らかにされてはいないものの、関係者によると、『夫婦仲は冷え切っていて、いつこんなことが起こってもおかしくない状況だった。そしてRは思い込みが強く、昔から突発的に過激な行動を起こすところがあった』とのこと。

 ふたりは以前テレビ番組で紹介されたこともある。再起をかける作家を支える献身的な妻、としてRさんは紹介され、なんとも皮肉な展開を辿ることになってしまった。まだ離婚はしていないとのことだが、仮面で隠されていた真実が世間に暴かれる形になったこの仮面夫婦の終焉も秒読みだろう。



P.31「あのケンカップルが結婚! ワイドショー生放送中の大喧嘩。その直後の交際宣言。お騒がせ作家カップルがついに」


④SNS、遺書編


〈佐藤蓮によるSNSでのつぶやき〉


(20××年9月10日)
【新たな作品を書き始める。そしてこの作品は私にとって間違いなく、特別な作品となる。そして、これが私の最後の作品となる……というのは冗談だが、そのくらいの気持ちで書いている】



(20××年9月23日)
【文芸誌に載せるエッセイの依頼を受ける。かなり久し振りの文筆の仕事だが、まったく気持ちが乗らない。書き出しも全然浮かばない。自分はおそらくもう作家と名乗ってはいけない人間なのだろう。作家としての死をすでに迎えているはずなのに、ひとはまだ私を小説家と呼ぶ。本を一冊出版すれば作家。そうでなければ素人】

【不思議な話だ。作家を目指していたあの頃のほうが、ずっと作家だったような気がする】



(20××年9月27日)
【きっと今書いている作品は最後の作品になるだろう。とても苦しい作業のはずなのに、何故か他愛もないエッセイを書く時よりも捗っている】



(20××年10月1日)
【完成した。出版社からの依頼ではない。そもそもこれは売り物という形で本になるものではない。これは私のための、私だけのための作品だ。そしてそれが終わる】

【今日を持って私は創作者としての人生を辞めることにした。プロの小説家という肩書きは一度手にしてしまえば永遠に掲げていられる。それが私には不満だ。私という作家はすでに死んでしまって久しい】

【私以外の誰かにこれを伝えるのは、今が初めてだ。私の作品を読んだことのある読者など稀だろう。わざわざ表明するようなものではないのかもしれない。それでもわずかにでも私の作品を楽しんでくれたひとがこの文章に目を止める可能性を考えて、この言葉を置いておくことにする。作家としての私は死んだ。そして書くことは、私にとって唯一の存在意義だった。そんな私は――】


〈編集者が佐藤蓮に送ったDМ〉


 ――ご無沙汰しております。つい先ほど佐藤さんのつぶやきを見て、慌ててメッセージを送らせていただきました。今はフリーの編集者をしている渡辺と言います。……という言い方をしてもぴんと来ないですよね。古潮社の編集部にいた頃、佐藤さんのデビュー作『地球爆破計画』を担当させていただいた、渡辺と言えばすぐに思い出してもらえると思います。かつて逃げるように仕事を辞め、佐藤さんにひどく迷惑を掛けてしまった私にこうやって気軽にメッセージを送る資格があるのかどうか分かりません。そして私自身、メッセージを送ってあなたと何を話すべきなのかまとまっていないところもあります。だけど急がなければ、と胸がざわついてしまい……。すこしだけでもいいので、やり取りさせてもらえないでしょうか。

 ――こちらこそ、ご無沙汰しております。すべてのメッセージを無視する気だったのですが、まさか渡辺さんから来るとは思わず……。渡辺さんは私にとって特別なひとです。それは良い意味でも悪い意味でも。今でも編集者をしているとは思っていませんでした。この業界は広いように見えて、驚くほど狭い。渡辺さんが編集者をしているのだとしたら、気付かないわけがない、と思っていたのですが……。私に残された時間は短いです。長々とお話はできませんが、すこしだけやり取りしましょう。もう十年近く前ですか……、『地球爆破計画』を書いた頃。私たちは、若かった。特に渡辺さんは二十代半ばでしたよね? 懐かしいです。お互い若かったからか、私のほうがすこし年上でしたが、すぐフランクに会話するような仲になったのを覚えています。

 ――気付かないのも無理はありません。だって私はもう文芸の編集者ではないのですから。今はファッション雑誌の編集者をしています……と言えば、あなたにはどう思われてしまうでしょうか。人生どこでどうなるか分からないですよね。ダサいダサいと馬鹿にされていた人間が、ファッション雑誌の編集者として流行の最先端を探り続けているわけですから。かつて佐藤さんについ言ってしまった言葉を覚えていますか? 作家に必要なのは流行りでも人間性でも交流のうまさでもなく、優れたものを、自分の面白いを信じる気持ちを、追い掛けていく気持ちだ、と思っています、と。今の自分にも聞かせてやりたい言葉ですが、でも根底にある気持ちは今も昔も変わっていません。小説家も編集者も自分にとっての面白い物語を、不特定多数のひとに届けるために存在していると思っています。

 ――こんなすこしだけのやり取りで分かったような気になるわけにもいきませんが、渡辺さんの考え方は今も昔も一貫していてすごく嬉しくなります。きっと今でも素晴らしい編集者なんだろうな、と思います。これはお世辞じゃないですよ(笑) それに比べて私は変わってしまった。あの頃、一番なりたくなかった自分に近付いている感覚を抱いてしまったのです。それを自覚してからはずっと、私はこの感情に怯え続けているのです。

 ――それがあのつぶやきに繋がるのでしょうか?

 ――そう事実を認めたのです。私はもう作家としてすでに死んでしまっている。ずっと前から気付いてはいたけれど、認めるのが怖かった。ただただ怖かったのです。私には小説しかなかったから、その小説を否定されることは、私自身を、その人生を否定されることに等しいのです。……でも、そもそもこんなことを傲慢にも考えてしまえる自分が何よりも嫌いなのです。

 ――作家と作品は別物です。仮にあなたの作品や作家としての資質が誰かに否定されたとしても、それは決してあなた自身が否定されたわけではない。作品や作家としてのあなたが切り離されたところに、作家ではないあなたの価値、というものがあるのです。

 ――それは書きながら、魂や命を削ってこなかった人間だけが言えることです。私には才能がなかった。だから魂や命……人生のあらゆることを創作に捧げなければ、彼らと同じ土俵に立つことができなかった。そんな人間が作家としての終焉を自覚してしまったんです……。じゃあ他を頑張ればいい。生きているだけで価値がある。そんな風にはなれないよ。

 ――つぶやきの最後にほのめかしたのは、やはり、自殺……だったんですね? あなたが死にたい、と思っているなら、私は意地でもそれを止めたい。

 ――何故、止めたい、と思うんですか?

 ――佐藤さんが、作家である自分とそうでない自分を繋げて考えるなら、私も〈他を頑張ればいい〉、〈生きているだけで価値がある〉のような陳腐な言葉で生へと引き止めるつもりはありません。そもそも私も佐藤さんと小説で繋がった関係です。だから私はそもそもとして、作家としての佐藤蓮にも生きていて欲しい、と思っています。

 ――渡辺さんはここ5年くらいの私の作品を読んだことありますか?

 ――ありますよ。全作品、読んでます。

 ――面白かったですか?

 ――はっきり言ってつまらなかったです。あなたがそう言ったことで確信が持てました。佐藤さん……3作目の『あこがれ』以降の作品、すべて自分でつまらないと思いながら、書いていますよね? さっき私は作家と作品は別物だ、と言いました。だけど、作家が面白いと思わない作品をいやいや書いたとしても、それは駄作にしかならない、とも思っています。

 ――渡辺さん以外にそんなことを言ってくれるひとはいませんでした。みんな口を開けば、〈新しさ〉や〈売れる〉を求めた。そしてそれは圧倒的に正しい。ただ私にはそれがひどく息苦しくて、だけどその感情を表明してしまえば、私の守りたかった大切なものが消えてなくなるような気がした。怖かった……だから私は他者の言葉に合わせていくしかなかった。そもそも私は、大切なものを履き違えていたのかもしれない。

 ――私はまた佐藤さんと一緒に仕事をしたい、と思っています。正直な話をします。その感情にあの頃の後悔がないか、と言えば、それも嘘になります。他社の編集者の嫌がらせに負けて、抱えている仕事を無責任に放り出してしまった過去への後悔は今も残っています。

 ――もうひとつも怒っていませんよ。昔の話です。

 ――いえ……でもそんな後悔以上に、私はまたあの興奮を味わいたいのです。初めてあなたの小説と出会ったのは、小説投稿サイトに載せられた『地球爆破計画』のプロトタイプというべきもので、私はこの小説に衝撃を受けたのです。このひとと一緒に仕事したい。いつか最高に面白い作品を書くはずだ、って……。すくなくとも私は、佐藤蓮の描く最高に面白い作品にまだ出会っていない。今でも私にとっての一番は『地球爆破計画』で、それでは物足りないのです。だってあなたはもっとすごい作品を描けるはずのひと、なんだから……。

 ――買い被りです。だけどあの日の嬉しさは今も覚えています。投稿サイト内でもほとんど読まれていなかった私の作品を読んで、「本にしたい」と言ってくれる出版社のひとがいたわけですから。騙されてるのか疑うほどの驚きと不安、そして嬉しさがありました。仮に騙されていたとしても、このひとを信じてみよう、って……。

 ――だったら、お願いです。もう一度、騙されたと思って、私の言葉を信じてもらえませんか。作家としても人間としても、あなたはまだ死ぬには早すぎる。

 ――すみません……。もうすべてが遅すぎます。だけどその言葉を聞けて、嬉しかったです。

 ――佐藤さん、考え直してください!


〈佐藤蓮『裏側のない遺書、真実の告白』より一部抜粋〉


 これは殺人の告白である。

 私、佐藤蓮は人を殺し、そしてその罪の告白とともに命を絶つことにした。

 どこから語ればいいだろうか。何かが始まる時には、つねにきっかけが存在する。明確な始まりなんてものはどこにも存在しない。だから私はたとえしっくりと来なかったとしても、明確な始まりにもっとも近い場所を自分で定めて、そこから語り始めなければならない。

 もっとも近い場所、それは私の書いた小説に書籍化の話が舞い込んだ時だろう。小説投稿サイトに載せた私の『地球爆破計画』を全面的に改稿することを条件に書籍化したい、という話で、私は喜ぶよりも怯えた。自分にとって都合の良すぎることをひとは真実だと思いづらいものだ。詐欺かもしれない、と恐怖を覚えながら、その編集者の方から送られてきたメールに返信した覚えがある。そんなに疑うなら無視すればいいじゃないか、と感じる人間もいるかもしれないが、ずっと小説が好きで、そして小説を書いてきた人間にとって、プロの小説家や書籍化という言葉には、特別な響きがある。おそらくこれを気軽に無視できる人間のほうが少数派だろう。今になって思えば、私は意地でもこの少数派にいるべきだったと思うが、それは後になって分かることに過ぎず、この頃の私には分かりようのないことだった。

 こうして私は『地球爆破計画』という作品でプロの小説家としてデビューすることになった。この作品は昔からわくわくして読んできた壮大なSF作品が書きたい、と自分の好きをつめこんだ小説で、ひとに読んでもらいたい、という気持ちよりも、自分が楽しみたい、という想いのほうがずっと強かった。荒唐無稽の限りを尽くして、自分でも先の読めない作品を書きたい。そんな一心で創った。

 初めて私の担当編集者となった私よりも若いそのひとに、私は正直にそう告げた。

「私はこういうのしか書けないし、プロットだって作れるような人間でもない」と。

「そのままを貫いてください」

 その時の編集者の言葉は今もしっかりと耳に残っている。プロに向いた人間じゃない、と正直に告白したのに、プロ向きでないあなたを貫いてください、と彼は言ってくれて、それは思いの外、前向きな気持ちに繋がった。

 だめでもともと、やれるだけやってみよう、と思えたのは彼のおかげである。彼とパートナーを組んだのは、結局この1作だけだったが、私が過去に出会った中でもっとも感謝している編集者だ。

 この作品は私が想像していたよりもずっと多くのひとから評価された。その年のベスト作品に『地球爆破計画』を挙げてくれた作家や評論家の方もいたし、大々的ではないが、テレビや雑誌で紹介されることもあった。

 だけど決して好意的な評価ばかりではなく、目立てば目立つほど批判の声も聞こえてくるようになった。特に文章や設定の粗さは指摘され、私は指摘を受けるたび、その部分を読み返すようになり、『ここの部分には、こういう意味があるのだから……』と心の中で自作品を弁護するようになった。私は間違っていない、と言い聞かせる。そうやって言い聞かせてる時点で、その言葉に縛られていることにも気付かずに……。

「すれっからしのひとはweb発の作品っていうだけで軽視したりもしますからね。そういうひともいるんだな、ってくらいで、気にせずいきましょう。次作で見返せばいいんですよ」

 編集者の方にはそう言われたが、こんなのは生まれ持った性格なので、どうしようもない。

 次作の構想なんて何もなかったが、ちょうどその時期に中学の同窓会に行く機会があり、そこで初恋のひとと会い、結局ほとんど話すことのできないまま終わってしまう、という経験をしたことがきっかけで、『あこがれ』を書き始めた。

 その途中で私をプロの世界へと導いてくれた編集者が突然、その出版社を辞め、音信不通になった。詳しい理由が私の耳に届くことはなかったが、別の出版社のベテラン編集者とのトラブルがきっかけで心の調子を崩していた、という噂は聞いていた。

 私の『あこがれ』が出版される約束は暗黙の了解的に白紙になった。驚きはあったものの、私の感情は凪いだ海のように落ち着いていた。そもそもあの頃はプロである自分にこそ違和感を抱き、その先の道が閉ざされたことで、ようやく元の自分に戻るような感覚を抱いていた。正直なところ、ほっとしていたのだ。

 ふたたびプロになるために小説を書いていくのか、趣味として小説と向き合っていくのか。

『あこがれ』を書き上げた時、私はひどく迷った。作家が自分の作品への愛を語るなど恥ずかしい話だが、この文章を書いている時点で生き恥を晒しているのも同然なのだから、書いてしまおう。

 私は『地球爆破計画』『あこがれ』『聖域を踏む』の3作を愛している。それは私の作品を好きと言ってくれたどの読者よりも、間違いなく。いやこの言い方は正しくない。厳密に言えば、『聖域を踏む』までに書いた私のすべての小説作品を、私は愛している。それは優れている、という話ではない。つたない部分も悪い部分も知っている。

 それでも……。

 書きたい、と心の底から思ったものを、書く衝動を抑えきれずに紡いだあれらの作品は、何度も憎しみを覚えながらも、確かに特別なものだった。

 書籍になったデビュー作を世に放った時の、私の作品への指摘が頭によみがえってきて、その言葉が私をためらわせた。時間が経てば消える、と思うだろうか。それは違う。時間が経って消えなかったものは、定着してしまって、もう永遠に消えなくなるのだ。10年以上前にもらった批判の言葉を、私は今でもしっかりと覚えている。

 怖い……。

 インターネットの片隅でほとんど誰の目にも触れていないのと変わらないくらいに反応のなかった頃とは比べ物にならないくらいの反応の大きさと、その言葉の鋭さ。それがとにかく怖かった。

 だから『あこがれ』を〈那賀川進歩エンターテイメント大賞〉に応募するかどうかは、ぎりぎりまで悩んだ。

 何故応募したか、と言えば、
 それは、プロという肩書きが重かったから、という一言に尽きる。いやこれも言い方が正しくない。私が勝手にプロという肩書きを重くしていたに過ぎないのだ。

 結果は最終選考に残りながらも落選だった。結局この作品は私の3作目の著作として日の目を浴びることにはなったが、この時点では本になる可能性が潰えた作品でもある。

 もしかしたらこの落選は、引き返すならば今が最後のチャンスだ、と私に教えようとしてくれていたのかもしれない。実際、私はその落選から1年近く、小説を書くどころか読むこともできなくなったのだから。もう小説から完全に足を洗おうと思っていた。

『聖域を踏む』を書き始めたのは落選から2年後の夏だった。その年の春に私は結婚をしたので、それが心境の変化につながった面はあるのかもしれない。

 元妻とはかつてテレビで取り上げられた際、大学からずっと付き合った上での結婚だった、と印象付けるような内容で放送された。確かに大学の同級生なのは事実だが、付き合い始めたのは卒業後、結婚までの交際期間も数か月程度だった。アマチュアの頃から私の書いていた作品を、彼女に読んでもらっていた、というエピソードも紹介されていたが、あれも嘘だ。

 彼女は上昇志向が強く、周囲にもそれを求めるところがあった。私が以前に小説を書いていたことを知ると、「何故、また書かないのか?」と責めるような口調で言った。だからと言って、彼女の言葉に乗っかり、すぐに物語を書き始めたか、というと、そんなことはない。

 私を小説の世界に引き戻してくれたのは、過去の原稿だった。

 それは10代の頃に、プロットと導入だけを書いて断念してしまった小説原稿で、私は古い記憶に浸るように、その話の続きを書き始めた。それが『聖域を踏む』だった。……でも誰かに読ませるために書き始めたわけではない。書かずにいられない衝動にあらがえなかっただけだ。

 この瞬間のことは今でも強烈に焼き付いている。ただ好きなものと向かい合っている時間ほど愛おしいものはない、と。大げさではなく、自身の生を実感する時間だった。

 書き終えた時、1年以上の月日が経過していた。書き終わった直後くらいだった、と思う。元妻からSNSで知り合った編集者を紹介されたのは。何故か、彼女は私以上に私をプロの作家へと戻すことに躍起になっていた。気乗りはしなかったが、「会うだけでいいから。お願い」と言われ、待ち合わせたカフェで初めて顔を合わせた編集者が、Kさんだった。

 その年配の編集者であるKさんは、開口一番、
「小説家にもっとも必要なのは、若さだ」
 と言い、彼の小説哲学を聞きながら、私は彼を軽蔑していた。しかしそれでも私はこの信用の置けない編集者に、気付けば『聖域を踏む』の話を語り、原稿のデータまで渡していた。

 自分のために書いた、と言いながら、結局私は誰かに読んで欲しかったのだろうか。そしてふたたびプロの作家として活動する自分を望んでいたのかもしれない。

 行ったり来たりする曖昧な感情に、私は自己嫌悪を覚えた。

 私は書くことが好きで評価されることを望んでいたが、実際に得た評価は小説への好意、愛を、私から奪っていった。

『聖域を踏む』が刊行された時、評判は決して良くなかった。好意的なレビューや書評を書いてくれるひともいたが、重版がかかることもなく、すぐに消えていく一冊になるはずだった。しかし何故かこの作品は直江賞の候補に挙がってしまった。

 Kさんは職人肌的な編集者ではなく交友が広いことで有名な編集者だった。どう考えても候補作のラインナップの中で場違いな鈍色を放っていたこの作品は、直江賞をしている出版社のKさんが裏で根回ししていたのではないか、という憶測を呼んだ。当然だろう。実際にKさんが根回しをしたのかどうかなんて私は知らないし、そんなことはどうでもいいが、確かに、この作品に直江賞は場違いだ。

 だけど私はこの作品を愛していた。

 批判や非難、口さがない噂はその真実さえも歪ませようとしているのではないか、と私の心を苦しめた。

 どんな精神状況であろうと、時間は私の想いなど無視して進んでいく。

「今の流行りを的確に捉える。出版社にとって優れた作家というのは、売れる作家のことです。現代の優れた作家にもっとも求められるものはマーケティングの力です。売れる作家の本から学んでください。何が売れるのかを」

 直江賞を落選した後、それなりに仕事を依頼されるようになった。疑惑の候補作であったとしても、このノミネートが私の認知につながったことは事実だ。

 その言葉に従うように私は何ひとつ魅力を感じられない物語を書き続けた。ベストセラーに似せただけのまがい物がベストセラーになることなどない。当然、私の書くまがい物は売れなかった。「〇〇さんっぽいものを」「今、人気の〇〇というジャンルで」とKさんに言われて私が提出したものは、Kさん程度なら騙せても、読者を騙せるような代物ではなかった、ということだ。他の一緒に仕事をすることになった何人かの編集者の方々はKさんと違ってそこまで露骨な言葉を投げ付けてくることはなかったが、その時にはもう私自身が、私らしい作品の書き方を忘れてしまっていた。

 本当に私が書きたいもの、って何なんだろう……?

 Kさん以外の編集者が、私の作品を受け取った時の微妙な反応は忘れられない。

 勤めていた会社を辞めたのもそのころだった。

 外側に向けての言葉は「作家として食べていける程度の稼ぎを得られるようになったから」というものだったが、それを鵜呑みにしてくれるのは業界を知らない人間だけだ。私程度の作家がそれほどの稼ぎを得られるような世界ではない。

 心の調子を崩したことを覆い隠すための嘘でしかなかった。

 喜んだひとがいるとしたら、私に作家としての成功を求める元妻と「あぁ若い。若い作家は後先のことなんて考えず、突き進めばいい」と私に無責任な言葉を投げたKさんくらいのものだ。

 会社を辞めてからも、どんどん作家としての評価は落ちていった。当然の反応だ。Kさん以外の編集者からは見向きもされなくなり、そしてKさんはただ首を傾げるだけだった。「おかしいなぁ。こんなに売れそうなのに……」と。

 Kさんは何故私を選んだのだろう、と思わなかった日はない。他のひとを選んでいれば、私の心がこんなにも傷つくことはなかった。

 彼は私の作品が売れない理由を、私の作品が古いからだ、と断定した。今でも、一言一句間違えずに思い出すことができる。「作家はつねに新しいものが求められ、もうきみの作品は色褪せて、戻ることがなくなってしまったんだよ……」と自分の感性の古さを棚に上げて、Kさんが言ったのだ。私はその言葉に耐え切れずに、気付けば彼の顔を殴り、絶縁状態になってしまった。

 元妻との関係が修復できないほど悪化したのも、この頃だ。彼女は事あるごとに、「売れない作家が偉そうにするな」という暴言を私に投げ付けたが、作家に戻る気のなかった私をその最低な世界へと引きずり戻したのは彼女だ。「私はもうあなたがいなくても困らないけどね……」私を見て嗤った彼女が不倫をしていることは知っていた。本当にその言葉通り、彼女にとって私は必要のない存在になってしまっていたのだろう。彼女が求める理想の作家の妻に、私と婚姻関係を続けても永遠になれないと、とっくに彼女は気付いてたはずだ。

「俺にとっても、もうきみは必要ないよ」

 もうこれ以上、彼女と関係を続けたくない。彼女といることは私の苦しみでしかなかった。だから私は彼女にそう告げた。つねにパワーバランスが彼女のほうが圧倒的に上だった私たちの関係において、私のその言葉は絶対にありえないものだった。それを知っていたからこそ、私ははっきりと言葉にした。彼女の受ける屈辱と怒りは相当なものだったはずだ。

 だけど……これでふたりからようやく離れられる。そこにあった感情は安堵だった。

 そんな時期にテレビのドキュメンタリーに出演することが決まり、私の出演はほとんどなかったが、彼女は見事な良妻を演じ切った、と聞いている。伝聞なのは、私がいまだにその映像を見れずにいるからだ。嘘だらけの言葉は嫌いではないが、自分が関わっているとなると話は別だ。見たくはない。

 相当、彼女は私を恨んでいたはずだ。それは私にとっては逆恨みだが、彼女にとっては正当な恨みだったはずだ。通販サイトの私の作品に低評価レビューを付けるなんていう嫌がらせが、その証拠だ。憎しみ以外であんなことをできるはずがない。

 ただあれによって私が傷ついたか、というと、ほとんど無傷だった。私が自分の作品へのレビューを異常に気にしていたのは、自分の作品を否定してくれ、という投げやりな気持ちがあったからだ。

 なんであんなにも大好きだった小説に、そして特別に想っていた自分の作品に、こんなにも複雑な気持ちを抱かなければいけないのだろうか。この苦しみを作った彼らに、私は殺意にも似た怒りを覚えていた。

 傷ついていないのに、元妻を侮辱罪で訴えた理由はこれしかない。

 低評価レビューを読んだ時、ひとつだけ気になることがあった。小説をほとんど読まない彼女は、同様に私の小説など一冊も読んだことがないはずで、いくらなんでも低評価レビューを付けるために全作品読む、というのは現実的でもない。なのに、レビューの端々には核心に触れるようなところもあったのだ。

 そして鈍感な私は離婚の後になって、ようやく気付く。

 何故、Kさんが私を選んだのか。そして何故、売れない私の作品を出し続けてくれたのか。もっと早く気付くべきだったのだ。そもそもKさんは、かつて若い女性作家とのスキャンダルが大騒動になったり、と女性トラブルに事欠かないことで業界では有名だった。

 最初からふたりにとって私は、使い勝手の良いただの駒だったのだ。私が仮に失敗しても彼ら自身に痛みはない。

 私が何か悪いことをしただろうか。私は小説が好きなだけの、そして小説が好きでいたいだけの人間でしかなかった。それ以上なんて望むつもりもなかった。そんな私を標的にした彼らは、そんな私をただの運の悪いやつで済ませるのだろう。

 もうふたりとは決別している。今後、会うこともない。それを理解していても、ふつふつと込み上げる怒りを抑えることができなかった。

 私はKさんの自宅に乗り込み、そしてその寝室には彼女の姿があった。

 その後のことはあまり覚えていない。

 冷静さを取り戻した時、血だまりの部屋で生きているのは私だけだった。私はふたつの死体を車に乗せ、山中に隠すように棄てた。埋めるのが理想的だったのは分かっているが、たったひとり大きなシャベルを使って穴を掘る、というのは、現実では想像以上に過酷で諦めるしかなかった。

 その後、ぽつりぽつりと何故かまた文筆の仕事が来るようになったのは、ふたりがいなくなったおかげだろうか。だけどそんなものは、もういらない。

 ようやく私は書かなくて済むのだから。

 私は小説を書くことが好きで、かつて小説家になりたかった人間だが、小説家になるべき人間ではなかったのかもしれない。

 だけど最期の際の際まで、私は文章を書いている。それはやっぱり私が書きたかった文章ではない。私はこんな文章を書きたくて、小説を愛したわけではない。

 私がもっとも憎み、殺したかったのは、彼らなんかではなく、意志の弱い私自身だったのだろう。

 人によって書かれる限り、言葉にはつねに裏がある。

 だけど……、

 私はふたりの人間を殺し、この文章を書き上げるとともに自らの命を絶つ。


 ここに嘘偽りはない。すべて真実である。



〈週刊誌『週刊夕陽芸能』の記事より一部抜粋〉


「崖下で発見された作家と謎めいた小冊子」


 先日、福井県相々市の崖下で倒れている男性が発見される、という出来事があった。意識不明の重体ではあるものの奇跡的に一命を取り留めた男性は、以前より行方不明で捜索願が出されていた作家の佐藤蓮氏である。倒れていた彼のそばにはおそらく彼本人が作ったと思われる小冊子が落ちていたとのこと。佐藤氏が、不倫関係にあった元妻と編集者を殺害し、自らも死を選ぶ、という内容で、その衝撃的な告白に、出版業界が大騒動となった。しかし調べてみたところ佐藤氏が殺害したとされるふたりは今も存命であり、小冊子の内容は創作であると断定された。

 ただ佐藤氏自身が意識不明の重体で発見された、元妻と編集者のふたりが不倫関係にあったことを認める……など、事実に沿った部分があまりにも多いことは間違いなく、出版社数社が佐藤氏に承諾を取れ次第、書籍化しようと画策している、という噂が筆者の耳にも入ってきている。

 現在、佐藤氏は他者と会話のできる状況ではないため本人に確認するすべはないが、その小冊子の内容を伝え聞いた筆者が想像するに、その書籍化を彼が望むはずはない、と思うのだが……。

                           (了)