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青春色の物語なんて誰も知らない【日記】

 夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの。青年時代 ――goo辞書「青春」より

 すくない友人と夢も希望もない会話をして、どれも適当につまむ程度の趣味を持ち、厳しさの欠片もない部活で生ぬるい先輩後輩関係を築き、勉強はほどほど以下で、好きな子は遠くから眺めるだけでまともに話すこともできなかったけれど、努力をしないまま描く未来だけは馬鹿みたいに大きかった。

 青春らしい青春なんて、僕の人生に、ひとつもなかったなぁ。十代を過ぎてすこしたった頃、僕は何度、こんな言葉を内心でつぶやいただろうか。その言葉には、触れることさえできなかった〈青春らしさ〉への憧れがあったのだ、と思う。

 だけど……そんなかすかな後悔の時期も過ぎると、そもそも〈青春らしさ〉ってなんだ、と考えはじめるようになった。そのきっかけに多少、創作行為も関わっている。小説は基本、嘘を書く。虚構の世界の物語だが、無意識に自分の実人生を投影していることに気付き、強烈な恥ずかしさに襲われることがある。それはエッセイを書く時のようにすこし都合よく演出される僕とは違って、本来なら隠したくて仕方ない自分を見つけ、画面の前では赤面している僕がいる。

 それは甲子園のマウンドに立つエースでもなければ、恋と喧嘩に明け暮れるヤンキーでもない。大志を抱いて東大を目指す浪人生でもないし、もちろん世界の各地を放浪するバックパッカーでもない。

 あまりにも、ちっぽけな僕がいる。物語の中で偶然か運命か僕はかつてのちっぽけな僕を見つけ、あの頃が唐突に鮮やかによみがえる。それは誰も気付かない程度のもので、おそらく僕だけが気付くものだ。

 僕の青春は青さのない鈍色なのかもしれない。他人がなんて言おうと、過去が鮮明に浮かび上がるそれは、僕自身が望もうと望むまいと、確かに〈僕だけの青春〉だった。

 そう考えるようになってから、僕は〈青春らしい青春〉をかりそめのものだと感じるようになった。すべてのひとにそのひとだけの青春が、良いものも悪いものも、そのどちらでもないものも、無数に存在しているのだ、と。

 そうあの頃の僕は勝手に〈青春らしさの輪〉を作って、その輪の外に自分を置いて指をくわえて眺めていただけなのかもしれない。そんな輪はどこにもないのに……。そしてこの考えを持っているひとは意外に多いのではないか、とも思っていて、ゆるやかに〈青春っぽさ〉が共有されていくのでは、とも。

 青春小説を描く時、僕は根底にこの考えを持っている。

 僕が書きたいのは青春っぽいものを寄せ集めた青春色の物語ではない。例えば登場人物の変化に焦点を当てた青春小説を描きたいなら、そのひとだけの青春を切り取りたい。別にそこを切り取れるなら、ゆるやかに共有される〈青春っぽさ〉は必要なく、ワンルームだって成り立つのだろう。

 とりとめのない考えはここまで、

 今回の過去作紹介第四弾は青春小説です。青春小説は、色々なジャンルと両立して成り立っている場合が多いので、今の気分で選びましたが、おすすめはつねに変わるような気がします。


「夏の終わりの一日」

「8月31日の夜」をテーマにしたハッシュタグ企画があり、それを念頭において書いた作品なのですが、どう考えても要項にそぐわない、ということで断念した作品です。作家を志す青年が、夏の終わりに少年時代の回想しながら、現在と重ね合わせていく作品です。


「夕暮れの怪物」

 怪物、と書かれていますが、ホラー色は限りなく薄い。だけどこの作品には確かに、怪物、が登場します。テーマ性の強さは僕がこれまで書いた作品の中でも、かなり強いと思います。


「タイトルは、必要ですか?」

 いや本当にこういうのばかり書いているな、というのは分かっているのだが、好きなんだから仕方ない。今回紹介する中では一番短いので、長いのはちょっと……という方には、この作品をお薦めします。

 僕、サトウ・レンを形作った青春小説のひとつに高見広春『バトル・ロワイアル』があります。僕はこれを最良の青春譚のひとつだと思っていますが、これを青春の物語とすることに怒るひともいるでしょう。青春小説と一口に言っても、簡単に括ってしまえるものではないのです。

 ちなみに私はあんまり過去を詳らかに書くことは比較的すくなめの人間ではありますが、「言葉は、必要ですか?」の後書きにあたる、

 この記事は、

 結構語っていますね。あまり読み返せないんですよね~やっぱりこの時期について語るのは恥ずかしくて……。

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