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浦島前日譚【掌編小説(約3000字)】

 むかしむかし、カメはいつも竜宮城を抜け出しては、とある村の海辺で遊んでいました。カメにとって、そこは憩いの場だったのです。カメは乙姫様からの寵愛を受けていたのですが、そのことが周囲のやっかみを買ったのでしょう。彼がいる時の広間の雰囲気はぴりぴりとしていました。人間は怖い存在だから城から出てはいけない、という決まりをカメは破っていたわけですが、乙姫様は殊にカメを可愛がっていましたから、大目に見ていたのです。

 その日も、海辺でカメが散歩していると、目つきの悪い少年がいました。青くだぼだぼの安っぽい着物を身に纏った少年は、いきなりカメを後ろから蹴りつけました。

 驚いて、カメが振り返ると、少年はもう一発、今度はカメの顔面を殴打しました。

「どんくせぇ奴が、オラの前を通るんでねぇ。殺して、喰ってしまうど」
「す、すみません」
 と凶悪なその少年に、カメはすっかりと怯えてしまいました。殺されるかも、と。

 ふふん、と少年は満足そうに笑います。

「オラがいつかこの村を支配する男じゃ。覚えとけ」

 そしてもう一度カメの顔面を殴ると、ようやく少年は帰っていきました。嵐のように襲ってきた恐怖が一度静まると、カメは安堵の息をひとつ吐きました。心が落ち着いてくると、ふつふつと込み上げてきたのが怒りでした。なんでこんな酷い目に遭わなけりゃいけないんだ、と。

 海に潜って竜宮城を目指す道中、カメは涙が止まりませんでした。涙のしずくは海水に混じって、消えていく一方でしたが、カメが心と身体に受けた傷はいつまでも消えることなく残りました。

 乙姫様は傷だらけのカメの顔を見て、仰天しました。

「おお、いったいどうしたの、その傷は?」
「乙姫様……、私……、私は悔しいのです」

 カメが事情を話すうちに、乙姫様の表情はどんどんと怒りに染まっていきました。

「私の大切なカメになんと無礼なことを」

 今さらですが、カメに固有名詞はありません。カメは竜宮城に一匹しかいなかったので、カメという呼称で通じるのです。乙姫様はカメが大好きでした。愛していました。はっきり言ってしまえば恋愛感情です。なぜ好きか、って? 好きになることに理由が必要でしょうか。まぁ敢えてひとつ挙げるならば、身体の相性が良かった、というのはあります。ただそう思っているのは乙姫様だけのことで、カメはあまり乙姫様との夜の営みが好きではありませんでした。そもそも乙姫様は海の生物のくせして人間のような姿をしていて、その乙姫様が怖いから、人間も怖い、という構図が成り立っていたので、怖くないわけがないのです。

「復讐したいです。私は、あの子どもに」
 本当は、糞ガキと呼んでやりたいくらいでしたが、目上の乙姫様の前でそんな口汚い言葉は使えません。

「もちろんです。そんな糞ガキ。復讐してやりましょう」
「糞ガキですよ。本当に糞ガキ、あのガキガキガキ」
 乙姫様のほうが控えていた言葉を使ってくれたので、カメも容赦なく言うことにしました。

「死ぬよりもつらい目に遭わせてやりたい」

 乙姫様はカメを抱きしめ、その顔に付いた傷口を舐めながら言いました。そこから人間の時間で大体五時間くらい、カメは乙姫様とふたりであの子どもを苦しめるための計画を練りました。死んだほうがましだ、と思えるくらいの復讐を。

 ふたりが考え付いた一番の方法が、城の宝を使った復讐でした。
 竜宮城に代々伝わる、玉手箱と呼ばれる箱があります。開けるどころか、絶対に触ってもいけない、と父の代から言われていた人間の寿命を操る道具を乙姫様は使うことに決めました。誰よりも愛おしいカメのためです。

 ただ見返りは欲しいので、
「きょうの夜、どう?」
 と乙姫様はカメに聞きました。乙姫様もカメに嫌われるほどの無理強いはしないので、普段ならなんとか理由を付けて避けるところですが、とはいえ今回はカメにとっても乙姫様の協力は得たいので、その夜だけは我慢することにしました。

 翌日、カメはあの村の海辺へと向かいました。
 子ども達が見えました。

 どきり、としましたが、件の少年らしき人物は見当たりません。この時、カメは重大な勘違いをしていたのです。カメは前日のトラウマがあったので、その子ども達とは目を合わさないように、その場から離れようとしました。とはいえ大きなカメの鈍重な動きは、どうしても目立ってしまうものです。

「おーい、あれカメだぜ」

 子どものうちのひとりが言いました。子ども達は全部で五人いましたが、どいつもこいつも、あの少年を思い出す悪そうな人相をしていました。ひとりの子どもが、カメに向かって投石しましたが、それはなんとか甲羅で防ぎました。だけど次から次へと石は降りかかってくるし、子ども達は近付いてくるし、とカメはもう絶体絶命でした。

「焼いて喰っちゃおうぜ」
「美味しいんだってな」
「焼こうぜ焼こうぜ」
「いや、この間、漁師の兄ちゃんは煮るのが美味い、って言ってたよ」
「じゃあ、半分に割って試してみようぜ」

 前と同様の、いやそれ以上の恐怖が襲ってきました。なんで人間、というのは、こんな残酷なことを平気でできるのでしょう。カメは今度こそ、自分の死を覚悟しました。

「おーい、お前ら」
「あっ、やべっ、浦島さんだ」

 穏やかな表情を浮かべた青年が、カメのほうへと向かってきました。高級そうな着物を身に纏っています。

「かわいそうな。逃がしてやりなよ」
「いやだ。俺たちの食べ物を横取りする気か」

「そんなことはしないよ。私はもう肉は食わないと決めたから。動物の命は大切にしないと。ほら、代わりに」
 と浦島と呼ばれた青年は、その国の通貨を子ども達に渡しました。

「まぁ、これだけくれるなら許してやるよ。命拾いしたな。巨大カメ」
 と子ども達は走って、いなくなりました。

 なんか胡散臭く、信用の置けない感じがしましたが、助けてもらったのは事実です。カメは浦島に礼を述べ、そして海へと逃がしてもらいましたが、帰路で、本来の目的が何ひとつ進んでいないことに気付き、海辺へと戻りました。

 海辺には釣り具を持った浦島がいました。

「あれ、二日ぶりかな、どうしたの?」

 そこでようやくカメは、人間との時間の流れの違いに気付きました。

「この間は、助けてくれて、ありがとうございます」

「気にすることはない。実はあの子たちを見ていると、むかしの自分が重なってね。いまは大人になって真面目になったけど、私もちょっとここらじゃ名の知れた悪ガキでね。似たようにカメをいじめたこともあったんだ。まぁ罪ほろぼし、っていうかな。……それに村長選も近いし」最後につぶやいた言葉は、冗談めかしていましたが、それが実際は一番の理由だったのでしょう。

 そう笑う浦島の姿に、かつてのあの少年の面影が重なります。カメからすれば、一日ぶりの再会でしかありませんが。

 そうか、こいつが。

 噴き出しそうになる怒りを表情に出さないようにしながら、カメは浦島の持っている釣り具に目を移しました。

「肉は、もう食べないのでは?」
「あぁ、病床の父に食わせてあげようと思ってね。私は食べないよ。動物を殺して食べてはいけないからね」

 支離滅裂だ、とカメは思いました。

「ところで浦島さんは、竜宮城なるところに行ったことはありますか?」
「どこだい?」
「海底にあるんです。良いところですよ。行きたくないですか?」
「興味はあるね。時間にも余裕があるし」

 よし罠に掛かった、とカメは喜びました。

 そしてカメと乙姫様による、玉手箱を使った長い復讐劇が幕を開けたのです。

【了】


〈参考〉

「浦島太郎 <福娘童話集 きょうの日本昔話>」
http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/07/01.htm
「浦島太郎 楠山正雄」(青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000329/files/3390_33153.html
(本童話の再確認のため、参考にさせていただきました。元々の作品を貶める意図は一切ありません)