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ファーストフレンド・ラストフレンド

 いつもお世話になっております。普段は本の感想を書いている書店員のR.S.です。noteで投稿されている黒野燁様の「柴犬の体を借りた俺」という作品を読んで、自分もたまには切なくてファンタジックな良い話が書きたい、と触発されてしまいました(黒野様、勝手にごめんなさい! リンク付けとか嫌だったらすぐに言ってください)。掌編です。

『ファーストフレンド・ラストフレンド』

 夏の終わりのまだ暑い午後、少年は見慣れない景色に飛び込んだ。すこし強い風が吹いて枝葉がかさかさと揺れていて、その音に少年はかすかな不安を抱く。

 少年は辺りを見回すが、もちろん見たこともない場所でその先に何があるのかも分からない。先に行ったところで少年の求めるものは何もないだろう。それでも今日は学校からそのまま家には帰りたくない気分だった。

 すれ違う母娘が少年を心配そうに見ていることに、少年は気付いた。泣きそうになっていることに気付かれたくなくて顔を背ける。

「大丈夫?」と聞いた、少年よりもすこしだけ年上だろう少女の言葉を少年は無視する。大人に心配されるよりもそれはずっと嫌なことだった。

 お母さんのほうはすぐに察したみたいで、「さぁさぁ、ほら行くよ」と娘を急かした。

「だって……」

 少女のほうは納得行ってないみたいだったが、先に進むお母さんを見失ってはいけないと追い掛ける。ぎりぎりまで少年を見ていることは肌で感じていたが、目を背けてからは最後までふたりの姿を見なかった。

 手で胸を押さえて、ふぅ、と少年はゆっくりと息を吐く、と、突然!

 怒鳴り声のような音が聞こえた。その音の恐ろしさにそれまで抱えていた哀しみは脇に追いやられ、その音にのみ注意がいった。

 その音が聞こえてきたのは、和風の邸宅からだった。地元の名士が暮らすような……。貧しい暮らしをしている少年では一生住めないであろう立派なお屋敷だった。

 少年の住む団地にはひとり、政治家の娘のお金持ちのお嬢様が暮らしていて、少年はそのお嬢様のことが好きだった。その子はお金持ちであることを鼻に掛けたりはしないし、たぶん少年が遊びに誘ったらいつものあの笑顔で「うん!」って言ってくれるはずだ。ただそんなことを「金持ちは敵だ!」が口癖の両親が許してはくれないだろうし、そもそも少年にそんなことを言う度胸はない。

 こっそりと少年は生け垣の隙間からお屋敷の中を覗く。窓と障子が開け放たれていて、その先に布団にくるまり、苦しそうにしている人の姿を見つける。顔ははっきりとは分からないが、なんとなく老人のように見える。

 大変だ! 怒鳴り声じゃなくて、苦しんでいるんだ!

 少年は慌てて生け垣をこえ、庭からその人が寝ている部屋に入る。想像通り、かなり高齢の老人だった。少年の祖父よりもさらにふたまわりくらい年を取っているような感じだった。

「大丈夫ですか!」

「み、水……」苦しむ老人は掠れた声で自分の背後を指差す。指の先にあった水差しと湯のみを少年は手に取り、老人のもとへと持っていく。

 水を飲んですこし経ち、老人が落ち着きを取り戻したことを確認すると、少年はその場から立ち去ろうとした。しかし背中越しに、

「待ってくれ」

 と呼び止められ、少年はおそるおそる背後を振り向く。怒られる筋合いはもちろんないけれど、不法侵入には変わりなかった。

「礼を言いたいんだ。すこしゆっくりしていってくれないか?」

「は、はい……」

 ずしりと重みのある低音に、思わず少年の声が上擦る。

「すまないな。妻はもう死んでいるし、息子夫婦とは離れて暮らしていて、な。家政婦は買い物中、と私ひとりだけだったんだ」

「そうなんですね。こんな広いお屋敷に、ひとり……あっ、ごめんなさい」

「いや、気にしなくていい。本当のことだからな」

「でも――」

「きみは、どこから?」

「隣のS町から」

「そうか、私も幼い頃はあそこで暮らしていた。子どもの頃は人見知りがひどくて友達なんてひとりもできなくてな……」

「本当ですか!」

「何をそんなに驚いているんだ。そんなにS町に住んでいたことがめずらしいのか?」

「あ、いえ、そうじゃなくて……」

 実は、と少年は老人に友達ができずに悩んでいることを話し始めた。大人にこんなことを話すのは初めてだった。この人になら分かってもらえる、と何故かそんな気持ちになった。いじめられているわけじゃないし、距離を置かれているわけでもない。ただ周りにとけ込むことができなかった。

「……そうか。友達がいない、か。まぁ無理して作る必要もないなんて、この年齢にもなったら思うが」

「でも嫌なんです」

「そうだよな。その通りだ。今、言ったことは忘れてくれ。自分の子ども時代のことを忘れてしまっていた。私も、欲しかったし、ひとりは嫌だった」

「うん……」と少年が頷く。

「これが解決策になるかどうか分からないが……」老人は少年の頭を撫でて、「きみを見ていると懐かしい感じがする。私の子ども時代の経験を真似てみないか?」

「経験を真似る……?」

「あぁ、私は子どもの時、きみと私くらい年齢の離れた友達を作ったんだ。どうだ。私と友達にならないか」

「お爺さんと友達?」

「嫌か?」という老人の言葉に、少年は首を横に振る。

「きみの名前は言わなくていいし、私の名前も言わない。来たい時だけ来ればいい。友達ができるまでの、友達だ」

「友達……」

「そうきみにとっては最初の友達で、私にとっては最後の友達」

「最初の友達と最後の友達」

 初めての友達ができた少年は、それから数日間、毎日のように老人のもとを訪ねた。そして初めての同い年の友達ができた少年がその報告のために老人に会いにいくと、顔見知りになっていた家政婦さんから涙ながらに老人が死んだことを告げられた。

 少年は初めての友達の死に、一日中、泣いた。

 それから数十年の時が経ち、少年は老人と呼べる年齢になっていた。

 初恋を実らせ政治家の娘婿となり義父と同様に政治家となった彼の周囲には多くの人間が集まった。しかし影響力を失うと徐々に周りからは人が減っていき、最後まで心の底から愛し続けた妻との死別、息子夫婦との別居を経て、医師からの余命宣告。もう会うのは、この広い邸宅で共に暮らす信頼できる家政婦ひとりだけとなった。

 布団にくるまり、ふと過去の光景が頭に甦る。そうか、もしかしたらあの数日間だけしか会うことのできなかった最初の友達は、未来の……。

 そこまで考えたところで急に胸が痛み出す。苦しさでうめくが、家政婦は買い物に行っていて、家には今、自分ひとりしかいない。

「大丈夫ですか!」

 あぁ知っている。その声は、これから最後の友達になる……。

                       了