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アパートの一室にて【ショートショート(約1000字)】


 暖房のついていないひんやりとしたアパートの一室で、青年の顔をつたって、汗がとめどなく流れる。

 何度も拭った茶色のパーカーにはまだその名残りがあった。

 外の景色をさえぎるカーテンは閉じ切っておらず、すこしだけ開いたカーテンに目を向けた青年は軽く眉間にしわを寄せながら、足を早めてその淡黄色の布を掴んだ。その時、視界に入った雲はねずみ色だったが、雨はすでに止んでいた。

 青年はカーテンを閉め、部屋の電気を消し、年季の入ったキャビネットの前に立った。キャビネットの上には写真立てが置かれていて、高校時代の青年とその同級生のふたりだけをうつした写真が嵌め込まれている。場所はテニスコートで、ふたりはともにテニスウェアを着て、青年はラケットを片手に無表情で、ボールを持った同級生は笑顔で青年の肩を抱き、目の周囲は赤みを帯びていた。

 青年はひとつ息を吐き、キャビネットの一番上の引き出しを開けた。そこには一本の拳銃、白い封筒、週刊誌の記事の切り抜きが入っていた。白い封筒には〈遺書〉という文字が書き殴られ、青年は拳銃と封筒をパーカーのポケットに入れ、『警官襲われる 真夜中の拳銃強盗』と記された記事の切り抜きは、細かくちぎって、ゴミ箱に捨てる。

 青年は舌打ちをしながら、二番目の引き出しを開けたところで、水のはじく音のまじった車の停車音が部屋の中まで響いた。

「先輩を乗せる時はもっと丁寧に運転しやがれ」
「すんませーん」
「調子乗ってんのか! ったく、最近の若いやつは」
 怒鳴り声はアパートの前から、声の大きさでその距離まで判断でき、その声が徐々に近付く。

 二番目の引き出しには手書きの借用書が入っていた。青年はそれを掴むと、またパーカーのポケットに突っ込む。

「坂本さーん、いますか~、いるんでしょ~。居留守なんてやめて出てきてくださいよ~」

 間に合った……、と青年は独り言をつぶやいて、一度だけ親友に目を向けた。ふたたび窓を開ける直前の、

「おい、カギ開いてるじゃね~か。じゃあ坂本さん、ちょいと失礼しますね。あっ、なんだこの臭い……これって、おい、まさか……」

 という声は青年の耳にも届いたが、青年は声のほうに目を向けることもなく、窓から地面へと飛び下りた。湿った土はほんのわずかだけクッションの代わりとなり、足の衝撃を緩めた。

 青年は血に染まった茶色のパーカーを脱ぎ、遠目にはペンキが付いたようにしか見えないそれをわきに抱えて、

 自宅を目指した。

 途中、すれ違った少年が青年の顔を見ながら、首を傾げていた。

                           (了)