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その前を味わうとき

【今日の投稿の3文まとめ】
①文脈無視で「みんな違ってみんないい」のか
②勝手に文脈つくっていいのだろうか
③派生でない、その前をみたい

どうも、遅めのお昼休憩です。

りょーさけです。
電車に揺られてます。人多いっす。冷房は偉大ですなあ。今だけ一瞬涼しいです…。

さて今日は内容がごちゃごちゃになる危険性アリ。
なるべく淡々と言いたいなあ。

「みんなちがって、みんないい」ってしってます?

金子みすゞさんの詩「私と小鳥と鈴と」の最後のフレーズです。この詩自体は素晴らしいです。

ただ、端的に言ってこのフレーズだけが取り上げられててそこに背ひれ尾ひれが付きすぎている。そう思います。

詩の言葉に限りませんが、言葉は文脈で生きています。
取り出して論じてどーすんねん、みたいなこともしばしば。

例えば友人同士の会話で気楽に、親しみさえ込めて「死ねよ」と言うことがあります。え、多分あるよね。

それは単体としてはただ残酷な言葉だけど、文脈次第では場を温めることもあるわけです。

だから例えば、いさかいごとがある度に「みんな違って〜」だけを取り出すような使い方は苦手です。

子どもの喧嘩を収めるため、とかね。

なんでしょう。文脈から切り離された言葉を使うのを罰する法律はないけど、もともとの発信者はやっぱり文脈で見てほしいわけで。
ある人の文脈ありの言葉は(あんまり考えてない)誰かの八方美人的な言動を補完するためにあるんじゃない。そういうふうには思います。

今のは文脈から切り取る話でしたが、では反対はどうか?

反対とは文脈を勝手につける、って話です。具体的に言うと今日の甲子園決勝ですね。

確かにですね、わかります。対戦校が決まったとき自分も「おー超エリートVS地元民かあ」と思いました。
だから、文脈つけたいのはわかります。

でもウソはどうなん?

ここ言うまでもなくポイントです。
感動できればウソでいいのかよ。

いやそれは違うでしょ。

錯綜気味だけど今日の言いたいことはそこですヨ。
「金足さんほとんど野球未経験なんだって!」って、野球やったことありゃ嘘かホントかわかるでしょ…なんで野球ファンがそれを広めちゃうの。

まあ正直本当でも事実でも神の言葉でもいいですが、過度に足し算引き算するのをやめていただきたい。

勝手な文脈がつく前のそのものをみたい。

金子みすゞさんの詩も、その前のフレーズをみたい。
私の比較対象が「小」鳥であり、もう一つの比較対象が鈴(小鈴とはかいてないけど、まあ大きくてもたかが知れてます)であることとかに目を向けたい。

「比較対象が小さいものということは、これは少女が詩の主体なのかなあ」とか、「え、これってみすゞさん子どもの頃書いたのかな」とか「大人になってから書いたとしたら、なんでわざわざ少女目線にしたのかなあ」…とかそういうことも味わいたい。
「みんなちがって、みんないい」の文脈無視の感動ポルノよりずっと楽しい発見があるはず。

飲み屋で愚痴るおっさんの言葉で曇る前のあこがれのバーテンさんの手付きを見たい。

不倫報道で無駄な人格否定までされたミュージシャンの、ただ曲を、曲を聞きたい。

食べログの評価見る前のこのラーメンの味が知りたい…。

(きりがない、ですネ笑)

ですからまあ、あれです。

甲子園決勝はアツいと思うよ。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。