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noteで90日間連続投稿をして分かったこと。

どうもこんばんは、りょーさけです。
どうやらちょっと節目らしいので、たまにはそれっぽい投稿を。

noteを始めて3ヶ月が経ちました。
昨日投稿した時に「90日連続の投稿!!!ここまで続けられたら自慢できますよ!」ってあったので、半分自慢を書かせて下さい笑

あともう半分でせっかくだから「#noteでよかったこと」を書こうと思います。

noteでよかったこと。
noteでよかったこと…。



それを考えながら感じたことがあるのですが、こんなに連続して何かをやり続けたのは大学受験以来だったような気がします。
酒は好きですが周囲の心配の声もあり10日に一度くらいは飲むのを休みます。もちろん酒のことを考えてない日は酒心がついてから一度もありませんが、行為としては休んでいるので連続してません。

noteに向き合って何事かを書こうとする。これがこの三ヶ月間唯一能動的に続けたことになるんでしょう。

noteに向き合って、書く。
書く。書く。たまにくじける。書く。実生活が充実する。書く。実生活が傾く。書く。凹む。書く。書く。絶望する。書く。スキップする。書く。書く。書く。息子がかわいい。書く。酒うまい。書く。書く。歩く。息をする。カップ麺食べる。書く。銭湯へ行く。書く。夜空を見る。書く。人と笑う。書く。書く。

こんな感じの生活でした。
カネになるわけでもなく。爆発的に注目されるようになるわけでもなく。

(始めた頃「はよそうなれや」と思って書いていたのは内緒です。恥ずかしいネ。)

noteでよかったこと。
それは多分嬉しいことだよね。

noteで、よかったこと…。

noteって、ちゃんと読んでくれる人いるよね。
それがたとえ一人でも死ぬほど嬉しかったことってないですか?


あ、これですかね「#noteでよかったこと」。
これですね。よかったこと。

まずこれです「最後まで一字一句(くらいの勢いで)読んでくれる読者がいること」です。良かったこと。はい。

あのね、これは言い切りたいので言い切らせてください。

人にはある時「あ、これ書いてできたら誰かに見てほしい!」っていう原始的な欲求が出ることがあるのです。
ある人は発作で。ある人は慢性的に鬱屈した何かが弾けて。

文才音感絵心話芸審美眼云々かんかんの一言でまとめるとしたら「才能」と言われるものがあったら嬉しいなあ。嬉しいなあ。ないかもなあ。でも見てほしいなあ。

こんな感じのマグマが煮えたぎっていく。
ああ、熱いね。熱いんだ。こんなにも人の欲は熱い。
この要求が高級だと言うつもりはない。これをもってたらエライわけじゃない。むしろ僕はこれが低級の。普通のそう、原始的なものだと思うのです。程度によっては食欲とか睡眠欲とか性欲よりも切実なのではないかな。

夜道を歩きながら月を見上げて、美しいと思って。スマホで打ってる自分の文章をため息で揺らして心で一言。「ああ、美しくはないかな。」そんな風に思って笑って泣いてしまった夜を抱きかかえて眠ったことがある人に向けて僕は書いています。

でもこれは第一段階だと思う。

これだけが動機の人は一回バズるか、もしくは続けてもバズらなかったらやめてしまうかもしれない。

あれだけ毎日「バズりたい」「有名になりたい」と思って書いていた初期の頃ではこれは考えられなかった。そんな第二段階が確かにあるのです。

それは「ああ、おれ一人ぼっちで月にいても書くだろうな。」っていう段階です。これを知れたこと。それがもう一つのnoteで良かったことです。
これがただの気障に見える人はいますか?
僕はいないと信じます。いないよね?いる?

じゃあ90日続けてみてください笑
180日続けてみてください。
365日続けてみてください。

ずっとやってみてください。

たぶんやってたら途中で似たような感情に行き着くのではないかなあと若造ながら思っております。
あるんです。

ウケ狙いとか他人の評価とかどうでもよくなる地点が、「表現のゼロ地点」がたしかにあるのです。

そして、そこから始まるんです。
「ウケないからやめよう」とか「流行ってないテーマはやめよう」とかそういうどうでもいいことは抜きにして、自分の表現が始まる。

はじめから他人に合わせたものではない、自分好みの小さな芸術がはじまる。
そこから作るという行為にかける熱量は更に増すし、ものを見る目も変わる。
自分用にカスタムしていく自分が始まる。

そんな気がしているのです。

こんな時代じゃあ 
手間暇掛けようが掛けなかろうが終いには一緒くた
きっと違いの分かる人は居ます
そう信じて丁寧に拵えていましょう

椎名林檎 「人生は夢だらけ」より一部抜粋

これです。
林檎さんと我々では、いや失礼。みなさんはわからん。
林檎さんと私では住んでるところが世界線レベルでもう違いますが、はい、同じ世界に居ながら違いますがでもこういうことです。

自分の好きなものを作って、その「違いが分かる人は居ます」って思いながら自分の読者を探せるんです。このnoteという場所は。

僕はそれに深く痛く感激しています。

自分がこの世でたった一つのものを作って、それのたった一人のふさわしい読者を探せる。

これの尊さって、多分第二段階にならないとわからない。
第一段階はね、悪くはないけどでも読者を数で見る傾向がある気がするんです。自分の経験からして。

「ああ今日はスキがついた」「つかなかった」ということに執着して、嘆いて自分の創作の時間が減っていく。これは第一段階のさだめと言えると思うのですが、個人的には

ここでやめないでほしい!まじで!

だから最近は僕、「スキ」を「やめんな!続けろ!」と思って押してます。
いいんです。愚痴でもいいんです。役に立たなくてもいいんです。続けるんです。どっかで霧が晴れるから続けるんです!語るんです。みんなやめるな。声を出せ。枯らせ。枯らしても絞り出せ。声は枯れてもnoteは書けるぞ。表現できるぞ。

そんな風に思っています。

最後にもうひと煽りしていいですか?笑
これまた僕では実力不足なので、スキな方の言葉を引用させてください。

(これ分かる人がいたらぜひ友だちになりましょう。や、ジョークじゃなくてね笑)

《ありがとうございます。あははは...。なんでしょう。びっくりしてます。あの...ホントに。あー。この映画を撮ってるときに、私ホントに映画の現場に入れてよかったなって、映画界に入れてよかったなって、思ったんです。あの...。これから、新学期始まりますけど...。もし、学校が辛い、方とか、もう、新しい生活どうしようって思っている方がいたら、ぜひ映画界に来ていただきたいなと思います。ほんとに、映画界ってよくないですか?わたしホントに好きなんです。みんなで一緒に映画を盛り上げていって......いけたらなと思います。》

蒼井優さん
日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞記念スピーチから一部引用

これの「映画界」を「note」に替えて読んでいただけたら、「学校がきつい」というあたりの文言を「自分の表現ができなくて辛い」「自分が本当に書きたいものが書けてなくて辛い」などの表現に関する窮地と解釈して読んでいただけたら幸いです。

noteにきなよ。
noteでやりなよ。

noteにいる方々。
これからも、noteで表現しようよ。

僕、こういう投稿って苦手なんですけど今回は思い切ってしました。
してよかったと思ってます。
あと、これからは書くだけでなくてもっと読んで、スキを押して、コメントをしていこうと思います。

ふう。

僕は、走るよ。

すべてのnote人に、乾杯。

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