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日本酒の日に考える時の流れの話 仙禽・クラシック亀の尾&ナチュールクラシックアン 前編

どうもこんばんは、りょーさけです。
皆さんいきなりですが知ってましたか?今日は日本酒の日です。
他のSNSを見ている人ならTLに多少は日本酒の画像や投稿が並んだのではないかな???
え、並んでない?

まだまだ日本酒は努力不足ですかね。ふふふ。
がんばらないと。ね。

そんなことを思いつつ今日いただくのは、栃木県の仙禽です。
仙禽クラシック亀の尾と、仙禽オーガニックナチュールアン。



使っているお米は同じ(亀の尾というお米)ですが、そこから得られる味のイメージはぜんぜん違う。

クラシック亀の尾は海の表層。ナチュールは同じ海の深層といった印象です。
…わかりづらいか、これ。

前編なので分かりづらいまま続けますが、このお酒を飲んでいると他にもいろいろなことを考えさせられる。
仙禽が醸す酒の味の多彩さとか、デザインのかっこよさとか。

時の流れをどう感じてそれにどう身を任せるか、といったこととか。
酒2本飲んだだけであったこともない人にいろいろ考えさせるってすごくないですか?

(その考えたことが実のあることなのか、何かしら正しいことなのかはまあさておきですが)

なんというか、仙禽を見ていると考えさせられるのです。
僕は大学生の時に初めて仙禽を飲みました。
その時代、仙禽は「異端児」「変わり者」として見られていたように思います。
その時は「目立ちたがり屋なのかなあ」とか思ってました。飲んで。それくらいに、初心者にもわかるくらい特徴的な味だったのです。

しかし今時が経って思う。
時が経って、改めて仙禽を飲んで思う。

あれは戦略だったのではないかと。
嫌になるくらいヴィヴィッドな酸味や、フルーティな感じ。あれは自分たちの存在をアピールするためのある種の妥協であって、本当に目指していたのは今現在いるここなのではないかと。

そんなことを思うのです。

その時の自分たちを最大限引き立たせるモノを作りながら、しかし将来に向かっての投資も確実にして歩みを進める。

それの困難さ、かっこよさ、途方もない努力なんかを(勝手に)思う度に嘆息する。

あるところでは「仙禽は丸くなった」とか「とんがった感じがなくなった」という意見も実際に聞くのですが、僕はこれが職人の理想が成就するまでの遠大な、勇気のいる道のりだと解釈したい。

で、これは前編であった。

唐突ですが今日はここまでにして、また明日お話したいと思っています。

なんにせよ、ですね。
仙禽は素晴らしく美味しいのです。

また明日も飲みたいな。飲もう。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。