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「独白」 / 短編小説・後編



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夕餉の支度を済ませた後、冷えを感じた庄一は追焚きした三日前に張った湯の中に身体を沈めていた。
瞑目 めいもくして静かに息を吐く。湯はとうに丸くなり、その中でじっとしていると、海の中というよりは日々から遠く離れた宇宙空間の中に胎児が膝を抱えるような姿で、一人静かに浮かんでいるような感じがした。


例えばこれが海の中だとすると、陽光の届かない深海だろうと庄一は思う。少しでも自分が身動きすれば、得体の知れない堆積物 たいせきぶつが白く舞い上がるような音の無い世界。視界の端で、ゆらりと大きな深海の生物が通り過ぎたかも知れない。

しかし庄一はそんな空想の世界の中で、孤独には違いなくとも寂しくは無かった。どちらかというと侘しいという方が庄一の心の形により近く密着したことだろう。
手の平で湯を すくい上げ、顔を濡らす。きずにその動作を何度も繰り返した。僅かに開いておいた風呂場の窓は、あの隣家との間の空間に面していた。その隙間から外へ浴室の湿った空気が流れ出ていく姿が見えた。


水分は細かな霧となり外界へと消えてゆく。出て行った分だけ、春の夜気が入って来ているのだろうか。目を閉じると、あの沈丁花の香りが うっすらと漂っているように思えた。
(春、だな…)
改めてそう感じ、外から忍び寄る夜気だけを、この空間に忍び込む夜気だけを、庄一は再び瞑目して老いた肺一杯に吸い込もうとした。
吸っては吐き、また吐き出した気体と同じ分だけをゆっくりと吸い込む。
春の本質を、その心髄しんずい を、少しずつ己の血液の中に溶解させるように、限りなく希望に近いささやかな祈りにも似た気持ちを抱きながら、吸っては吐き、吐いては吸った。

肺の奥底の辺りで、これまで生きてきた中で一度もその存在を自覚した事が無いような、そんな細胞の一つが庄一の行為に呼応したような気がした。
その一つの細胞は庄一の体内の奥深く、血液の流れる川のような音や心臓が刻む生命の力強い拍動を自身に響かせ、今迄の間幾度も気の遠くなるような回数を代謝によって生まれ変わりながら、庄一を形造る礎の一欠片として長い月日を共にしてきたのだろう。

庄一は、これ迄そのような事を思い付いた事など一度も無かった。何故不意にそんな事を考えたのか理解出来なかったが、自分の中に数多のものたちが潜み、またそのものたちによって自分が形成されているという事に改めて気付き、湯の中で自分の萎びた腕をゆっくりとさすった。


(春なのに…)
皮肉を込めたつもりは毛頭無かった。新しいものが芽吹き育まれる季節の中、庄一は確実に更なる老いへの一歩を踏み出していた。それに反する訳では無く、何故かごく自然な流れに身を任せているような気になった。
それは、ほんの少しの安らぎを与える情動であった。四季が巡るように、己の体にも何かの流れが絶えず巡っているのだろう。木々の新芽が萌え、若葉の頃を過ぎて紅葉し、やがて落葉する。しかしまた、冬を経た木々は春を迎えると新しく萌え立つのだ。
新しい季節を迎える度に、見えない歯車が一つずつ小さな音をたてるように、ごく自然な生命のサイクルが。


自分が少しでも人生の四季を愛でるような気持ちになった事に庄一は少し驚き、またそんな自分をすこしはにかんだ。
もう一度両手に湯を掬い上げ顔を濡らすと、庄一は湯船の中でゆっくりと立ち上がり栓を抜いた。小さな渦を巻きながら、少し冷めた湯が排水口へと流れ込んで行った。
庄一は何度も水を潜ってすっかり厚みを失ったバスタオルを手に取り、静かに顔に押し当てた。ほんのりと、陽向の香りが庄一の鼻腔の奥に広がり、消えた。


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庄一は寝間着にしているスウェットの上下に着替えると、食卓の椅子の背に掛けたままにしていた毛玉の目立つカーディガンを羽織った。
台所で手鍋の中身を大小の皿に取り分け、大きい皿にラップを掛けて冷蔵庫に仕舞い、もう一つを電子レンジで加熱した。急須の中身を流しの三角コーナーに捨てて軽く濯ぎ、新しい茶葉を控え目に入れて湯を注ぐ。
水屋から取り出した椀にインスタントの味噌汁を作り、茶碗には炊飯器から朝炊いた残りの米をよそい箸を添えた。
庄一はこれらの動作を静かに済ませると椅子に落ち着き、一通り眺めた後、ゆっくりと両の手を合わせて箸を取った。

付けっ放しのラジオからはニュースが流れていた。また、どこかで誰かが死んでいる。
庄一はテレビが苦手だ。
いつからか、殆ど見なくなってしまった。テレビではドキュメンタリーやニュースを主に見ていたが、どこどこの国で何人死亡したというようなニュースの裏で、平然と馬鹿騒ぎをしている。
テレビとはそのようなものだろうが、ある日突然その現象に対して訝しい気持ちを抱き、それからはラジオばかりを聞くようになった。テレビほどあからさまに二極を見せ付ける媒体ではないような気がしたのであった。


しかしそれは単なるきれい事なのかも知れないな、と庄一は己を戒める。
この世の中はその二元で成り立っているのではないか、と。男がいれば女もおり、善があれば悪がある。光があれば闇もあり、富があれば貧しさもある。それらは数え上げればきりが無い。子宝に恵まれぬと嘆く者がいる中で、庄一は天文学的な確率でこの世に生を受けた。そして体感する若さと老い。
煮物の味は、まとまりのないものだった。庄一は少し混乱した気分になり、箸を置いて急須から湯呑に茶を注ぎ、一口飲み込んだ。この浮世の混沌と己の思考とを、飲み込んだつもりだった。



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春は、ほんの少し人を狂わす。
庄一はそんな気がしてならない。力強く芽吹く一方、その裏で何かが奪われていくような。
(ほら、これも二元性だ)
庄一は湯呑の茶を啜った。
些細なことで安らぎを得た分だけ、例えば夕方のアスファルトの上で間延びする己の影を見付けた時のように、一つの不安と出くわす。それが辻から辻へと横切るような、そんな不穏 ふおんさを感じる度に庄一の胸はヒヤリとする。
空想の中で庄一は、何者も忍び込むことの無いように襟元の乱れを正そうとする。しかしスーパーの袋と杖が両手を塞ぎ、思うようにならない。得体の知れない不穏の影は庄一のすぐ後ろの角に身を潜め、声もたてずにニヤリと わらっているのでは無いか?
一体この不穏の影とは何者なのだろうか?
庄一はゆっくりと振り向くが、その影は非常に朧気 おぼろげで風に吹かれればいとも容易く姿かたちを塗り替えてしまう。それは庄一には無い、意外な程の柔軟性を持ち合わせていた。
(俺は、一体何に不安を抱いている…?)
その影のもつ、身軽さと柔軟性。それは結局庄一に、若さと老いという二元性を連想させた。
(…老いる事が悪いというのか?)
庄一は、混乱していた。
二元性自体に善し悪しがあろうはずも無く、また心の奥ではそれを認知しているにも関わらず、庄一は静かに興奮していた。道端の石ころにつまず いてしまった。


気付けば強く握り締めていた左手をゆっくりと開き、膝の上にそっと乗せた。
いつの間にかニュース番組は終わり、味噌汁も冷めていた。茶碗の中の少し乾燥した米も全く減ってはいなかった。
(どうせ…いつかは死ぬ…)
そう思い、庄一は再び箸を手に取った。しかしその動作が急にひどく滑稽なものに思え、声を上げて笑いそうになるのを庄一はぐっと堪えた。声に出すともう止まらないような気がして、ただ恐ろしかった。
(いつか死ぬ。けれど今俺は、生きる為に食べているんじゃなかったのか?)
何とか笑いの衝動を堪える事は出来たが、次の瞬間、それはもはや何の面白味も無いものへと庄一の中で変化していた。何の面白味も無い、真摯な思いへと変化していた。
人生という本に目次があるとするならば、今の自分はその終章を辿っている最中 さなかだろう、庄一はそんな気持ちを抱いた。庄一の右手はただひたすら強く箸を握り締めていた。


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怯えとうれ いがい交ぜになった視線を室内に巡らせる。棚の上の置き時計や、壁に掛けたカレンダー。
(これらは一体、何に向かって時を刻んでいるのだろうか…?)
暖を取る為のストーブと、少しでも世の中の動きから取り残されないようにと情報を得る為のラジオ。それらが無ければ己という存在が急に残骸となってしまうような気になり、またその反面、そのどれもが急に白々しく感じられた。
ラジオからはいつしかクラシック音楽が流れていた。その曲が、庄一の暮らすこの家の中に静かに浸透してゆく。ふとそれが知っている曲だという事に気付き、庄一は少しずつ我に返った。その音は、庄一の胸の奥にも静かに浸透し始めていた。バッハのG線上のアリアだった。


庄一は、気付けば涙を流していた。その涙が熱い事に驚いた。庄一は箸を握り締めていた手の力を緩めると、片方の手で茶碗を取った。何かに弾かれたかのように口一杯に米を頬張り、力強く噛み締め始めた。
遊びから戻り腹を空かせた子供のように、ただひたすら無心で米を噛み、飲み込み、また口一杯に頬張った。涙で目の前の全てが霞んで見えなかったが、そんな事は庄一にとって取るに足らない事だった。
(今、俺は生きている)
そう強過ぎる程に実感し、庄一は咽びながら米を噛み続けた。



人が産み落とされた瞬間 おのずと強い産声を上げるように、形振なりふ り構わず生命の泣き声を発するように、庄一の涙もまたそれと似て、至極 しごく自然な生命のアリアであった。
胸の奥で突如目を覚ましたかのように現れた熱い根源の塊が庄一を突き動かす。その内側から溢れ出る熱い涙は庄一の負の思考を浄化するかのように、ただそれは自然の営みの一つであるかのように滑らかに流れ続けた。


庄一は何度も、箸を置いてこの身の上に突如現れた情動の嵐に身を委ねたいと思ったが、その都度そんな己を鼓舞し、ただひたすらに食事を口に運び続けた。
咽いで飲み込めなくなるとすっかり冷めた茶や味噌汁で少しずつ流し込み、また箸を動かして形が無くなるまで何度も米を噛み締めた。
食事は全て熱を失っていたが、今生命の熱を発して止まない庄一の体には心地の良い温度に感じられる程であった。
(俺は今、生きている)
(俺は今、食事をしている)
それだけを心の中で繰り返し呟きながら、庄一は不意に己を包み込んだ不穏の影や負の思考を原型も無く吹き飛ばし、それらを彼方へと連れ去ろうとしている生命の嵐に全身を揉まれ、煽られながら食物を口に運び続けた。
茶碗に残った最後の一粒の米を、まるで愛おしむかのようにそっと口に運ぶと、瞑目した。


やがて全てを食した庄一は、これ以上ない程静かで落ち着いた動きでそっと箸を茶碗の上に戻し、それから感謝の気持ちを込めて両の手を合わせた。
食前と食後のこの所作が、この日はやけに神聖なものであるかのような気がし、また今迄それに気付かず無為 むいに日々の中で繰り返して来た己を、庄一は恥じた。そして今その事に気付けた事を、感謝した。
庄一は椅子に腰掛けたまましばらくの間ぼんやりとしていた。
嵐が去った後も、その原始的で力強い名残が消えた後、心が平静に包まれてしばらく経ってからも、そのままでぼんやりとしていた。
何も、考えていなかった。
ただ今は、そこに庄一が在るだけであった。



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庄一は、思うであろう。
あの情動の嵐の中、己を鼓舞して懸命に口に運び続けた食物が、やがて庄一の体内で形を変え、そしてその一部がいつか庄一の欠片となる事を。

庄一は、気付くであろう。
そうして新しく形造られた己の体の奥深くで、命を育む一端を担うたった一つの小さなものが、確実に庄一と共に存在しているという事を。
その一部は庄一であり、また庄一もその一部だと言える程に二つは密接に生きている、という事を。

そして、庄一は感じるだろう。
日々の営みを通して、己の中の一部、体の奥深くの細胞の一つ一つが、庄一の生命の続く限りその熱い拍動に健気にも常に呼応しているという事を。
庄一と、共にあらんとしているという事を。


寡黙な数々の、時は涙を誘う。
しかしこの夜、庄一の中で熱い生命の灯火が一つ、確かに心の水底みなそこ を照らしていた。そしてそれは、彼の魂にまばゆくく強く照り映えていた。
ただ、そこに彼が在る。
それは二元性を超え、また善悪やそれらの判断をも超越し、ただひたすらに優しく、そして正しく、何よりも自然な姿の一つであった。


例えるならば夜が明けて陽光が世界に降り注ぐ事と同じく至極当然な、それは自然の仕組みと等しき美しい情景であった。


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☆。.:*・゜

10年前の今頃に書いた作品で、前編の終わりに添えた曲「ミゼレーレ」を延々リピートし、即興で書いたのでありました📝

去年のおかしな気候の夏、うちの沈丁花が枯れてしまい...その花供養の意も含め投稿しました🙏🌼

後編に添えた曲「ブエノスアイレスの冬」は多分タンゴの中で一番好きな曲で、寒風が吹きすさぶ厳しい冬をイメージさせつつも、やがて春の兆しを感じられるエンディングに惹かれるものです😌🌸