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「暮らしと軌跡、そして植物と」 / 散文


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一体何時 いつぶりだろうか。


真っ直ぐに街を渡る幹線道路沿いを自転車で流していると、交差点の信号手前に白い軽トラックの姿を認めた。
花売りの老爺 ろうやの車である。
それは随分ご無沙汰な眺めで、どうしておられるかなと時折気にかけていたものだ。

まぁ、この道を通る時間が以前と変わった事もあり、老爺は変わらずここに現れていたのかも知れないのだが。



少し手前から自転車を押して歩み、通りすがりに荷台に積まれた花たちを盗み見る。
食指が動くものが無かったのでそのまま通り過ぎたが、助手席の窓ガラス越しにちらりと老爺の視線を感じた。
(おや、久しぶりの顔だな...)
そんな事を思ってくれていたら、こちらとしても一寸 ちょっと嬉しいのであるが。


何より変わらず商いを続けている姿に安堵した僕は、路面を蹴って信号を渡ったのであった。



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老爺の定位置の はす向かいの建物の一階には、以前小さな花屋が存在していた。
商品はほぼ切花なのだが、店の前の通り沿いに細々と花苗も並べており、何度か買い物をしたものである。

やや薄暗く、とても素朴でこじんまりとした店舗だったのだが、そこは自分にとってある意味記念すべき花屋でもあった。



縁もゆかりも無く、一本の道さえ知らないこの街に越してきた当日、僕は新居に生ける切花をそこであがな ったのだ。
近くのスーパーの店員に花屋の場所を訊ねて訪れたのだが、
「白のオリエンタルリリーありますか」
「今日はこれしか無くって」
そんな短い会話を交わし、僕はカサブランカを一本手に入れた。

思えばこの花屋の主は、この街に越してきて二番目に言葉を交わした人物でもあったわけだ。



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いや、正確には三番目になるだろうか。
細かい事はどうでもよいのだが、僕をこの街まで運んでくれた引越し屋を忘れてはならない。


荷物と共に、作業員二名と引越し屋のトラックで到着したわけだが、その道中は差し入れた缶コーヒーを飲みながら新たな街の話を聞いたりの楽しい時間だった。
一名は子供たちが集う場所での仕事、またもう一名はSPが天与の性分 しょうぶんだな...と感じていた事は内密である。


引越しの作業を終えて撤収する前、SPの方が
「この街での生活を楽しんで下さい」
と熱の籠った目をして一言添えてくれ、
「ありがとうございます」
とこちらも遥かなる時を さかのぼるような感覚でしみじみと返した。
思えばそれがこの街で交わした初めての会話だった。



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ふと気付けば今年の師走もなか ば近くに迫り、人々が気忙 きぜわしく街を歩む気配も感じ始めたこの頃である。


全く、例年以上に秋から植物の事で頭がいっぱいな僕は、人々から感じるそのような気配につられて気が はやるものだが、次の瞬間にはもう植物が脳裏を占めており話にならない。


しかし変わらず季節は巡り、何度目かの冬の最中さなか にいるわけである。




残念ながら切花の店は昨年別の店舗に変わってしまった。
閉店直前に何も知らず花苗を購った僕は、しみじみと礼を述べる店主が印象的だったのだが、下手をすると最後の日の客だった可能性もあったと知り、こちらもしみじみしたものである。


(あの時のアルメリア 'バレリーナ'、一時期ハダニにやられて危なかったんですが、今もなんとか頑張ってくれてます)

そう店主に心の中で告げる。




引越し屋のSPには

(近所の入り組んだ道は今もサッパリですが、今年抜け道を発見して度々利用しております)

と告げる。





花売りの老爺には

(二年前のあのデンドロビウム、まだ花芽も着いてなくって。おかしかった夏のせいにして構わないだろうか?
ついでに、植物も置き場所が乏しくなってきましてね)

と告げる。



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時が巡る。

毎瞬が別の顔で、一期一会だ。


幾重いくえ にも薄衣 うすぎぬを重ねるようで、また新しく階段の段を超えていくようでもある日々のなか、植物との密度が深まってゆく。



この街の各地で初めて出会った植物、道端のした草、新たに暮らしに加わった仲間、共に越してきた幾つかの植物たち。



(相変わらず植物に懸想けそう しております)



そう、誰ともなく告げたくなる冬。



窓辺を見ると、夜のチランジアもこちらを見ていた。



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