13年

2011年3月11日に発生しました東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りします。

あの日僕は千葉県南房総市にいました。11歳の小学校5年生でした。
あの日のことはすごく深く心の中に刻まれていたつもりでしたが、
ふと思い返すと13年経っていることもあり詳細な記憶が消えてきている自分い気づいたので、
忘れない為にこうして記録に残したいと思います。

一昔前東京都には房総エリアに各区立の全寮制の健康学園が数多く創設され運営されていました。
とはいえ少子高齢化等の影響も有り年々減少傾向にありました。

健康学園 - Wikipedia

私が住んでいた区もありまして2010年度の一年だけ私もそちらにいました。

2011年3月11日
ほぼすべての授業を終えて、
まもなく卒園式という時期でした、
あと一週間ほどで学園の仲間ともさよならという時期です。

午後2時46分

突然そこそこ大きい横揺れが始まりました。

日頃の避難訓練通り机の下に隠れていましたが、
中々揺れが収まらず不安な気持ちも大きかったです。

その後生徒が一つの教室に集められました。
とはいえ閉園が決まっていて生徒総数は約15名
先生や地元在住の寮母さんの総数の方が多いくらいです。

地震の主な被災地が千葉県でないことは揺れの大きさから感じていましたが、
一度の揺れが長時間であったこと、
短期間で余震が頻発していたことからどこかで大きな地震が起きたのだろうと小学生ながらに考えていました。

学園の建物は鉄筋コンクリート造3階建てではありますが、
海岸から100m弱、またすぐ横には川が流れていました。

教室で待機していたのはどれぐらいの時間であったのか…
僕はわかりません

1時間や2時間に感じていたような気もしますが、
実際は30分くらいだったのかもしれません。

結果的にすぐ近くのホテルに避難することになりました。

全員で避難したのち、
しばらくの間その部屋で何をして過ごしていたのか思い出せません。

ただ、気づいたら先生たちが持ってきてくれた紙と筆記用具を手に取り、
ラジオの前でひたすら聞こえてくる震災関連の情報を書き写していました。

テレビがなかったのか、映らなくなっていたのか、
はたまた先生たちの判断で子供たちに見せない為にテレビをつけなかったのかわかりませんが、
当時の僕にとって今日本で何が起きているのか、
それを知るためにはラジオが全てでした。

宮城県三陸沖で震度7の地震が起きたこと、
それによって日本の太平洋側ほぼ全域に津波警報が出ていること、
そして…大津波が東北を襲ったこと

私の父親は宮城県塩竃市出身ですが、
家族の仲があまり良くはなくて、
冠婚葬祭でしか行かない土地ではありましたが、
曾祖母や祖母がいる塩竃は大丈夫なのかさすがに心配になりました。

先生や寮母さんは交代でそれぞれの家の安否確認や必要な物資の調達に奔走していました。

臨時閉店になっていた地元のスーパーに駆け込んで、
僕たち生徒の分だけでもと食料を確保してくださいました。

そして避難させていただいた宿泊施設の方々からも
ご厚意であたたかい食事をいただきました。

正直地震発生から避難先で眠りについたまでの間覚えているのがこれぐらいしかないのです…
そしてそのほとんどがラジオに張り付いていた記憶なんです…

翌日だったのか翌々日、これまた避難先の宿泊施設のご厚意で
温泉に入らせていただいたのち、
学園に戻ることができました。

戻ってから最初に学年の下の子から順番に家族と電話することができました。

私は五年生でしたので、
順番は終盤で、それまでの間談話室のようなところでテレビを見ていたのですが、
そのテレビに映った映像や音声というのは僕がラジオで聞いて想像していた光景をはるかに上回る凄惨な光景でした

繰り返し流れる津波が街を襲う映像
僕は
人が建物の陰に入った瞬間に津波が到達しその人がいるであろう場所が一瞬にして濁流にのまれるところを見てしまいました

その方が助かっている可能性もあるわけですが現実はきっとそう甘くはないのかなと・・・

その後僕の順番が来て、
家族と電話で会話ができました

母は自宅にいて、当時中1の兄もその日のうちに帰宅済み、父は勤務先で帰宅困難者の受け入れの為勤務先で活動、近所に住んでいる母方の親類は無事とまず母から伝えられ安堵したと同時に、
僕は父方の安否を尋ねました。

父の実家も海沿いにあったために、
建物自体は津波の被害を受けましたが、
親戚は避難していたため無事であったとのことでした。

その後のやり取りは覚えていません…

あの地震からの数日間は
11歳の私に深く自然災害の怖さを教えてくれました。

地震大国日本に生まれ、
住んでいる限り避けることはできません

しかし正しい知識を身に着けて備えることはできる

そして、実際に被災する日が来てしまったときには
自分の損得なんかを考えずに今できるベターを自他どちらにもできる人間になっていきたい。

本当に自分の記録用に近いので読みにくいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

それではまた…

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