「ありす★いん☆ゆにばーす」第1話

・あらすじ
 高校入学から数日経ったある日。周囲と馴染むことに失敗した荒崎流星は、見事にクラス内で孤立していた。影が薄いなんて次元じゃない完璧な空気ぶり。
 そこには流星の性格とは別にクラスで圧倒的なカリスマを誇る社長令嬢・一条寺有栖の存在があった。
 眉目秀麗な彼女に皆の目はすっかり釘付け、流星の華やかな生活は早くも潰えたと思われた。
 放課後、下駄箱に入れられていたある手紙に出会うまでは。

 送り主は名高き一条寺有栖。期待交じりに指定された場所に来た流星に対し彼女が告げた言葉は衝撃に満ちていて。
「わたくしと動画投稿活動をしていただけないかとっ!」
 まさかの提案をきっかけに、色褪せていた流星の日常が激変する!



 クラスで浮いている。
 そんな表現は果たして適切なものなのだろうか。
 浮くという言葉は。何かしらの表面に上がっている、という側面を持っているように思える。
 だから何々から浮いているという表現は、俺からすると、本来の意味に反して目立っている物を指しているように感じてしまうのだ。

 そう考えてみると。
 俺のような人間を形容するには、むしろクラスで沈んでいる、という表現のほうが適切なのではないか。
 そのように、ふとつまらないことを思ってみた次第だ。
 なんてことはない。俺のありふれた日常。

「あ、あのさ。荒崎くん、つぎ移動教室だよ」

 隣の席の、三浦とかいった女子だった。はず。
 机に伏していた上体を起こすと、既に彼女は教室から出て行くところだった。
 すっかり暗闇に慣れた眼を大きく瞬かせ、まずは外していた眼鏡をかけなおす。

「……誰もいねーし」

 そして辺りを見渡してようやく三浦の発言を理解する。
 情報の授業。五科目を除いた副菜のような科目の中では、まあまあ気に入っている方だった。
 軽く伸びをして教科書を用意しつつ、窓の外をちらと見やる。
 窓際席の特権。校舎外の敷地に映える桜吹雪の光景は素直にありがたいのだが。

「入学早々こんな調子で大丈夫なのかねえ、俺は」

 新入生を祝福するが如く咲き誇る花に愚痴めいた独り言を残して。
 すっかりクラスで沈んでいる俺は一人寂しくパソコン室へと向かった。

 将来的に仕事をするなら、こんな風に日がな一日パソコンの前に座る職種がいい。
 パソコン室の一角。
 担当の藤井先生に提示されたプログラミング演習を速攻で片づけた俺は、ネットサーフィンの片手間、お得意の妄想に勤しんでいた。

 藤井先生の受け持つ授業は、割とお気楽な雰囲気のものが多い。
 生徒は他の生徒に相談するために席を立ってもよし。俺のように早く終わった者は残りの時間をネットの海で過ごすのもよし。
 我がクラスの担任でもある彼の大らかさと、有名校ながら自由な校風を持つここ黒原学園は、俺からしても悪くない印象だった。

(これで後はまともに話せる奴でもいりゃあ……)

 今の体たらくの原因はどう考えても一つしかなかった。
 全ては、高校デビューを派手に飾ろうとした俺の粋がった態度のせい。

 偏に純粋な好奇心だったのだ。中等部と高等部に分かれている点だとか、望むなら寮生活を送られる点だとか。授業内容だとかその他設備だとか諸々含めて。
 万年陰キャの俺に似つかわしくない冒険心が騒ぎだしてしまったのだ。

 ここでなら、俺は咲けるんじゃないかって。
 ここでなら、辛気臭い過去に別れを告げられるんじゃないかって。

 得意になって両親に話を打ち明けた時には、それはもう心配されたものだった。
 生まれてこの方地味系で売ってきた息子が、突然心機一転して寮生活を始めるというのだから当然のことではあるが。
 それでもあの時の俺には妙な行動力があった。未来に夢見る子供だった。このまま落ちぶれていてはいられないという反骨心を以て、俺はついに、ここ黒原への入学を押し通してしまった。

 しかし当然、人というのはそう簡単には変われない。

 その楽観は入学式を終えたクラス顔合わせの場にて盛大に狂わさられることになる。
 忘れもしない、あの時の情けなさといえば――。

「一条寺さん、作業が進んでないみたいだけど……何か困ってる?」

 ちょうど思い浮かべていた名前を耳にしたものだから、キーボードを叩く力が思わず強くなってしまった。
 隣に座る男子からの不審げな視線が痛い。

「わ、悪い……」

 クラスメイトとの会話はたった数回ほど。もれなくこんな当たり障りのない内容だったと思う。
 ちくりと痛む胸に無視を決め込みつつ、俺はさっきの声の出所に目を向けた。
 最後尾に座る俺から四つ前の席にいる女子が二、三人ほどの男子に囲まれている。
 様子を見る限りは、その女子が課題に困っているところを周りの生徒が助けているという心温かい光景なのだが。

「ね、オレらに任せてくださいよ! 一条寺さんのためなら、それくらい喜んでやりますって! なあ?」

 まるでグループの代表のような感じで、明るい金髪の男子が後ろについている生徒に同意を求める。当たり前のように頷く取り巻き。俺を含め関係のない者からも、徐々に目立ち始めていた。

「あの……お気持ちは嬉しいのですが、二峰さま。せっかくの授業ですからもう少し自力で頑張ってみたいと思っておりますのでっ」
「おー、流石は社長令嬢すねぇ! 美人ってだけでなく性格も気高いとか、こりゃやっぱ憧れざるを得ないなあ」
「……あらまあ」

 明らかに困っている。というより、疎ましくさえ感じてるのではないか。遠巻きに見ている俺にも、その儚げな苦笑から容易に推察できた。

 一条寺有栖。
 その名は俺たち一年二組の中で知らぬ者はいないだろう。
 斯様にクラスで沈んでいる俺ですら、その美貌と輝かしい経歴には顔を上げざるを得ない。
 県内でも有名な資産家の娘であり、社長令嬢というご身分にあらせられる高嶺の花っぷり。
 その情報は入学して間もなく学園中に知れ渡り、瞬く間にご覧のような人気を博するに至った。

 性格もよい。他人を見下さず、常に礼儀正しく、世間知らずの混じったほんわかとした態度は周りからこよなく愛されている。
 おまけにその背丈の低さに反して出るところはしっかりと出ており、肩をくすぐる栗色の髪はすれ違うだけで良い匂いが漂う。

 完璧、まさにその一言に尽きる。
 そんな人物と同じクラスに入学できたともなれば、ほとんどの者が感じた興奮というのは想像に難くないだろう。

(まあ……要するに、だ)

 このクラスは一条寺有栖を中心として纏まりつつある。
 あの二峰のように積極的に声をかけにいく者。その子分みたいな者。それらとは距離を置いてファンクラブめいた集団を形成する者たちに、そのいずれでもない俺。

 つまり、俺という人間は。
 一条寺有栖という予想外にして圧倒的なカリスマの持ち主を前に完全にビビり散らかしてしまい、このブームにまんまと乗り遅れてしまった小心者だった。
 迎合することを格好悪いと見なし、二の足を踏んでいるうちに他は着実に自身の立ち位置を築き上げていて。
 後から混ざりに行く甲斐性もない俺は、晴れてクラスで浮く、もとい沈むことになったのだ。

「――ですのでっ。はい、またの機会に」
「分かったよ一条寺さん。演習頑張ってなー」

 内省に耽る俺をよそに、あちらは円満に会話を終えたらしい。
 残念そうに立ち去る二峰と愉快な仲間たちを、一条寺有栖は会釈で見送っていた。
 なんと健気か。事態を見守っていた他の生徒も静かに色めき立っている。全く大した人気ぶりであった。
 ああいう人間は、たとえ受け身でも周りが放っておかない。
 それに比べ――。

「……だっせぇな、俺って」

 ごちゃごちゃと思考をこねまわして、仄暗い羨望の眼差しを向けることしかできない。
 騒ぎが落ち着いたあとも、俺は一条寺から目を離すことが出来なかった。
 それがまずかったのだろう。

「あら……?」

 よほど力が籠っていたのか、俺の視線が彼女に気取られる。

(やべ)

 心臓が高鳴る。
 しかしいきなり視線を逸らすような愚かな真似はしない。
 まずは一条寺よりも向こう、前にあるホワイトボードに書かれた板書を見ているふりをしつつ、「あー、なんか良く見えなかったわ」って首を傾げてからゆっくりとパソコンに目を戻した。

 我ながら、悪くない演技だったと思う。
 彼女は俺の方を振り返って不審そうにしていたが、すぐに興味を失くして自身の課題に注力し始めた。

「ふう……」

 目立たないように振る舞う小手先の技術だけがみるみる上達する。
 なんとも物悲しいことだけども、今は耐え忍ぶ時だ。
 俺だって、せっかく背伸びして入った学園での生活をこのまま寂しく終わらせるつもりはない。
 これからも立ち回りを慎重に、かつ隙を見て少しずつ仲間を作ろう。新生活に馴染んでいこう。
 まあ、そう誓ったのはいいものの。
 結局その日の授業は何の見せ場もなく終わってしまったのだが。

 今の惨状を思えば当然のことではあるけれども、俺は生まれてから女子にモテたという経験が酷く乏しかった。
 いや、はっきり言って全くそんな機会には恵まれなかったと言っていいだろう。
 だからこそ、目の前に広がる光景を理解するのに随分と時間を要してしまっているのであって。

「下駄箱に、手紙とか……こんなことって本当にあるんだな」

 宿舎の自室にて腰を落ちつけた俺は、ようやく机に置きっぱなしにしていたその手紙を手に取った。
 高級感のある青の封筒に、ご丁寧に赤い封蝋が捺されている。
 嗅いでみると何となく良い紙っぽい匂いもして、とにかく尋常じゃない様子だった。

 見つけたときは、それこそラブレターではないかと思ったものだが。
 入学して間もない俺にこんな大仰な手紙が浮かぶ理由など、やはりどうしても考えられなかった。
 ましてや他人の目から隠すようなこんな方法まで使うなど。

 だがしかし、この封筒のあまりに物々しい様はどうした。
 まるでこちらの推測をことごとく跳ねのけるようじゃないか。
 俺は浮ついた期待を殺しきることができなかった。

「まあ……とりあえず、開けるしかないよなぁ」

 結局確かなことなど何も分からないまま絞りだした結論は、情けないほどにありきたりなもので。
 蓄積した疲労感を引きずるようにして、机から鋏を取り出した。
 もちろんペーパーナイフなどという冴えた代物は持ち合わせているわけもない。
 少し手こずりながら、中身を取り出す。
 可愛らしい花の模様があしらわれている便箋が、綺麗に三つ折りされていた。

「差出人は女性っぽいな。……どっちかというと」

 ことさら冷静に状況を確認、されど緊張に両手を震わせながら。
 恐る恐る文面に目を通す。
 念のため宛名も確認したが、確かに俺宛てのものであるようだ。
 こうなったらもう逃れられない。そのまま読み進めてみる。

 拝啓から始まる書き出し、春云々といった時候の挨拶が続き、ついに主文へ。
 封筒の見た目や大げさな封蝋とは対照的に、内容自体はとてもシンプルだった。
 明日の朝、伝えたいことがあるので学園前にまで来てほしい、と。

「明日は……土曜、休日。しかもわざわざ学園の外にまで呼び出すのか……?」

 分かりやすい旨。だが問題はそれの意味するところにある。
 即ち俺を呼び出してそこで何を言うつもりなのかということ。
 不意に、背筋を汗が伝う感触。喉も急激に乾いてきた。

「ま、まさか本当に告白か? え、告白? 俺に? いやぁ……ない。ないわ。それは流石に都合よく考えすぎだよな、うん。あれ? でも待って。なら他の理由ってなんだ? 考えられるか? ないな。ない。ないかも。え? じゃあこれ何なん? こいつはこんな手紙を寄越して、俺に何をするつもりなんだ……?」

 普段から喋り足りない口が、ここぞとばかりに独り言を吐き出す。
 思考がまとまらない。
 いくら先入観を排除しようとしても、俺の心は淡い理想を追い求めてしまっていて。
 膨らんだ期待は止めどなく。俺の目線は無意識のうちに手紙の最下部に記された差出人の名前を捉えていた。

 一条寺有栖。

「――ほへ?」

 絞りだした言葉はそれだけだった。あるいはそれしか言葉にならなかったのかもしれない。
 完全にキャパオーバー。俺の脳は目の前の情報を処理することを諦めていた。
 何を思うでもなく、いたずらに文面を何度も追う。
 そこに俺が満足する答えがあるわけもないが、そうすることでしか浮つく心を抑えられなかった。

 どのくらいの時が過ぎたか。
 完全に袋小路へと陥った俺の意識は、誰かが部屋の扉を開けた音で引き上げられた。

「おーす……って、荒崎。どうしたんだ? そんな顔して」
「あ、沖上先輩……ども」

 入ってきたのは高等部二年の沖上鋭一先輩。
 俺とはルームメイトの関係にあるのだが、例によってあまり話す間柄でもなかった。
 背は高いが痩せていて、目つきが鋭い割には穏やかな態度。
 俺としては好ましく思っているけれど、慣れない相手ゆえに妙に牽制していたきらいがあったように思う。

 その相手が今、こうして俺に声をかけてくれている。
 これは、チャンスなのかもしれない。
 俺は差出人を伏せて軽く事情を話した。

「へえ、今どき珍しいなぁラブレターなんてさ」
「ラ、ラブレターとはまだ決まったわけじゃ……」
「何だよ、謙遜するなって。で、相手は誰からだったんだ?」

 言えるわけないだろ。相手はあの一条寺有栖だぞ。
 流石に上級生とてその名は知っているはずだ。
 他人の恋路に際して露骨に楽しそうな先輩に、俺は慣れない笑みを作って必死に誤魔化す。
 いま全てが知れれば厄介になる、それは自明のことだった。

「ま、確かにこういうのって他人に知られたくはないもんな。特に相手の女子は後で噂とかになったら嫌だろ」
「いや、それは僕だって嫌ですけど」
「そんなもんか? 俺だったら自慢したくなるけどなあ」
「……」

 先輩には、きっと分からないだろう。
 良くないとは知りつつ、冷めきった達観が顔を出す。
 落ちこぼれているのは俺の方だというのに、どうしてこんなにプライドは高いんだか。
 そんな俺の心中が伝わったのか、先輩はふと真面目な顔をつくった。

「ま、何にせよさ。受け取ったのなら筋は通すべきだと思うぜ」
「……そうっすよね」
「実際に行ってみてまた困ったことがあったらいつでも話してくれよ。これでもいちおう先輩だしな」
「え……?」

 意外だった。
 こんな暗い、ろくに気遣いもできない後輩を応援してくれることも。
 こんな突拍子もない話を少しも疑わないことも。
 明るい笑顔を残し、去っていこうとする先輩。俺は思わず彼を引き留めていた。

「ん? 悪いな荒崎、これから部活なんだ。ゲーム研究会。そういや新入生はもうじき部活決めの季節だよな。この縁に因んでよければ今度見学に来てくれよ」

 軽く手を振って、先輩は再び扉に向かう。「部員足りなくてさー」と軽く愚痴を零す彼を見るとそんな未来も悪くないとさえ思う。
 しかし――。

「ゲーム研究会って。てっきりスポーツ系だとばかり」

 思わず笑みが漏れる。
 本当は親近感を感じて嬉しいはずなのに、意地悪い言葉しか吐き出さない口。
 いまの現状が、ただひたすら自分の性格上の問題に端を発していることが、ようやく身に沁みて理解できた。

(さて。何はともあれ、まずはこの手紙、だよなぁ……)

 相手が相手なぶん、未だ緊張が抑えきれないが。
 この先にこそ、俺の暗い学生生活を帰る光があると。
 信じてみることにした。賭けてみることにした。
 たとえ無理やりにでも。

 中高一貫校にして学生寮も備える我が黒原学園は、当然のことながら敷地がとんでもなく広く、人通りも馬鹿みたいに多い。
 入学して日が浅いうえに休日はほとんど寮の部屋から出たことがなかった俺は、学園外に出るためのたった十数分ですっかりと疲れてしまった。

 もともと運動が苦手でオタク趣味ばかりにかまけていた報いと言えば報いだが。
 悲鳴をあげる精神に鞭打ってまで進まなければならない理由が、今の俺には確固としてあるのだ。

 手紙。クラスのカリスマ、一条寺有栖からの手紙。クラスの空気に等しい俺を呼び出すあの手紙。
 まるで戦地に赴く兵卒のような、悲壮と高揚がない交ぜになった心が、俺のもやし的身体を突き動かしていた。

 敷地も広ければ、境界線となる門もそれなりに巨大だ。
 トラックでも悠々と徐行できる幅、端には警備員の詰め所。
 それよりさらに隅に、俺のように徒歩で出る人のためのささやかな出入口が備え付けられている。

 外の世界に出るのは一週間ぶり、いや二週間ぶりくらいだったか。
 空気に漂う春の香りと降り注ぐ陽光をいっぱいに感じて、柄でもないセンチメンタルに浸る。

(って、たかだか外に出たくらいで大げさな。いよいよやばいな、俺……)

 しかし、何かしら格好つけていないと正気を保てない。
 俺はこれから、あの一条寺有栖と直接会わなければならないのだから。
 自分自身への言い訳もたったところで、ゆっくりとその姿を探す。

 手紙に書かれていた時刻より五分前。真面目な彼女のことだから既に待っていても可笑しくはない。
 分かっている。分かっているからこそ、俺はわざと緩慢な足取りで彼女を探す。
 見つからなければいい。見つかってほしい。矛盾の心。

 学園の前は遊歩道になっていて、緑豊かな自然と鮮やかな花に彩られている。その奥には車が行き交う大通りと商店街が続いていた。
 俺はふらふらとその方へ向かっていた。木漏れ日と木陰の同居する道が、交互に光と闇を俺に注ぐ。

 大通りが近い。視界が広い。ここでなら、目的の姿を探すのも容易いだろう。
 取りあえず近くのベンチに腰掛ける。疲れた。何もしていないのに。
 期待と不安で千切れそうな自分をどうにか抑えていると、やや遠くの方でききーっ! と何か裂けるような音が聞こえてきた。

 俺の心が裂ける音?
 馬鹿が、違うだろう。これはアスファルトが擦れる音だ。
 その方を見れば、白くて大きい、それは大層値が張りそうなリムジンが、路肩に駐車していた。
 想定していたものよりだいぶ大型の車両の登場に、俺は暫く目が離せなかったが。

(あんなものに乗る金持ちなんて、一生あっても縁遠いままなんだろうな)

 クラスで友人一つ作れやしない程度だ。所詮。
 現実離れした光景を前に幾らか平静を取り戻した俺は、改めて一条寺有栖探しを続行しようと立ち上がり、気づく。

 強烈な違和感だった。何に対して?
 幸い朧げな疑問はすぐに解決する。
 こちらに近づいてくる数人の黒服。どうやら例のリムジンからやって来たようだ。

「すみません。あなたが荒崎さんで間違いないでしょうか?」
「え、あ、あの……」

 黒服の勢いや止まらず。
 背が高く、ご丁寧に黒のサングラスまでかけた男たちに囲まれて。情けなくもビビり散らかしてしまう。

「車内でお嬢様がお待ちです。早速ですがご同行していただきます」
「ちょ、ちょっとま、え?」

 お嬢様、同行? 何を言っているんだ、こいつらは?
 一瞬、五感が遠ざかっていく。空白が意識に満ちていくが、すんでのところで思い出す。
 そうだ、これは。

「――みなさん、彼が恐縮しております。あまり囲まないであげてください」

 同時、声がした。女の子の声。聞き覚えのある声。というより、今の今まで頭に思い浮かべていた声。

「こうして顔を合わせてお話しするのは初めてですわね? 荒崎さま?」

 目の前に現れたその女子の名は一条寺有栖。
 今日ここで出会う約束をしていたその人であった。
 相対する準備は出来ていたが、まさかリムジンでの登場とは。流石は社長令嬢といったところか。
 先ほどまであれだけ彼女に会うのを意識していたというのに、今では逆に落ち着いてさえいる。

「――と、大丈夫ですか? お目目があらぬ方向を向いておりますが……」

 失敬。落ち着いているわけはなかった。
 驚愕の連続に思考が麻痺しているだけだというかお目目てなんだお目目て可愛いなおいそれにこうして近くにいるとやっぱいい香りが――。

「はっ!? あ、ああ。だ、大丈夫。ちょっと、突然すぎて……」
「そう、ですよね。申し訳ございません。そ、その殿方に手紙を送るのなんてわたくし初めてのことで。精細な情報に欠いていましたね」

 見知った通りの丁寧な物腰。
 俺はようやく、目の前にいる一条寺有栖の姿を直視することができた。
 低い背丈にもかかわらず女性的な身体つきは、制服の上からでも分かるほどに瑞々しい。
 セミロングの栗毛はそよ風に乗って揺れるごとに輝いて見え、その声はこちらの意識を溶かすように甘い。

 いけない。また意識が飛びそうだ。
 意味もなく目を瞬かせ、辛うじて現実感を保つ。

「その、時間があまりございませんので。取りあえずはこちらの車に乗っていただいてからにしましょうか」

 乗る? どこかに移動するのか? なんで? この場で済む用件ではないのか?
 疑惑と動揺、あと微かな反感。
 そっちが急に呼び出して、そのせいでこんなに心を乱されて。
 大変だった。色々と。

 何様だ? こんな威圧的な黒服を従えて。
 天下の一条寺有栖様と言えど、少し横暴すぎるのではなかろうか? そうだ、ならばここで俺が誘いを断ったとしたら? 果たしてどうなるだろうか。
 ふん、面白いじゃないか。今に見てろ。
 俺は大きく息を吸って――。

「は、はい、じゃあ……行きやしょか……へへっ」

 大人しく連行されることを選んだ。
 だって、万年気弱なオタクだもん。こんな美少女とまともに会話できるわけないじゃない。
 そうして黒服の案内を受けつつ、俺はリムジンへ乗車した。どこへ行くのかも分からぬリムジンへ。

2話
https://note.com/ryooo_jacana721/n/n79ffdbe3f996

3話
https://note.com/ryooo_jacana721/n/nc3fab89b7ee1


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