「ありす★いん☆ゆにばーす」第2話

 一条寺有栖の家が所有していると思しきリムジン。車内は外から見るよりは手狭に感じたが、それでもその設備は充実しているさまは素晴らしかった。
 全体的に白を基調とし、ソファみたいに大きい座席が二つ、後部座席を含め三つもあった。
 あとはガラスのテーブルにはグラスとカップがいくつか。走行中に落ちないよう、くぼみに底面をはめ込むような格好になっているのには素直に感心した。

 大きな窓を流れる景色が既に馴染みのないものへと変わった頃、隣の席に腰掛けた一条寺有栖が俺の方に視線を寄越してくる。
 もしかすると、俺の気が収まるのを待っていてくれたのかもしれない。

「よろしければ、紅茶でもお飲みになりますか?」
「そ、そっすね。じゃあ、いただこうかな……」

 彼女たちに害はないのはもうなんとなく分かっているが、なすがままでいるのはどうにも落ち着かない。
 緊張に耐えつつ待っていると、じきに魔法瓶からカップに注がれた紅茶が俺に供された。
 とりあえず、作法とかを意識して匂いを嗅いでみる。正しいかどうかは知らない。というか作法自体があるのかも。
 うん、まあでも。なんだか落ち着く匂いでございます。

「……っつ、うん。お、美味しい? です、ね?」
「ふふ、どうしてわたくしに尋ねるのです?……急なことで驚かせてしまったことが、原因なのでしょうか?」

 そうだよ! なんて言えない。言えるわけもない。
 俺は曖昧に笑みを浮かべて「いや、自分が話すの苦手なだけです」といった旨を返した。返したような気がする。上手く言えたかは分からないけど。

「そうです。話……でしたね」

 一条寺有栖がにこやかに切り出す。取ってつけたような、たった今思い出したかのような口調。本当はこの時を待っていただろうに。
 もちろん、俺にも今すぐ知りたいことがある。そして彼女がこれから話すのは、十中八九そのことだ。

「まずは……というより遅すぎる気もしますが。手紙をお読みになって約束通りに来てくれたこと、本題に入る前に謹んでお礼申し上げます」
「は、はあ。それは別に、まあ暇だったからいいんだけど……それよりどうして俺なんか?」

 耐えきれずついに自分から聞いてしまった。
 告白だと思ってのこのこと付いて来たはいいものの、この状況ではあからさまにそんなピンク色のご都合主義的展開は見込めないだろう。
 だからもう、できることならさっさと用件を聞いてしまいたい。楽になりたい。余計な希望を抱かないでいたい。

 一条寺有栖は困ったような笑みで逡巡し、それから言葉を選ぶようにおずおずと語りだした。

「荒崎さまは知っておりますか? インターネット上の動画投稿サイトで活動するItuberという職業を」
「え、あ、Ituber? ああ、もちろん。あいつべ――じゃなくてItubeで動画を投稿したり配信したりする人たち、っすよね?」

 そんなこと、知っているも何も。
 思わずそうした嘲笑の意が透けてしまったのか、彼女はさらに眉を下げてしまった。
 まさか、お嬢様とは聞いていたが。本当にそこまでのものだったとは。
 そこまでしょげられると流石に申し訳ない。必死にフォローを利かせると、ようやく彼女は威勢を取り戻してくれた。

「私も父も、そうした文化に疎くて……最近ようやく、みなさまがよく話してらっしゃるVituberなる存在も理解できたんですよっ?」
「……へえ、凄いっすねえ」

 俺は上手く笑えているだろうか。あまり自信はないが精一杯の微笑み。
 この世に生きる全ての人は、みな自分だけの人生を歩んでいる。それがよくわかった瞬間だった。
 だったら俺みたいな妖怪クラスぼっち眼鏡オタクがこの世にいても許されるんじゃないか?
 彼女の無邪気さに心が洗われるような感覚を覚える。

(……って、違う違う! 肝心の話はなにも進んでいないぞ)

 ItuberやVtuber。どちらもSNSで人気のインフルエンサー的なあれやそれは、確かに俺たち学生にとっては身近な存在ではあるが。
 それが一体この状況にどう関係しているのかってことが重要なことだったはず。

「それで、どうして俺はここに連れてこられたのでしょうか?」
「……やはり、そこが気になりますよね」

 当たり前だろ。なんなんだ、さっきから。
 無理に話を引き延ばしているようにしか見えないが、後ろめたい内容なのか。それともなにか社会的にまずいことだったり? 
 もしそうだったら俺は今すぐ降りさせてもらうからな。この話から。
 と、思ったけどいま座っているこの席は絶賛快調運行中の車内にて設えられたもので。
 降りることはできなかった。物理的な制限。なんてことだ。どのみち話は聞かざるを得ないではないか。
 もしここまで見越していたのだとしたら。一条寺有栖、君はとんでもない策士――

「荒崎さまをお呼びした理由、率直に申し上げるならば……わたくしと、その、Itube上でコンビ活動して頂けないかという提案でございます」

 策士だなあ、策士。
 って、うん? 今なんかとんでもないことが聞こえた気がするけど、気のせいかな? 気のせいだね、きっとね。
 おっかしいな、耳掃除は気持ちいいから日ごろ欠かさずやってきたという自負はあるのだけど。人の話すらまともに聞こえなくなったらいよいよやばいぞ?

「……ご、ごめん、一条寺さん。よ、よく聞こえなかったみたい。もう一度だけ言ってくれるかな……?」

 きっと妄想だ。頭がバグっただけ。
 そう思って、縋ってみたけど。

「で、ですからっ! わたくしと共にItubeチャンネルを設立し、そこで動画投稿活動をしていただけないかとっ!」

 だから、意味が、分からない。
 なんでそうなるの? どうして君がそこまで恥ずかしがってるの?
 こっちは急展開に次ぐ急展開で頭が馬鹿になっちまうところなのに。

 不平やら疑問やらが高速で頭の中を駆け巡る。
 そしてその忙しない脳の働きが導き出した次の一手は。

「……ぴゅー」
「あっ!? 荒崎さま、しっかりなさって!?」

 当然の思考停止。無理もない思考放棄。やがて気絶。
 遠くなる意識で、俺は心底、あの手紙を受け取ったことを後悔した。

 今日という今日は、俺の人生において凄まじく重要な日であるのかもしれない。
 再びリムジン内で目覚めたとき周囲に広がっていた、俺の見知った世界とは遠くかけ離れた光景を見て漠然とそう思った。
 窓から顔を覗かせる黒い瓦屋根の屋敷、いや城? のような建物。
 と、それを取り囲む赤や黒の松の木。遠くには人工的に作られた川のようなものも見える。

 ちょうど昨日の日本史の授業に出てきた前時代の和風庭園かのような、浮世離れした光景。
 もう言葉もなかった。
 俺は一条寺やお付きの黒服の案内に導かれるままに車内を出て、奥の屋敷へと続く石畳を歩いていた。

 ここがどこで、どうして連れてこられたのかといった、至極当然な疑問が脳に浮かんだのは、これまた立派な障子と畳の光景に囲まれてからであった。
 前を歩く一条寺が言うには、これから会わせたい人がいるとのこと。
 勝手にしろ、そんな強がりが脳を掠めるも。当初の思惑から大きく外れてしまった現状に、俺はすっかりビビり散らかしていた。

 広い屋敷も、不透明な目的も、俺の不安を煽るばかり。
 一刻も早く解放されたい。
 諦めにも似た感情が頭の中を完全に満たす頃、案内人たちの足が止まった。
 どうやら目的地に着いたらしい。

「君が有栖の話していた青年。名前は確か、荒崎流星君……だったかな?」

 畳張りの大広間。
 随分と幅を利かせる大きな木机の奥に腰掛けた男性が、立ち上がって会釈をくれる。
 黒い背広を着込んだ中年。優しそうな風貌に柔和な物腰の男性ではあった。
 しかし俺はというと、突然の展開についていけず。

「あ、はい、ぅす……」

 何とも情けない醜態を披露していた。
 お付きの黒服たちを下げた一条寺有栖が、彼こそが自分の父親だと紹介をしてくれる。
 なるほど、父親。
 雰囲気の割にやけに大物じみた登場をするものだから、どこぞの社長かと思ったら。
 なんだ、ただの父親かい。まったく驚かせやがって――

「有栖の父の政宗だ。ここの現当主にして、今はティンクルライトというゲーム会社の社長も兼任している」

「って、ホントに社長なんかーいッ! ……あ、やべ」

 あまりに展開が馬鹿馬鹿しすぎてつい心の声が漏れ出ていた。
 まずい、まずすぎる。いくら俺が訳の分からない理由で連れてこられた身であるとしても、この口の利き方はまずい。
 まるで人生そのものに絶望してしまった失意の中、細目で一条寺親子の様子を窺う。
 彼らは――。

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