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東大サッカー部の運営にティール組織を導入した話③

ここまで2つの記事で、ティール組織導入の経緯やその収穫について書いてきましたが、一方で上手くいかなかったこともありました。

むしろ、今回の特集の主題はむしろこの上手くいかなかったことにあります。
ここで挙げる課題や反省は、ひとつひとつがズッシリ重たく私の心の中に残っています。
ここまで挙げてきた数多くの収穫やメリットをもってしても、一連の組織改革を自信をもって大成功したとは言い切れない理由もそこにあります。

ですが、なんとなくはうまくいった中での反省点を振り返るからこそ、実体験を記事にする価値があるというものです。
今回の特集の最後を飾る記事として、上手くいかなかったことをこれでもかというほど詳細に書いていきたいと思います笑

・ セルフモチベーションが低いメンバーはむしろやりづらそうだった

ティール組織をはじめとする自主運営型組織は、マイクロマネジメントが存在しない分、メンバーそれぞれのエンゲージメントが非常に重要です。
積極的にユニットやプロジェクトにアサインし、あるいはそれ自体を作り出し、組織を活性化させるのもメンバーそれぞれの責任であり、逆に言えばモチベーションの低いメンバーのお尻を叩いてくれる人も存在しないわけです。

これはある意味では自然な姿です。
ティール組織は比喩として”生物的組織”などと呼ばれますが、怠惰な生物が競争原理の中で淘汰されるのは自然界でもまさに当然のことです。

とはいえ、そのような”自然な姿”に恭順することを拒み、出来るだけ落伍者を出さずに公共的な幸福を目指したのが、制度化された組織を発明した「人間」の特徴です。

そう考えれば、モチベーションの低いメンバーで占められた組織は勝手に淘汰されますね、というのは悪い意味で自然に回帰するという点で「退化」であると言えます。

本来であれば、パーパスへの共感度を高めて各メンバーのエンゲージメントを向上させるなり、あるいはセルフモチベーションが低い層に対しては一部階層構造を復活させてマネジメント層を置くなどの施策も考えられれば良かったかもしれません。
たった1年間の試行錯誤では、そこまで辿り着くことは叶いませんでした。

マネジメント層の復活は必ずしも間違いではありません。
天下のGoogle様も同様の筋道を辿っていますし、決してティール組織が唯一の正解などではないのですから。

Googleがマネジメント層に求められる特徴を調査した”Project Oxygen”については以下を参考にしてください。
彼らによると重要なのはマネジメント層がいないことではなく、マネージャーとプレイヤーの関係性の方だと結論づけています。

セルフモチベーションの度合いにバラつきが存在することは、セレクションや採用面接を行わない部活である以上仕方がないことです。
その中で各人にとって最大公約数的な組織の運用方法が見つけられたとは思えず、自分の中の反省になっています。

・ 研修が行えず、従来の行動様式を完全にはアンラーニングできなかった

先程のセルフモチベーションの話もそうですが、ティール的な自主運営組織の最大の敵のひとつはエンゲージメントの低さです。
エンゲージメントが低いのは必ずしもモチベーションだけが原因ではありません。

一般的に日本的な組織、すなわち階層型の組織に順応していればいる個人であればあるほど、能動的な意思決定やアクションが求められる自主運営組織に適応するハードルは高いと言えます。
そのような行動はトップダウン、特に形式的な上下関係を重視する琥珀型(アンバー)組織では管理のしづらさから疎ましく思われがちですからね。

校則の厳しい学校、非合理的な年功序列、幅を効かせる中間管理職などを考えてみると、日本では社会的にも教育の面でも形式的な上下関係を重視する価値観がまだまだ普遍的です。

この記事とか見ると最高ですよ。

東大生はその中でさらに、「褒められて育ったいい子達」が良くも悪くも集まりやすい環境にあるので、平均的に見れば「言われたことをきっちりやり遂げる」という受動的なマインドセットを持っている傾向があります。

ティール組織を導入したことで、劇的にコミットメントが増加したメンバーがいた一方で、主体的な発信や能動的な意思決定に対して二の足を踏んでしまうメンバーも見られました。

特に、シーズン中になるとプレイヤーが運営に参加するエンゲージメントが下がってしまい、どうしても将来を見据えたアクションや企画が少なくなってしまうというこれまでもあった課題は解決できませんでした。

本来ならば公式戦に出場しないスタッフが(誰でもいいので)オーナーシップを持てばダメージが少なくて済むはずですが、元々そういう動きが出来る部員と出来ない部員の差は埋まらないままだったように思います。

ティール組織、あるいは自主運営組織といった全く新しい行動様式/マインドセットが求められる組織体制を導入するわけですから、部員たちやそれを取り巻くOB達向けに研修やワークショップを行うべきでした。

コロナ禍の影響もあり、研修やワークショップを対面で全体向けに行うことができなかったことは、メンバーに自主性を発揮してもらうという点では確実にマイナスに作用しました。
昨年を振り返ったときに最も残念なことのひとつです。

従来の受動的なマインドセットをアンラーニングし、新たな行動様式を身につけることが必要なのは間違いありません。
複雑系では、ミクロな行動や変化が積み重なってのちに大きな変化となって返ってくるからです。

・ OB会が外部組織として存在する以上、完全にはティール化できなかった

以前に比べれば学生が主体となって重要な意思決定に関われることは増えましたが、それでも時には外部組織としてのOB会が関わらなければならない場面があります。

問題はその際の関わり方についてです。
歳が近く現場にも近いOBたちは、当然ティール組織としてのア式のあり方を理解しているので、現役部員たちと同じ目線に”降りる”ことができます。

ただ、年の離れたOBや現場から遠いOBなどの場合、どうしてもそのような文化に対しての理解度にバラつきが出てしまいます。
さらにOB会はやや年功序列的、トップダウン的に運営されているとなればどうしても現役の組織体制とコンフリクトする場面も発生します。

細々した意思決定であれば、学生達がイニシアチブを取って進めても大きく問題になることは多くはありません。
しかしながら先ほど触れたような重大な意思決定に関してはどうしても大人が一枚噛むことになります。

高額な金銭面でのやり取り法的な問題が絡む場合は特にそうです。
具体的にはスポンサーの契約絡みや人材の雇用、ハード面への投資などが挙げられます。

このようなシビアな問題に学生だけで対処するのはやはりリスクが大きいのは事実です。
むしろやらなければならないのはOB会まで含めた大きなコミュニティとしてどのように自主運営型組織のような文化を根付かせていくかということであり、この辺りはいちOBとして私にとっての今後の課題になるでしょう。

・ パーパスへの部員の共感度が高まりきらず、グリーンの罠にハマった

ティール組織では、メンバーの多様性や全人格性(ホールネス)は何よりも重視されます。
わかりやすく言い換えれば、メンバーそれぞれがありのままの姿でいられる、それぞれの価値観が尊重されるということです。

しかし、ただ多様性を尊重するだけではまとまりのない集団になってしまいますから、そのような多様な価値観/多様な個を結びつける拠り所として組織のパーパスが存在します。

組織として何を目指すのか、どのような世界を実現していきたいのかといったパーパスを掲げ、そこへの共感度が高いメンバーに組織に加わってもらうことで組織の団結力や推進力を醸成するのです。

東大ア式のパーパスは、いくつかのミーティングをふまえて

・ サッカーというスポーツの楽しみを組織に関わる人全員が享受する
・ 先進的な人材を輩出する

というような内容にまとまりました。

サッカー部というかサッカークラブである以上、サッカーというスポーツの楽しさを部員が享受することや、それをファンや保護者、OB、地域コミュニティに属する人といった外部の方々とも分かち合うことはしごく自然な目標かと思います。

また、東大生がサッカーを行う意義として、高度な人材の輩出も目指すことを掲げました。
オンザピッチの活躍に止まらず、指導者やテクニカルスタッフ、経営人材といったサッカー業界における高度知的人材や、さらにはサッカー界に関係なくともア式で培った経験を生かした先進的な人材を継続的に輩出することで、”東大サッカー部”の社会的価値は高まると考えたからです。

問題は、当然のことですがそのようなパーパスに共感して入部するメンバーばかりではないという点です。
ティール組織を掲げてから入部する新入生もそうですし、元々在籍している2年生以上ともなればよりその共感度にはバラ付きがありました。

「ただサッカーをやりたくて入部しただけなのに」
「私はただア式のメンバーの頑張りを支えるために部活に入ったのに」

このような意見は紛れもない本音でしょうし、それ自体とても素晴らしいことだと私も思います。
そもそも、毎年新歓活動を行いなんとか部員をかき集め、プレイヤーに対するセレクションすら行うことができない東大ア式が、パーパスに共感する部員のみを集めようという発想自体に無理があります

さらに言えば、大学の部活動という性質上、ア式に入部しなければ東大生の代表として大学サッカーの公式戦に出ることができなくなってしまいます。
もちろん社会人サッカーという選択肢もありますし、私ももっとクラブチームでの活動が選択肢に入ってくるべきだとも思いますが、部活に入らなければ競技レベルでの活動をやめる人が多いのが実情です。

となると、パーパスに共感できないからといって(しかも東大ア式の競技レベルで)、大学時代に公式戦に出る可能性を摘んでしまうことが正しいとも思えません。
そのためア式は、パーパスを掲げている一方で、メンバーの共感度には小さくないバラ付きがあるという歪な状態での運営を強いられました。

このような難しさを環境として抱えた上で、「パーパス主導」の活動、意思決定を行う習慣はなかなか部に浸透しませんでした。
難しい選択や直感に反する決断を求められたときに、ア式のパーパスやそこからブレイクダウンされる意思決定基準ではなく、これまで慣れ親しんだ「習慣」や「倫理観」へと回帰してしまう傾向がありました。

このような習慣や倫理は各個人が育ってきた環境や個性によってバラバラなので、中々話し合いがまとまらなかったり、現状維持的な意思決定が多くなってしまったりすることが多かったように思います。

現状維持的という視点で見れば、元々安全思考な部員が多い集団でボトムアップ的に議論した場合により安全な方向へと意見が偏る集団極性化的な要因もあったかもしれません。(集団極性化についての記事を貼っておきます)

これについては入部当初から全くの異分子だった自分は、かなり極端に合理性や変化へと寄った意見を発信し、クラブの中に多様性を残すように心がけてきました。

とはいえ、こんなのは自分のマンパワーにすぎませんし、そもそも印象もかなり悪くなりましたし、全然サステナブルじゃないですね笑
クラブ内にどのように多様性を担保するような仕組みを作るかという課題を突きつけられたように感じました。

また、ティール組織やパーパス・マネジメントにおけるパーパスとは、個人の目標や価値観とのすり合わせのためにも存在します。
なので、本来組織のパーパスに完全には賛同しないメンバーがいることは当然なのですが、その辺りも文化として浸透させきれませんでした。

つまり、実務的な側面ではパーパスへの共感やそれに応じた意思決定を習慣づけるための研修などが、やはりコロナ禍の影響もあり行えなかったことが悔やまれるというわけです。

・ 山口遼という個人の存在がマイナス因子になることがあった

最後に個人的な反省になりますが、私自身の存在がティール組織というフレームワークの中において負の影響を与えてしまうこともありました。

自分で言うのもなんですが、私は良くも悪くも”存在感”があるタイプです。

サッカーの監督としては、"合理的"、”自分の意見をはっきり言う”、”声が大きい(物理的にも)”といった特徴はどちらかというとプラスに働くことが多い気がしていますが、これが学生と社会人という関係性でティール組織に一緒に組み込まれるという意味では難しさがありました。

要するに、ちょっとレッド組織っぽくなっちゃうんですよね。
自分がいくらティールの枠組みの中で意見を言ったり提案をしたりしているつもりでも、周りからするとそうは見てくれない。

ティール組織の一員として意見を提案して、反論にも同じ目線で議論をして、みたいな感じでやってるつもりでも、
「また遼さんの意見が通ってるじゃん」
という声が囁かれてるらしいと聞いたときは難しいなあと思いましたね。

心理的安全性を大々的に掲げた1年でもあったんですが、私に真っ向から文句を言ってくれるメンバーが少なかったという意味では、それも不十分なものでしかなく、力不足を痛感します。(心理的安全性についても以下に簡単な記事を貼っておきます)

この問題も、ティール的な文化(対話やフラットさ、ホールネス)を浸透させるための研修やワークショップが開けなかったことが返す返す悔やまれるわけです。

もっと多くの人とコミュニケーションを取りながら進めていければ…少し時間が足りなすぎたのかもしれません。

まとめ

さて、非常にボリューミーな分量で振り返ってきました、「東大ア式にティール組織を導入して上手くいかなかったこと」

諸々の反省点をまとめて一般化してみると、以下のような感じになるでしょうか。

メンバーのエンゲージメントは必要不可欠であり、それが担保できるメンバーをはじめから揃えるか、そのような文化を醸成することが必要不可欠である
・ 階層組織的な行動様式はアンラーニングしなければならず、そうでないと自ら「階層の下側」であろうとするメンバーが発生してしまう
・ エコシステムの一部にティールに馴染まない組織がいる場合、フラット組織文化に取り込むか、あるいは上手く外部存在として付き合わなければどこかで機能しなくなる
パーパスへの共感度を高めたり、ホールネスを尊重する文化を植え付ける作業は絶対に必要で、さもなければこれまでの価値観や倫理観で意思決定がなされることになる
組織文化を変化させるには多くの時間やコストが必要であり、焦って階段を飛ばし飛ばしで何かを変えれば確実に歪みが出てくる

ただ、このような反省は自分と東京大学ア式蹴球部に関わってくれたメンバーのみんなが身をもって組織の変革を行なったからこそ見えてきた「実体験としての反省」です。

良くなった部分も非常に多かったことも含めて、これはア式単体にとってはもちろん、スポーツ界にとっても、さらに組織論の実証実験としても非常にポジティブなプロセスになったと思います。

ア式はおそらく今シーズン、昨年の反省や収穫を生かして更なる改善をピッチ内外で図っているはずです。いちOBとして応援しています。

私もこの経験をサッカーだけでなく様々なフィールドに還元したいと思っています。
このnoteもその一環ですしね。

今回の特集はこれで終了になりますが、今後もぜひ暇なときにでも読んでください!では!


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