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寒い日
今朝からモンが騒がしい。
彼氏が来るのだ。
「ビッ」
ブザーが軽く鳴った。
扉を開ける。
「ビゴ」の箱を掲げた彼氏が居た。
すこし赤い顔をしている。息がもう白い。
「ウー・・・」
後ろでモンが唸っている。
「モン、こっちおいで」
危なっかしそうにモンを避けると、彼氏が部屋に入ってきた。
ビゴのケーキは安いけど、上品な味がして好きだ。わざわざ遠回りして買ってきてくれる。
「・・・それでさ、部長のヤツ」
今年初めてのこたつに足を入れ、背伸びする彼のYシャツが皺寄っていて、洗ってあげなきゃな、と思った。
「ウー・・・」
モンが大きな背中に向かってケモノの視線を投げかけている。嫉妬しているのだ。でも噛み付きはしない。
彼氏もわかっている。
早速愚痴をはじめる。うん、うんと肯きながら湯を沸かす。モンがふと首を傾げた。湯気の匂いに反応したらしい。それきり台所に腰を下ろしてしまった。
「・・・ああ、ありがとう」
「どーいたしまして!」
さあ、とこたつに座って彼氏とはすむかい。足が当たって照れくさい。いつになっても慣れないものは慣れないな。紅茶の入れ方は難しいけど、最近は自信がでてきた。今日のダージリンは巧く出来た。彼氏の顔色を窺う。
「いやー、ビゴのレアチーズ、うまいねー」
・・・このひと自分のことしかかんがえてない。くすっと笑って私も先にケーキに手を付けた。私のお気に入りは木苺のムースの載ったショートケーキ、目の前のケーキは当然ソレだ。
「甘くないのがいいよね」
「いやそんでさ、さっきのハナシの続きだけど」
「部長さんが、何だったっけ?」
「いや、仲人なら引き受けるから、なんて」
「?」
モンは台所ですっかり寝てしまった。部屋には二人の呼吸する空気だけが詰まっている。
「そろそろだろ、おれたち」
渋いセカンドフラッシュを口にする手が止まった。
ああ、遂に来たか。
・・・モンがいつになく騒いだわけがわかった。
彼氏が鞄を開けている。手先が震えているぞ。
何が出て来るのか知っている。こないだ銀座で、ひやかしに指のサイズを測った。そのときうすうす勘付いてはいたけど、
嫌じゃなかった。
・・・嫌じゃない。
てことは、私は彼のプロポーズを受けるつもりなのだろうか。
「・・・おいしかった」
フォークを置いて、俯きかげんで、”自然な”溜め息をついた。間髪入れずに突き出された白い小箱に、驚きはしなかったけど、視界が揺れる。
ごつい手が、リボンを解いて中のケースを取り出した。緑色のびろうども、小刻みに震えている。
ふとモンのことが気になった。
寝ているのだろうか。暗い台所から、こちらを恨めし気に見詰めているのではないか。
台所を振り向いてみようか。
「・・・結婚してくれ。」
・・・
ストレートだね。
そういいかえせなくて、視線も上げられずに、押し黙ってしまった。
「結婚してくれ。聞いてるのか」
もう1年だ。
1年って長いようで短い。お互い仕事を持っているから尚更、学生時代だったら「ひと月分」くらいの想い出しか詰まっていない、この小箱を見て、答えを引き伸ばせないものかな、という気持ちが、喉まで出掛かった。
「ええ、」
でも私は、
「・・・はい」
・・・
ああ、こうして私は主婦になるんだ。同僚の顔が目に浮かぶ。事務職だから先も知れているし、彼氏の話しだと近々遠くへ転勤があるらしい。そのせいもあって焦ったのかな・・・。
モンは?
社宅にモンは連れ込めるのかな。
何故か次の段階を考えている。予想していたのだろうか。予想じゃない、望んでいたのだろう。
わたしはこのひとが、好きなんだ。
「・・・はめてみてくれないか」
リングは金色に輝いて少し派手。彼氏は少しも紅茶に手をつけていない。さめちゃう、さめたらダージリンは駄目なのよ。
関節をとおすのが少し痛かったけど、はめたらほぼぴったりだった。蛍光燈に向けて手を伸ばす。あったかいかんじがする。
わらってる。私。
「似合うよ」
彼はにこやかに笑った。そしてネクタイを緩めると、胸元からネックレスを出した。その先には同じ形のリングが掛かっている。
・・・ああいうことって、浮気するヤツがするのよね。
いきなりティーカップを取るとぐいっと飲み干した。味なんかわからないだろうな。でも私は彼が無造作に見せようとして演出したこの日のことを、多分ずっとわすれないだろう。
ヨメにいくんだ。
わたしはオクサンになるんだ。
先のことはわからない。
サイコロは振られてしまった。
紅茶のポットが冷たくなって、私は軽くキスをした。
モンの鼾が聞こえて来る。
親御さんへの挨拶はどうしよう、
私は余計なことまで考えはじめていた。
2000/11/6(mon)
出さないでましたがビゴ閉店と聞いて記念に。。
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