自分の人生?他人の人生?
よく、「自分の人生を生きなさい。」と言われた。他人の価値観や評価にとらわれずに生きることを推奨するメンターや書籍は多い。
でも、自分の人生を生きるってそんな簡単な事なのかな?とずっと思っていた。
他人の評価ではなくて、自分の価値観で選んだところで、社会的に生きていく上ではどうしても他者の評価が付いて回るものだ。
「自分」に焦点を当てすぎると、逆にやりたいことが見えなくなる。私は自分ができることをずっと探していた。何ができるかな、何がしたいかな。ずっと手探りして、いくつかピースを見つけたけれど、それをどうやって組み合わせたらいいのかわからなくて、足踏み。
結局、「自分の人生を生きる」ということは、「身勝手に生きる」ことでもないし、「他社との交わりを断って自分だけで山暮らしをする。」みたいな極端なものとも結びつかない。
どんなことでも、頑張ることや、我慢することは多少ある。摩擦からは逃げられない。その摩擦が生み出す熱を、自分が納得して糧と捉えることができる道が「自分の人生」なのかな。と最近は思っている。
とは言っても、自分でもそれがどんな道なのかはわからない。今、会社との交渉は3歩進んで2歩下がるみたいな状態で、微々たるスピードで前に進みつつある。
交渉をすることは本当に嫌だし、億劫だけど、手は尽くしたし。
これでだめなら会社を離れる覚悟はできている。
ダメだというならば別の道を開拓する人生にシフトチェンジするだけだ。
職場で仕事をしている時は、「死にたい」とずっと思っていた。
窓のないオフィスで虚ろな目で仕事に苦しんでいる上司と睨めっこ。
早く終われば、きみのは楽な仕事でよかったよな。と嫌味、
遅くなれば、時間がかかると顧客を逃すんだよな。と文句。
どうしたところで何か言われる。
その職場から少し距離を置くことで、自分しか自分を守れないことに気が付いた私。仕事はたぶん選ばなければたくさんある。今の会社も業績を見て、今、厳しい状況でいつまでもつのかわからない。
お先見えないコロナの時代に、心と体を病ませてまで縋り付くような価値のある組織なんてあるんだろうか。
組織の一部ではなく、個人でも強く、動じないで生きていきたい。負の感情に気力と足場を取られるよりも、前に進む挑戦で汗をかきたいと思った。
さて、どうなるのか。転換期が来た。