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もっと『自由なスタイル』で

幼稚園のころ、クマをみんなで書きましょうと言われて、顔はイエローで身体はブルーのクマを描いてたら先生や家族にすごくほめられました。

幼稚園児といえども、みんなそれらしく茶系?(いまだに色がよくわからない)に描いていたらしく、ひとりそのブルーな突飛な感じがいいねとほめられたのです。

そして、いまだに

絵ならば人間ですらイエローの髪やブルーの肌でもいいと思っています。見えたままに書かなくていいのではと思っているのです。

でもそこに深い哲学はありません。単純に自分が「気持ちがいい」からです。ああ、なんともバカっぽい理由。。

私は昔からブルーとイエローが好きで、これらの色を使ってきました。ファッション関連もやっぱりブルーとイエローが多い。

なんだか日本だと浮くけど、きっとスウェーデンあたりではうまく収まるのかと思います。IKEAのカラーリングがどっぷり好きですし。(でも実際は街を歩いてみるとスウェーデンでカラフルおしゃれ人はごく一部ですよね)

こんな傾向はべつに年を重ねても変わることなく、あいもかわらずブルーとイエローをなにかと選んでいます。

まあ、わたしは重度の色弱ときているので、きっとみなさんが見ているブルーやイエローと見ている色は違うのだろうとも思います。

でも考えてみれば、みんな自分の見えている色を基準に「ブルー」や「イエロー」と名付けているだけで、他人になれない以上、ほんとうに同じように色が見えているのかはわからないのではないでしょうか。

昔は、それなりに周りに合わせた格好をしてきました。なんとなくファッションも世代や自分の周りに合わせたり、付き合うパートナーの趣味に合わせたりすることもありました。

が、もはや今は自分の好きな格好ならなんでもいいや。と思うようになりました。すごく他人から見たセンスを考え過ぎていたように感じます。なんか今さらながら中二病みたいですが。苦笑。

だから最近は私とはセンスが違うけど、本人のしたいような個性的な格好をしている人を見ると「すごくいいね!」と思います。

昔は内心「あのセンスはどうなんだろう」と訝しむような捉え方をしていたように思います。自分のことはさておきですよ。

わたしの家族、とくに母と妻は、その点ではけっこう明るめの色の個性ある衣服を着ていて素敵だなと思います。

恰幅のいい母は70ですが腕を出してイエローのワンピースを着たり、年を重ねれば重ねるほど明るい色の服を着て、肌の露出も激しくなっているようです。今後の進化が恐ろしいのですが笑。いいように言えば、欧米の高齢者のようです。

年齢を重ねればそれなりの地味な色合いに落ち着く日本的な感じではなくてよいのではないでしょうか。

ああ、ちょっと今日は家族自慢と日本ディスが激しいようです。。さらに続けます。

妻はもともと衣服が好きなので、とても奇抜かつ個性的でその界隈ではちょっと有名なのですが、勢いはとどまることを知らず個性発揮爆進中です。

彼女のおもしろいところは「自分の職業」と「自身のセンス」のギャップに社会人になってからもがき続けてきたところです。

彼女は医療業界で働いていますが、本人はアートや衣服などをまとって自分を表現したいタイプ。

それが旧来の医療業界の「患者さんには地味で清潔感のある格好で」という、なんとも古い世界との歪みに苦しんでいるようです。

清潔感はわかりますが、どこかで医療関係者というのは「地味(シンプル?)な雰囲気でありましょう。。。」。みたいなものが根底に流れているというのです。

正確にはう〜ん「地味」とは少し違うかもしれませんが、わたしの語彙力ではそのほかのことばが思いつかないので一旦ここは「地味」としておきます。異論も大歓迎です。

彼女から業界の厳しいファッション禁止話を聞いていると、「たしかになあ」と思うことがたくさんあります。

どこかで看護師さんや薬剤師さんの求められるスタイルや精神って固められているような気がします。。。旧来から受け継がれた奉仕精神が求められているというか。。。明治維新から連なるあるべき古い女性像みたいな。。。う〜ん、ここはうまく説明できません。

とにかく、もう少しいろんなタイプの(ファッションなど)人が許容されてもなあ、なんて思うのです。

まあ、長々と結論のない話を書いてしまいました。とにかく言いたいことは「多様性」がもっと進むといいねということ。とても短絡的ですが。

それでも年々よい方向に進んでいるなとも実感しています。もっともっと人それぞれが、周りを気にすることなく自由なスタイルで生きられればいいなあ、なんて思う今日このごろです。


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