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朝井リョウ「正欲」

発売されたのは昨年の3月と記憶しているからしばらく前のはず。

きっかけがあって「波」の3月号を購うことになった。

 いや違う、あれは購ったのではなくて、本屋から頂いたのだった。「本が好きそうだから」と。ありがたい。ありがとう。

その表紙を飾っていたのが本書だった。紹介を読んでいて、なんだかすごそうな本の予感がして、翌日か翌々日くらいに本屋で買った。

最初の数十ページを読んでみて、なるほどこれは今の自分にはヘビーすぎる内容だったと、しばらく寝かした上で、読み止めたところからの読み直しだった。

読んだ感想、うーん、難しいな。今まで自分がずっと向き合っていたテーマと付き合わせてみると、

自分と異なものに向き合えるのか?

というところだろうか。

異なものを取り上げられるのは発情についてで、それもはやりのダイバーシティで取り上げられるような「型にハマった」もの、なんて甘っちょろい、予定調和なものではない。

なんとなくな規範が層状に重なり合って社会が形成されていて、少しでもその層からズレていようなら、蜘蛛の巣が指に絡みついて離れないように、その層状の規範の中に絡め取られて、世間の餌食になってしまう。

そうした世間の当たり前、言い換えれば世間の不条理に対してどう感じるか。不適合感とか、生きづらさなんて、簡単な言葉に括れない気持ちなんだろうと、当事者のまわりにいるしかできない読み手の私は感じてしまう。

書きながらあらためて流れを整理しながら感じたのは、欲情があまりにクローズアップされていることの戯画性だった。本当に容易く心を閉ざしてしまうものなのか、そうなのか。そしてかくも自分の欲望を外に対して封印してしまうなのか。当事者ではない私に知る由はない。

感想としてはそんなところで、読んでみていい本だとは思った。僕より一つ歳上の著者はこれからもこうした形で「異なる側から見た世界」を等身大に書いていくのだろう。それでいい気がしている。
ただ、ひたすらに沈潜していく彼の文体は、少なくとも僕からすると読みづらさを感じる。ある種テーマに対する執着とさえ言える粘着した文体がそうさせるのだろうし、「あそび」がない。あそびという言葉が排他性を伴うのなら、ユーモアと置き換えてもいいだろう。
他方で言葉が、思考が沈潜する分、余計なものが削ぎ落とされていく。一文一語が刃の様に肉を削いでいく、そんな文章。

個人的な好みを言わせてもらえるなら新潮社のプロモーションが過ぎたとも思ったが、読み応えがある作品だった。

気持ちのいい言葉に流されるような人間に流されるようにはなりたくないし、グラグラとさせられる現実にさえもきちんと向き合う胆力が僕自身必要なのだろうし、身近な人にもそうしたものを求めていたい。

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