図書館のフリーペーパー(お坊さんという職業)

家から歩いて7分ほど、比較的近所に図書館があります。

最近書籍代にあまりお金をかけられなくなってきたので、新刊書を買うのをグッと我慢して、図書館本で読む、ということがこのところ増えてきました。

このところ自分自身の「読みたい本を見つける力」も落ちてきているのを感じてもいましたので、タイトルに釣られて銭失いな買い物をするより、図書館で借りた方がよかろう、ということになったことも、正直なところあります。背に腹はかえられぬし、手に取ってみて合わなかったら読まずに返却するだけなので、特段困ることもなかろうと。

場所は住宅街の中、藤原書店本社の裏くらいのところ。

サイズもこじんまりしていて、本を探しに行くというよりは、新刊含め読みたい本を予約しておいてそれを取りに行く、という利用のスタイルが多いです。それゆえ、書架までは足を伸ばさず、行動は入ってすぐの新聞雑誌閲覧所と、貸出返却のカウンターに、実質限られるものです。そこに、面白いものがありました。

図書館報。

都内報や区報なら駅や地域センターでもらえますが、図書館報、それもその図書館限定で配られるもの。初めて見ました。

「つるさんのおたより No.3 2021年春号」

カウンターでは季刊と聞いたので、昨秋、コロナ禍の第一波が過ぎて、図書館としてどうあるべきか考えた末に出てきたひとつの答えなのでしょう。

「何かあったら図書館へ 何もなくても図書館へ」

今回の特集は「コロナ時代の心の持ちよう」として、近所のお寺の住職二人に問うています。フリーペーパーということで、抜粋許可をいただいたので(鶴巻図書館長、ご確認くださりありがとうございます)、以下一部転載させていただきます。途中紙幅の関係上中略(…で示す)が入るが、本誌の意図するところは極力枉げていないつもりでいます。

§いま、お寺や神社が注目されています。「東京人」2021年1月号「東京お寺散歩」やHanako同2月号「幸せを呼ぶ神社とお寺」など、雑誌の特集記事が相次ぎました。社会全体がコロナ禍に沈む昨今、心の拠りどころになっているのでしょうか。地域に開かれ、ご住職の「発信力」に定評があるお寺を尋ねました。§
一人目は、…日蓮宗経王寺(新宿区原町)の互井観章住職(60)です。…
――コロナの影響はどうでしょうか。
「これからどうなるのか。不安で仕方なくて相談をしにくる方が増えましたね。具体的な悩みというより、未来への漠然とした不安。丁寧に話を聞く。すると最後はご自身で答えを見いだす方が多い」
――カウンセラーの仕事のようですね。共通して話すことはありますか。
「天然痘やはしか・・・。疫病は飛鳥の時代からあります。…平安、鎌倉と衛生管理が不十分な時代でも日本人は生き抜いてきました。不必要に恐れることはありません。そう強調します」
――それでも社会不安は消えません。どう今の現実に対峙すべきですか。
「無防備ゆえに病にかかることはないか。例えば外に出てはいけないのに出てしまうとか。自分を律することができない弱さを認識し、欲望をセーブするきっかけをコロナが作ってくれたと考えたらどうでしょうか」(後略)
二人目は、…天台宗寶泉寺(新宿区西早稲田1)の大塚亮英住職(55)です。…
――閉じられた寺院の改革を打ち出し、「早稲田てらこや」を開校し子供たちを集めて地域清掃などの活動をしてこられました。それも今はできない。
「大人でさえ先行きが見えない中で、子供がとまどうのは当然です。寺に求められているのは、『癒す』ということだと思います。前を向くためにいろんなことをあきらめる。それでもいいと。今は時代の変わり目にあるのではないでしょうか。そんな風に思っています」
――時代の変わり目、ですか?
「これまでは止まって蓄える『土の時代』でした。お金を貯めるのも大事な目標の一つだったのではないでしょうか。でも、これからは『風の時代』に変わっていくと・・・。風向きによって状況がどんどん変わる。そんな不安定とも思える時代かもしれません。ですが、古いしがらみからは解放される。仏教には、空(くう)という考え方があります。そこにたどり着くのが悟り。こんな時だからこそ、ひたすら信念をもって祈り続けたいと思います」

読後に、じんわりと胸が温かい気持ちになりました。そうだ、お坊さんという職業があったな、普段全然意識することがなかったなと。いくつか感じたことがあったので下に書き連ねさせてください。

ひとつめ(お寺と自分)

早稲田を西端に、牛込と呼ばれる地域はお寺が多く、夕方になると、梵鐘があるお寺では鐘を撞くところも少なくありません。実家では「夕焼け小焼け」のメロディがながれるので、はじめてこの辺りに引っ越してきた時には非常に新鮮に感じたものでした。行政が流すメロディと違ってお寺ごとに鐘を撞くので季節によっては夕方に何回も鐘の音を聞いたりすることができるのもいいところ。コロナ前は出勤が基本の職場だったため、晩鐘など気にかけたことがありませんでした。お寺ってこんなに身近で生活に密着しているのに、中の人ってどんな人か、まるで知らなかったな。一端だけかもしれませんが、お坊さんの考えていることを知れた、というのが嬉しかったです。

ふたつめ(仏教と自分)

今回はそれぞれ日蓮宗、天台宗の住職へのインタビューでしたが、先日全国曹洞宗青年会(全曹青)からある買い物をしました。『典座』というタイトルの映画のDVDです。もうしばらくしたら手元に届く予定です。もともと、監督の富田克也氏、および制作集団の空族のスタイルが大好きで(学生の時にミニシアターで観た『サウダーヂ』の衝撃は一生忘れられないでしょう)目が行ったのですが、この図書館報を読んでからだと、間違いなく違った文脈で映画の意味が浮き出てくるのではないか、そんな気がします。届いて観終わったときに私が何を思うのか、今から楽しみです。

みっつめ(土の時代から風の時代へ)

大塚住職のこの表現が非常に印象的でした。おそらく五行思想および易の考え方を汲んだうえでの表現なのだと個人的には思います。素人なりに調べてみると、五行とは金、日、木、水、土の五つの概念で、風は木の中に分類されます。

この五行と易(ここでは先天易を用います)を組み合わせると、土の卦徳として止(とどむ)と順(したがう)、風の卦徳としては入(はいる)になるそうです(卦徳というのは自分でも理解しきっていませんが、その卦の良いところ、と考えていただければと思います)。動かないのが土の良さなら、そよ風のようにどこにも入ることができて、よい風に乗ればどこへでも(空を使っても海を使っても)行くことができる、これが風の良さなのかもしれません。武田信玄の「風林火山」をも連想させますね。時代が変わるとは、悪いことばかりでもないようだな、そんな気がします。

よっつめ(風の時代、再び)

風の時代、と聞いて連想したものがもう一つありました。宮崎駿著『風の谷のナウシカ』です。ジブリ(正確にはジブリになる前)の映画版が有名ですが、ここではより今の時代にたくさんの示唆を残してくれるであろう、漫画版を取り上げたいと思います。

風の谷の姫ナウシカは、土鬼とトルメキアの戦役に巻き込まれていくわけですが、その中で様々な体験をします。最終的に土鬼の首都シュワの墓所で彼女が墓の主に対して叫ぶセリフ、一部ネタバレになってしまいますが、先ほどの「風の時代」という言葉を見たときに、併せて浮かんだのです。

私達の生命は 私達のものだ
生命は生命の力で生きている
その朝が来るなら 私達はその朝にむかって生きよう
私達は血を吐きつつ くり返しくり返し
その朝をこえて とぶ鳥だ!!

これについては、私のほうから細かい解説を加えずに、読者の皆さんにどう感じたかを委ねたいと思います。私は絶望の先にある希望と捉えました。

スタッフのヒトリゴト

オープンなまま本稿の筆を擱くことになります。最初の見出しである「何かあったら図書館へ 何もなくても図書館へ」のコピーを考えた、20代女性スタッフの言葉を「つるさんのおたより」当該号から引用し、このエッセイを締めたいと思います。

 地域の方々に「困りごとがあったら、まずは図書館に相談だ!」「何かあっても、図書館に行けば大丈夫」と思ってもらいたい、という願いを込めました。鶴巻図書館はどんな施設で、どんな本があって、どんな人が働いているのかをお知らせし、図書館をもっともっと身近な存在にかんじていただきたいです!

最後になりますが、本稿のベースとなる図書館報の掲載を許可してくださった鶴巻図書館長、および館長への確認・素敵な記事をまとめてくださった図書館スタッフのみなさん、ありがとうございました。すべての記事を紹介することはできませんでしたが、ほかにも素敵な記事がたくさんありました。

そして読者の皆さん、引用ばかりのこのエッセイを最後までお読みくださり、ありがとうございました。なかなか外出も憚られるご時世ですが、早稲田大学・大隈講堂の近くに寄る機会がありましたら、ぜひ近所のちいさな図書館にも足を運んでみてください。

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