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Ep.007: 悪いことするならおひとりで-ニューヨークの追憶

 ある朝、良い天気だと散歩していると、前から誰かがこちらの方向にやってくる。すれ違う寸前に思い切りぶん殴られる。

驚いた様子で相手を見返すと「なんで殴られたか自分の胸に手を当てて考えてみろ!」と言われれば、人間誰しもがひとつやふたつ、「ああ、あの時のことか…」と何かしらの悪さをしたことを思いだす。

 被害者側と加害者側のふたつの主観が向かい合っており、片方は憤慨し、もう一方は「何だそれくらい」と考えるのが、いわゆる「悪さ」である。そこに善悪の根拠はないが、双方の感情は沈殿物として残り、両者の底にひっついてとれない。

 裁判など法的措置をとれば、自他共に自分の根拠を証明する証拠を集め、一時的な善悪の判断がつくが、殆どの場合はお上まで提出されず、お互いの意見は相いれず、溶け合うことはなく、それぞれの力関係によって、どちらかが主導権を握り、片方は淘汰され、人生は進んでいく。

 人間関係の維持と崩壊には証拠はいらない。推測ともっともらしい噂があればいい。

 私はマンハッタンにある某服屋にてセールスマネジャーとして勤務している。ある日、職場のCが

「同僚のOが商品を盗んでいる。彼のバッグにタグのついた商品が入っているのを見た」と私に伝えてきた。

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