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Ep.008: イーストビレッジのサンタクロース-ニューヨークの追憶

 21、22才くらいであったろうか。私はイーストビレッジの洋服屋の倉庫に寝泊まりしており、隣にアンソニーという真っ白なヒゲをたくわえた大柄な老人が住んでいた。
いまや高級住宅街と様変わりしたイーストビレッジが、まだジャンキーやホームレスの吹き溜まりであった暗黒時代からこのエリアに住んでいる彼は、この町の長老みたいな存在だった。
彼のお店兼自宅は縦に長く、ショーウィンドウには壊れかけのアンティークのオモチャや、小さな家具類が窓いっぱいに飾られていたが、道行く人々が値段を訪ねると「ごめんね。コレは売り物じゃないんだ。」とニンマリと笑顔で答えるのが常だった。
「なんだ。このヘンツクなジジィは!」と憤慨させないのは、彼の嬉しそうで柔らかな表情があったからだろう。

 彼は暖かくなると、大きなからだには小さすぎる椅子二つを、店先に出した。店の奥から聞こえるJAZZの演奏をBGMに、彼は音楽の調子に合わせ歌詞を口ずさみながら、椅子に座って何時間でも外を眺めていた。
夏の開放的な空気も手伝って、道行く人々は彼の店の前で足をとめて、アンソニーと話しはじめる。彼のメガネに叶えば「僕のショーウィンドウが好き?だったらお店を見ていきなよ!もっと面白いモノがあるよ。さぁ入って!」と人々を促す。

といってもアンソニーは店の中には入っていかない。外に座っている。

中に入った人々は、所狭しと並んだモノをひと通り眺める。奥にはベッドと大きな机、ピアノがあった。外に出てきた彼らに向かって、アンソニーは柔らかに微笑む。
こんな調子だから道行く人々や通りかかった住人とすぐに仲良くなり、小さな椅子に座って、誰かとよく話していた。
彼と話していて、笑っている人もいたし、泣いている人もいた。

その頃私はニューヨークで駆け出しスタイリストとして活動している日本人の手伝いをしていた。最初は週3日くらいのものであったが、ストレス耐性が強いことがバレて、すぐに週7日で連絡がくるようになった。
インターンという名目での無給での手伝いだったが、彼より私の方が英語ができたのも災いし、私抜きでは成立しないような仕事をとってくるようになった。同時に私はフルタイムで大学に通っており、はたから見れば異常な過密スケジュールであったが、彼はアメとムチの要領で私を徐々に洗脳していった。気づいた時には彼の女性関係まで世話するようになってしまった。

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