笑実の笑み
6月30日。娘笑実が生まれてから3ヶ月が経った。子どもを産むことは思いの外、結婚すらしないと思っていた自分が母になっているのが夢みたい。いつか子どもができたら笑うだろうなと、独身の私は想像していた時もあった。そこが娘の名前の由来でもある。いつか彼女に伝えたい。あなたができてママは笑ったよ、と。聖書の話で老婆なのに子どもが生まれると告げられて笑ったサラのように、喜びと疑いの混ざった笑い。今更。私が。決して嫌な気持ちではないけど、一生子を持たないと思っていた私には驚きだ。サラが息子を「イサク」(笑う者)と名付けたように、私も娘を「笑う」と名付けることに決めた。
ただ…名前として「わらう」はしっくりこなかったし、アメリカ人は「ら」の発音ができないし、せめてアメリカ人でも日本人でも(何ならどの国の人でも)言いやすい名前がいいなと思って「えみ」を選んだ。こういう時は音読みと訓読みがあってよかったと思う。この時ぐらいかな。(なぜ一つの漢字に複数の読み方があるの?!ややこしいし覚えにくい!)一文字で「笑」も考えたけど、「わら」と呼ばれて欲しくないので「み」も付けることにした。最初は「美」にしようと思っていたけど、それは農家になる前だった。やっぱり農家は「実」だ。と、信じられるか分からないけど、夢の中でそう感じて変えることにした。
「笑」に「実」我ながら中々良い名前ではないか。夫も言うこと無しで早速決定。という感じで娘の名前は決まったのだが、考えれば考えるほど意味深い名前だなと実感。子どもができて笑ったのは自分だけど、もちろん娘にもたくさん笑って欲しいし、一緒に笑いたいし、周りの人を笑わせる人にもなって欲しい。この全ての願いがその一文字に込められている。
「実」も奥の深い文字でたくさんの意味が含まれている。笑実は私の「体の実」とも言えるし、農業においては実がなることを期待して働くし、生活の中でも良い結果を出した時に「実を結ぶ」という表現が使われる。聖書の中では私たちの中に形成される品性のことを「霊の結ぶ実」と言う。それは、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」。親として子どもがこのような実を結んだら嬉しいし、色んな意味で実りのある人生を生きて欲しい。
つまり、「笑実」という名前は妊娠して子供を産んだ私の体験を語っていて、それと同時に娘に体験させたいと祈っているものを表していて、娘を通して周囲の人に受け取って欲しいと望んでいるものでもある。これほど小さな子にそれほど大きな期待を負わせて良いかと問われるかもしれない。だが、彼女に期待しているのではない。彼女に命を与えてくださった神様が彼女の人生に持っておられる計画、彼女の中で又彼女を通して神様がなさることに期待している。
笑実はまだ3ヶ月だけど、既に神様はこの期待に応えてくれている。笑実はよく笑う元気な子で、愛想が良くて周りの人にいつもニコニコしていて、会う人会う人を笑顔にしてくれる。会ったことがない人でさえ、彼女の写真を見るだけで元気づけられ、癒されている。本人は気づいていないけど、笑実の存在は既に喜びと平和の実を結んでいるのを見てとても嬉しいし、この名前は彼女にぴったりだと思っている。
両耳農園にこの子が与えられて心の底から感謝している。実はここに彼女の名前のもう一つの意味が隠されている。顔の両耳の間に笑みがあるように凌ミミの間に笑実がいる。英語では「smile from ear to ear」と言う表現もあるが、うちの笑実は耳から耳まで私たちを笑顔にしてくれる。きっといつか親父ギャグの良さも分かるでしょう。笑実ちゃん、これからも毎日一緒に笑っていこうね。笑実の笑みが好きだよ。
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