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意外な音

日本へ働きに来た時、最初に住んだ所は大阪市内にある25階建て団地の9階のアパートだった。その後も私はアパートやマンション、寮などに住み、常に隣の部屋や上の部屋、隣の家などから音が漏れるような環境に居た。周りの人の動きはもちろん、道路を通る車やバイクの音もあったし、病院の近くに住んでいたので救急車の音も毎日聞いていた。今でも目を瞑れば、サツマイモを売るトラックの「焼き芋〜」を唱える声や選挙前に政治家の名前をひたすら名乗る選挙カーの放送や中古品を回収するトラックの宣伝の音が流れて来る。大阪に住んでいた時のマンションは神社が近くにあり、夏祭りと秋祭りの時期は太鼓を叩く練習のリズムや楽車を運ぶ時の叫びが頭から離れなかった。京都に住んでいた時はマンションが線路沿いで、始発の電車の音で目が覚め、電車が通る度に部屋が揺れた。

両耳農園へ引っ越して社会人として初めて一軒家に住むようになった。そして、人生で初めて隣の家や建物がない場所で暮らし始めた。玄関の前に広がる畑と森と大空の景色は何度見ても飽きない。道路は近くにあり、車の通る音は聞こえるけど、家自体は少し坂を登ったところにあるため道路は目に入らず、周りに見えるのは家の庭と大家さんの庭園と木々だけ。唯一の目障りは近くの運動場の照明塔。それでも、緑がいっぱいで心が安らぐ。木と木の間を覗けば、ちらっと大家さんの家が目に入るぐらいで、歩いて行くには2分もかかる。それが一番近い家。すごいところに来たんだなと今でも思うし、ずっと人に囲まれて暮らして来た私は静かなところでゆっくり暮らすのが楽しみだった。

人生の大半を都会で過ごした人としてありがちな考えかもしれないが、私は「都会はうるさい。田舎は静か。」という思い込みをしていた。しかし、今の家に引っ越しをして気づいたのは田舎には田舎の音がある。田舎暮らしはのだかとは言えるけど、静かとは言い難い。昨年の3月、ここに住み始めて最初の夜から近所の声に起こされた。それは、人間の声ではなく家の裏にある大家さんの庭園に住む7羽のガチョウの鳴き声だった。なぜガチョウは真夜中でもこんなに鳴くのか。今でも分からない。彼らもいつかは寝ないといけないはずでしょ。なのに、朝の2時や朝の5時にその慣れない声に起こされては、旦那と文句を言いながら笑っていた。だって、隣の部屋の住人に「静かにしてください」と頼むことが出来たとしても、ガチョウを相手にそんなリクエストが聞かれる訳がない。

ところが、時が経てば電車の音に気が付かなくなるのと同様に、ガチョウの音にも慣れてきて、なんとか寝られるようになった。と、安心をしていたら、春の訪れと共に様々な鳥の鳴き声がガチョウに加わり、朝昼晩とコーラスが続くようになった。そして、鳥の次にはカエルの合唱。どこからか、一気に色んな大きさのカエルが畑や庭に現れ、声をあげ始めた。その中でも、裏の庭園の池の周りのウシガエルがバス音の楽器しかないシンフォニーを聴いているような途轍もない大音量で鳴き始めたのが忘れられない。ウシガエルの捕まえ方と調理法をネットで調べたぐらい、悩まされる夜が続いた。結局は食べなかったけどね。

カエルに慣れてきたと思ったら、次はセミの鳴き声が来た。しかも、一種だけではない。早朝に起こしてくれるヒグラシ。私の名前を呼んでいるように聞こえる、ミンミンゼミ。更に独特の声を持つツクツクボウシ。夏が終わり、セミが落ち着くと次はコオロギの出番。コロコロリーと響く音が家の外から来ているのか中から来ているのかを音量で聞き分けて、玄関の中まで入って来ている時はうるさくて眠れないので旦那が外に出しに行ってくれた。また、家の前の木々をコンコンコンと突っつくキツツキも秋に登場。

ようやく冬が訪れ、生き物たちが静まって来た頃、不思議なことに再びガチョウの鳴き声が目立つようになった。彼らは寒さも雪も平気みたいで、一年中騒いでいる。その騒ぎを気にしなくなったと思っていたけど、慣れたというよりは他の音に耳が囚われていただけで、他所の音が無くなったら「ガチョウうるさい!」と笑う日々が戻って来て、引っ越して来た当時を思い出した。そして、一年が過ぎて、春になり、再び様々な鳥の鳴き声に注目するようになった。最近でいえば、ウグイスの「ホーホケキョ」やキジの「ウッーウッ」。その他にも口笛の音に聞こえる鳴き声、人間が話しかけているように聞こえる鳴き声もある。去年もこんなヤツ居たな〜と懐かしくさえ感じる。

ということで、家は確かに庭と畑と森に囲まれているけど、だからといって静かって訳ではない。ただ、野菜や木や花で季節を見分けられるだけではなく、生き物の声で季節を聞き分けられるのは面白いと思う。きっと両耳を澄ませばもっと色んな音が入って来るのではないかと今年も期待している。その中で一つ絶対に加わる声がある。それは、もうすぐ生まれて来る我が子の泣き声。正直に言うと、赤ちゃんがどれほど泣いても近所迷惑を気にしなくてもいいということにホッとしている。7羽のガチョウに負けないぐらいうるさいだろうけど、月日が経つと共に変わっていく彼女のユニークな声が生活にどのような影響を与えるか、自然に囲まれて鳥やカエルや虫たちと育つ娘がどのように成長していくのか、とても楽しみ。ガチョウから文句が来ないといいんだけど。

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