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娘との会話が自分との対話になった

先日、娘が久しぶりに我が家に戻ってきた。

最初の会話が、

「帰るのに車で送ってもらえない?」と(笑)。

面倒だなぁと表情をしながら、

口では「(仕方がない)いいよ!」と。

心では『娘から声をかけてもらって嬉しい(ニヤニヤ)』

そして、車中。

仕事のこと、これからの人生のことなど

普段話さないようなことを言葉少なく交わす。

「ふ~ん」

「そうなんだ」

と返すのみ。

いつも、私は、

「自分の人生なのだから、自分で決めたらいい」

と伝える。

わが子(娘・息子)を信じているし、

自分の人生は自分で決める、

それが一番である。

と、思い込みではあるが、

思い込みは、しばしば、視野を狭め、

それが相手にとって圧力となる場合もある。

しかし、「自分の人生、自分で決めることが大事」は

大事なのである。

わが子を、応援もするし、助言、支援もする、

でも、自分で決めることが大事だ。

(押し付けのように言っていないか気をつけなければならないが)

娘が住む家にあっという間に着く。

こんな時は渋滞でもいいのに、

なぜかスイスイ進む。

買い物荷物を一緒に運び、

「戻るよ」と告げて車に乗る。

パワーウィンドのボタンを押して

「じゃぁね」と。

娘から

「ありがとう」

「仲良くやってね」

と最後、言ってきた(笑)

「大丈夫だよ」とのみ答え、

そこから去る。

高速道路の左車線を走りながら

いつまでも子供だと思っていたけれど

『大人になったぁ』

とわが娘をぼんやりと想う。

少し寂しい感じはしたが、いつかはこうなると思っていたことだし。

ナビからの誘導は聞こえていたが、

頭には入ってこず…規定のルートから外れる。

感慨深くなったからではなく、単なる道を間違っただけ(笑)。

ボケてんなオレ!で家路に急ぐ。

自宅近くになり、

娘から「弟が洗車しておいて!と言っていたよ」

を思い出し、『しゃぁねーなぁ』と。

「車洗ってきたぞ!」と偉そうに言うためにそこに向かう。

息子とも会話しないので、これもいいか。

家族や友との会話は、自分との対話になる、そして気づきを得る。

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