見出し画像

どうして「金閣寺」が読みきれなかったのか?

金閣寺』(きんかくじ)は、三島由紀夫長編小説。三島の最も成功した代表作というだけでなく、近代日本文学を代表する傑作の一つと見なされ、海外でも評価が高い作品である[1][2][3]金閣寺に憑りつかれた学僧が、それに放火するまでの経緯を一人称告白体の形で綴ってゆく物語で、戦中戦後の時代を背景に、重度の吃音症宿命、人生との間に立ちはだかる金閣の美への呪詛と執着のアンビバレントな心理や観念が、硬質で精緻な文体で綴られている。それまで三島に対し懐疑的否定的な評価をしていた旧文壇の主流派や左翼系の作家も高評価をし[1][4]、名実ともに三島が日本文学の代表的作家の地位を築いた作品である[3][5]

金閣寺 (小説) - 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

と、さっそくwikipediaさんに概要の説明をお任せしたのですが、、この解説だけでも教養の薄いわたくしには、目のまわるような日本語です。

ゆえにそもそもなんで「金閣寺」を読もうと思ったかというと、だいぶ前に何かのメディア媒体で美輪明宏大先生が、

「本当に美しい日本語の表現をしたのは後にも先にも三島由紀夫だけ」

みたいな、、、記憶曖昧のだいぶ意訳でごめんなさい。だけどそんなことを言ってみえたのが強く印象に残ったのがきっかけです。

それが10年以上前だった気がするのですが、さっそく地元の図書館に行って探してみました。

ところがちょうど貸し出し中だったので、妥協?なんて言ったら怒られるけど三島由紀夫「潮騒」を借りました。

正直ほとんど覚えてません!読んだことは間違いない。けどストーリーがどうだった?とか覚えがない。唯一の印象は「さわやか」

さわやかな話だった気がするけどなー?くらいです。
ここであらすじでも調べればいいのですが、それは野暮なのでやめときます。

あとはやっぱり日本語理解力の教養不足でしょう。読んだ内容を表現しうる語彙がない。難しい表現を未消化のままストーリーを追っただけなので、おおざっぱにでも全体を表す言葉が自分の中にも見つからなかったのだと思います。

そんなうっっっすーい三島由紀夫の印象のまま今回の入院生活で「金閣寺」に手をつけてみました。

そんなだからものの見事に読み進められません(笑
がんばって読んでも眠くなる始末です。

結局、

「金閣寺」読む。柏木の内翻足と女性との関係についての独白読むだけで挫折、精一杯。

前十字靭帯再建手術レポート 21

と、退院1日前で2/3ほど読みかけのまま病院の図書館返却でした。

ところで入院中に読もうと思っていた本がもう一冊、
小説「成瀬は天下を取りに行く」

こちら昨年の話題作で人気なのか、地元図書館でも予約待ちだったのが退院後に借りられたので読んでみました。

大変おもしろくて、あえてここでは比較しますが「金閣寺」と比べるとスルスル読める!

ネタバレなしでサラッと紹介すると、この「成瀬」って主人公がわりとチートな能力の持ち主で、その成瀬を軸に関わっていく人たちと成瀬自身の青春と人間模様の物語といったところです。

悪い意味じゃなく漫画を読みすすめているような読みやすさでした。

この「金閣寺」の読み進められなさと「成瀬は天下を取りにいく」の読みやすさ。

これは単純に本の内容というだけでなく、自分が普段なにげなく触れているスマホを通した日本語の影響を感じました。

スマホで発信される情報というのは、おそらくそのほとんどがいかに読んでもらえるか?にウェイトが置かれていると思います。

欲しい情報=需要 があって検索すると、必要な情報=供給 がされます。

必要な情報はどれだけでも分かりやすく供給されたほうがいいに決まっています。

そこに広告収入やアフィリエイトなど収益が絡んでくるので、供給する側もどれだけでも見てもらおう、見やすいよう、読みやすいようにと工夫をしてくれます。

それ自体は悪いことじゃないし、情報の需要側にもわかりやすいのはありがたいことです。

このnoteでも読んでもらいやすさのノウハウをたくさん目にします。
Webライティングのお仕事もそうした需要を反映させたものですね。

ところがスマホからは特に必要のない情報が洪水の如く流れてきます。

今、必要な情報を一度検索するとそこから付随して興味のあるなしに関わらず、たくさんの情報が読みやすくなって頭に流れ込んでくる。

頭の中は読みやすく、分かりやすくされた文章に慣らされていく。

つまり一日の結構な時間をスマホを見て過ごしてました。
なにをそんなに見てたのか??

ほとんどなにも記憶に残っていません。
なにも残らない無為無意味な時間が多かったということです。

入院中 映画、本、その他まとめNo.1
入院中の一日の一例 色のないところは何してたか不明

入院中ほとんどの時間、頭は読みやすく、分かりやすい文章に慣らされていき、その合間に「金閣寺」を読もうとしました。

脳みそが文章のギャップにビックリして受け付けなかったのだと思いました。

そしてこれは今に始まったことじゃない…もう何年も何年もかけて、、それこそ「潮騒」を初めて読んだ10年くらい前から読みやすく、分かりやすい文章に慣らされていっていたような気がします。

今、初めて「潮騒」を読むことになったらもっと記憶に残らないかも知れない…

なんか分からないけど、得もいわれぬ不安を感じました。

単純に情報を取捨選択すればいいのですが、それもスマホの情報依存にどっぷり浸かってる実感があるので難しい。

中毒や依存性って自分の意志うんぬんじゃどうしようもない。

そんなことを考えていたら、たまたま近所のディスカウントショップで

ありました。150円。無遠慮に貼られたしるしのテープが悲しい。

迷うことなく買いました。これは読めという啓示でしょう。

できない情報の取捨選択よりも、とにかく読もう!難しい表現もわかりやすく、読みやすい表現もとにかく頭に入れる!

それがきっと読み終わったとき、なにか心に残れば…「潮騒」を読み終えて内容覚えてないけど、、なんか「さわやかー」だった。くらいのものでもその時の自分にとっては価値がある。

そう思います。

ずいぶんと仰々しい話になった気がするけど、結局は食わず嫌いするなよ。という陳腐な戒めの話でしたね(笑

話ついでにここまではインプットの話だったけど、アウトプットも同じでいいかな、と思いました。

自分はWebライターや編集者じゃないんだし、収益化も狙ってない。

それなら思いの丈を思いのままに!とはなれず、やっぱり読んでもらいたいので今の自分にできうる限り読みやすく、わかりやすくしようとはしています。

だからリアクション貰えると嬉しいです!ください(笑


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?