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日記・普通じゃないのは君も一緒(映画『まともじゃないのは君も一緒』感想)

 新型コロナウイルスのワクチンの副反応にうなされながら『まともじゃないのは君も一緒』を観た。



 今年の3月19日に公開された映画だ。公開前から気になっていて本当は劇場で見たかったのに見よう見ようとずるずる過ごしているうちに見逃してしまっていた。

 この時期になにをしていたんだろうと日記をさかのぼって見てみた。2週間に1回くらいエネルギー切れを起こしていて、文章から充実感が読めた。多分なにか他に集中していたのだろう。

 映画は「普通」の恋愛が分からない予備校講師の大野康臣へ生徒の秋本香住が「普通の恋愛とはなにか」を指南するところから始まる。予備校講師の大野を成田凌、生徒の秋本を清原果耶が演じる。

 物語は当初の目的から次々に脱線していくがそれが小気味良い。脱線というよりは込み入った乗り換えといったところで、実は目的地に向かってずっと走っている。

 秋本の気持ちがカチッと変わる瞬間がある。それはもうとても分かりやすい乗り換えで、やっぱり目的地はこっちだったんだなと気づく。

 でも実はそこからが大変で、次の乗り換えは深い地下鉄のホームから階段を登り一度地上に出てJRへ乗り換え、その次は快速と間違えて特別快速に乗ってしまい行き過ぎた分を各駅停車の電車で元来た道を戻る。

 目的地に着くと「乗り換えで遠回りしたけど実は最初の駅から歩いた方が近かったんじゃない?」って一瞬思う。でもそうじゃない。

 遠回りしているうちに分かることがある。「普通ってなに?」という問いが映画の至るところに散りばめられている。その「普通」を問答していくうちに目的地がはっきりする。

 夢を見ているような映画だった。それぞれはデタラメのように見えるのに、ひとつのストーリーとして見ると一貫して見える。もうその展開以外あり得ない。

 ワクチンの副反応の微熱とじんわり続く頭痛でしばらく眠ったあとの起き抜けに観たからかも知れない。良い夢を観た。

§

 普通ってなんだろうとよく考えていた時期がある。中学生の頃、誰も彼も受験勉強に向かっていた頃、簡単に普通って言うけれど、なにが普通なんだろうと思っていた。

 受験勉強をしたくなかったし受験勉強のやり方もよく分からなかった。受験勉強ができない自分は普通ではないと思った。

 普通とはなんなのか、普通ってそんなに良いものなのか、普通であるべきならば普通とはなんなのか知りたい。普通という言葉の答えを探していた。

 たどり着いたのは「人にはそれぞれの普通がある」ということだった。普通、と人が言う時、その人の普通を押しつけられているだけなのだと思った。

 絶対的で普遍的な普通が存在するのではなく、個々に主観的な普通が存在するのであって、元をたどれば僕の中にも僕の普通がある。

 いままで自分で使っていた普通という言葉の意味を一度バラバラにしたから分かった。もちろん自分でそう思っているだけなので、普通の意味は人によっては違うかも知れない。

 普通じゃないのは君も一緒。でも普通じゃなくても良いよね。普通じゃないのが普通だからね。




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