森絵都『ヒカリノタネ』×YOASOBI『好きだ』 感想

 直木賞作家4名とYOASOBIの書き下ろし小説楽曲化プロジェクトの第2弾、森絵都『ヒカリノタネ』×YOASOBI『好きだ』。


 5月の末にリリースされた楽曲『好きだ』を耳に馴染ませてから小説を読むことにしていたから、梅雨明けの翌日の今日、『ヒカリノタネ』のページを開いた。

 小説を読んでいる間も頭の中で『好きだ』のメロディーが流れてくる。小説の文体と楽曲のメロディーがとても似ているんだと思う。

 小説を読み終えてすぐ『好きだ』を再生する。小説の力で楽曲の音色に新しい色が足されていく。『はじめての』の魅力はここにある。

 小説は楽曲の原作でありながら楽曲の「解説」の役割を担っている。しかしいわゆる「この歌詞はこんなことを言っている」と断定するような解説ではない。

 原作としての小説というポジションが物語を説明するが、その歌詞ひとつひとつを取り出して詳細に定義しない。だから解説はするけれども解釈に余白を生む。その余白が埋まる瞬間が最高に面白い。

 「この歌詞は物語のここのことを言っていたんだ!」と気づく瞬間の、意味を発見する感覚が気持ちいい。だから僕は「楽曲→小説→楽曲」の順番で『はじめての』を楽しむことにしている。

─────────────────────────

 それから、これは僕の勝手な推測なんだけれど、楽曲のタイトル『好きだ』は小説の主人公側の言葉ではない気がする。ここから先はネタバレになってしまうから言わないでおく。

 小説を読んでいて、失恋はなにも生まない、なにも残さない、ということはないと思えた。恋をする想いの行き先は失うかも知れないけれど、そのひとつひとつの失恋はその後の人生に種を残す。そろそろあの時の種が花を咲かせる頃かも知れない。



もしよろしければサポートお願いいたします。