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辻村深月『ユーレイ』 × YOASOBI『海のまにまに』感想

海へ家出をしたことがある。裸足で、海まで歩いていった。

それから、これは片道切符、と思って電車で遠くへ家出をしたこともある。

どちらも子どもの頃の話だ。だからなんだかこの物語を他人事のように読めなかった。「どこかに僕と似たようなことをする子どもがいたんだな」と思って読んでしまった。

小説を読んでいる間、二度、体が急に冷えるのを感じた。それは、主人公の女の子が海で声をかけられる瞬間と、どうして声をかけるに至ったか明かされた場面だ。

すーっと、体が冷えた。『ユーレイ』というタイトルにふさわしい読み心地だと思った。温かいコーヒーを飲んで再び読み進める。

『はじめての』は恐らく児童書というポジションで、読み手も10代をイメージしているように思う。「はじめて家出したときに読む物語」と銘打ってある『ユーレイ』。家出をしたときに読んでみたかった。

家出をした経験がある子どもってどれくらいいるんだろう、とふと想像する。学校に行きたくなくて、電車に飛び乗って、行けるところまで行く。もう帰らなくていいんだと安心する。

僕が家出したのも夜の海だった。たしかにあんなにまじまじと夜の海を見たのはあれが初めてだった。

「海を、見に」。主人公のこの言葉はとても切実だ。子どもが夜の海を見に行きたい理由ってなんだろう。僕は自分が見たあの日の夜の海を重ねてしまう。

あの日、僕は海を見に行った。夜の海は一面真っ黒で、波の音だけが、ざざん、ざざんと聞こえる。音の方向からして海は目の前に広がっているはずなのに、それは夜の空なのか海なのかはっきりしない。

ひと気のない夜の海はあの世とつながっている感じがする。暗い海になにかが蠢いている気がする。それはいったいどんな感情を持ったまなざしでこちらを見ているのか。

幽霊はこちらを海に手招きしなかった。それはこの物語の主人公も僕もそうだ。海に現れる幽霊たちは家路を教えてくれるらしい。

『はじめての』の物語を原作に作られた楽曲を、僕は読む前と読んだ後に聴くのが好きだ。まずは楽曲が耳に慣れるまで聴いてから物語を読む。そして読み終わった後、まるでエンディングテーマのように楽曲を聴く。

物語を読んだ後に楽曲を聴くと「この歌詞はこういう意味だったんだ」と気づく。歌詞が強い意味を持って立ち上がってくる。この瞬間が一番気持ちいい。

YOASOBIの楽曲はアップテンポの曲が好きで(『祝福』はとても好みで、早くライブで聴きたい)、『海のまにまに』みたいな落ち着いたテンポは実はちょっと物足りなさを感じたりもするんだけれど、このテンポが物語の文体にとても合っていると思う。

同じく『はじめての』の物語を原作とした『ミスター』や『好きだ』も物語の文体をしっかり捉えていて、リズムに物語との齟齬を感じない。物語と誠実にきちんと向き合いながら楽曲を制作しているんだと思う。

楽曲を聴いていて、そうそうこの物語を音楽にするとしたらこのリズムだよね、と合点がいく。物語の読後感を邪魔しない。

「小説を音楽に」。僕はYOASOBIのこのコンセプトがとても好きで、時間がかかってもいいから、YOASOBIには「小説を音楽にすること」を極めて欲しいなぁと勝手に思っている。さらにもっと、この先どんな物語と音楽で魅せてくれるんだろう。

この新しくて楽しい『はじめての』の読書体験も残り一作品になってしまった。残るは、はじめて容疑者になったときに読む物語『色違いのトランプ(宮部みゆき)』。ちなみに僕は(まだ)容疑者になったことはない。







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