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Ryomaと申します。自己紹介

愛知県出身東京都在住エンジニア26歳B型やや痩せ中背

ざっと書くとこんな感じです。

美容に関することを毎日noteに綴るやつをやり始めて3週間くらいたったわけですが、大して自分のことを話してなかったので、趣味とかパパッと紹介したのち、人生の振り返り的なことをします。

好きなもの・こと

◯名探偵コナン
初期の頃なら、オープニングイントロのコナンのセリフを言えるくらい
映画は世紀末の魔術師、水平線上の陰謀
アニメは、商売繁盛のヒミツ、探偵団消失事件、青の古城探索事件とか探偵団が活躍する系
高校の休み時間コナンを読んで反省文
大学のサークルでコナンのBGMをやるコナンバンドを企画

◯Netflix
ペーパーハウスが一番のお気に入り。ベルリンとナイロビが大好き。

◯料理
レシピがあればなんでもいけると思っている。豚汁が大好き。

◯ゲーム
頻度は高くないが、やるとなったらとことんやる。最近はApex、ペルソナ5R、パワプロ。スマホゲームはやらない。

◯吉祥寺
ほんとに好きで週末になるといきがち。落ち着いた雰囲気と、たくさんのおしゃれなお店ほんとに◎

最近よかったのはここ。

他には中野、銀座、青山とかによくいく。

◯ランニングとか登山
考え事しながらゆったり走るのが好き。フルマラソンも経験した。ほんとうに涙が出るくらい辛かった、でも好き。Mなんだと思う。

◯着物
着物を着て出かけるのとか最近好き。普段着と組み合わせて和洋折衷なスタイルが楽しい。

性格とか

くだらないことの記憶力が抜群によい
話したがり、それとおなじくらい聞きたがり
おうち好き
(くそ)まじめ、神経質

16Personalitiesでは”主人公”。

◯いいところ(FB)

・話し上手、単純明快
・思いやりがある
・マメ、資料とか丁寧
・自分の世界がはっきりしている

◯ビミョーなところ

・わかりやすい(表情とかめちゃ出る)
・抱え込みがち
・顔色を伺いすぎる


ここからは生い立ちを振り返る。

目立ちたがりな幼少時代

とにかく活発だったと思う。あんまり覚えていないけど。
劇とかは主役やりたい勢だった。

周りの目を気にしすぎな中高時代

中3くらいかな。おちゃらけた性格が一転、神経質で引っ込み思案な性格になったと思う。

わいわいやれるような性格ではなく、少人数で何かやったりする方が好きだった。友達も多い方ではなかったし、めちゃくちゃ親しい人がいるわけでもなかった。友達はいるが、修学旅行とかの班は誰となったらよいかわからなくなる感じ。

周りでヒソヒソやられるのがたまらなく嫌で、好きな人を聞かれたりすることや噂話が苦手だった。家族がそういう詮索をしていたことにも気がつき、次第に話しづらくなった。つかみどころのない人でいることに必死になった(でもわかりやすい人だったと思う)。

わりと一途なところがあり、その人を思ってか、告白されたりしてもすべて断ってしまった。「わかんないけどとりあえず付き合ってみる」的な感覚が全くなかった。

卒アルの写真を見返すと、この時代だけどことなく顔が引きつっているのがわかる。

ちなみにコナンが大好きになったのも高校生になってから。アニマックスで毎日やっているのを欠かさず録画して観ていた。「わからないことを論理的に明らかにする」的なことに憧れを持っていたんだろうと思う、答えを出すこと苦手だったし。

好きな科目は英語と世界史。

小中高続けた野球

家族とナゴヤドームに野球を観に行ったり、よく野球中継を見ていたから野球という存在は身近だった。小学校3年の頃から野球をやっていました。

続けられたのは今でも不思議。
やめるったって他に選択肢がなかったし、やめたら一緒にプレーした仲間と関係を続けられなくなるんじゃないかと怖かったってのもある。実際にそういう雰囲気は感じることがあった。

高校では勉強とか頑張ろうと思っていたが、自称進学校の文武両道を重んじる高校。部活は強制参加だった。ここでも選択肢のないぼくは、野球部に入った。

当時はまだ気づかなかったが、「どういうプレイヤーになりたいか」「どう練習すれば良いか」なんてあまり考えたことなくて、言われるがまま練習に参加していたと思う。だから練習は受動的だったし、いつも休みたいって思っていた。なぜやめなかったのか、友人は野球部がほとんどだったし、家族も応援してくれた、やめた後どうしたらいいのかわからなかった。

今思えば周りの目ばかり気にして、自分のことを大切にしていなかったなあって思う。

ここだけの話、野球は好きだったが野球に関わる人はあまり好きになれなかった。人のことを悪い感じにいう傾向を感じたし、コミュニケーションをいじりで確立することが多かった。自分の意見を述べることをあまりよしとせず、皆と一緒であることをよしとする(これはあくまで自分が抱いた感覚)。どこか野球部は上から的な雰囲気もあるし、かといって内弁慶で、こそこそ話したり行動する雰囲気を感じていた。でもメンバーは好きだった。

とか言いつつも、野球特有の間や駆け引き、采配なんかはすごく好きだし、実際にプレーすると楽しい。相手が手が出せないところに投げて三振を取ること、試合でいい当たりを飛ばすこと、どれも楽しかった。

野球観戦もすごく好きで、よく神宮球場に行っている。開幕を心待ち。

音楽にのめり込んだ大学時代

引退後、それなりに勉強に励み第一志望の国公立大学に合格。
今思えば、大学に行かせてくれた両親に感謝。私立だとなおさらしんどかっただろうから、親孝行できたと思う。

・知り合いがいない環境の方が、当時の自分はたのしめるのではないか
・いずれ独り立ちするだろうから18歳で一人暮らしする方がよいだろう

みたいなことを考えて家から出ることを決意した。

毎年3月になると地元を出る日の夜行バスを思い出す。駅に向かう車内、家族と別れるさみしさ、この先の不安がドッと押し寄せて車の後部座席で大泣きした。見送った家族もわんわん泣いて今生の別れのようなシーンだったと思う。それだけ家族と過ごすことが当たり前で、心地よかったんだと思う。
ちなみにその夜行バスで風邪を引き、一人暮らしスタート3日寝込んだ。

室内でできる何某に挑戦したいと思っていたさなか、同じ学部だったの子と一緒にビッグバンドジャズをやるサークルを見学。その日が入部会だったらしく、入部が決定してしまい、楽器がアルトサックスになってしまった。

「もっとできるようになりたい!」と自分なりに試行錯誤したのは初めて。自分ごとでさえも、どことなく他人事だった今までとはまるで別人で、かなり練習を頑張ったと思う。純粋に音楽が好きになった。

ちなみにいまはあんまり音楽やってないが、ジャズはかなり身近。よく聴く。

Steve Wilsonとかものすごく好きで、解説動画をみるために英語を勉強したのを覚えている。


音楽を通じて、なにか新しいことに取り組む楽しさを体感し、どの領域へも臆せずにチャレンジできる自信がついたと思う。


大学2年の時は、周りにいる人が幸せならそれでもいいと、北斗の拳のシュウみたいなことを考えていた。

ちなみに文系学部。学部をなーなーで決めてしまったことにものすごく後悔している。マーケか情報系をできることなら学び直したい。

でも授業とかゼミは楽しくてタメになった。

エンジニアとしてのキャリア

心から誇りに思えるようなものを作る立場でありたい
未知の領域も、ジャズの経験が後押しに

的なことを思って就職活動に励む。

県内最大のSIerに就職し、若手にしてはそれなりに活躍していたと思う。

教育制度が整っている
広く事業展開している
自己学習時間がきちんと取れる

ちなみに会社選びの軸はこんな感じ。エンジニアとしてやっていける土台がついたら転職しようと入社前から考えていた。

そして3年弱で転職。詳しくはこちらのブログにまとめています。

今は新聞・出版社などのWebメディアのコンサル的なことをやっている。自社のSaaS開発をやっていたり、技術的なコンサルやアドバイス的なことをやったりしている。このnoteをやってみようと思ったのもメディア業界に携わっているということが大きい

正直なところ、この業界は死の淵に瀕している。コンテンツ発信のリターンがなく、発信すれば発信するほど疲弊していく構造ができてしまっているからだ。不完全なマネタイズの仕組み、「タダで当然と思う」ユーザー、PV至上主義にとらわれた扇情的・モラルを欠いた記事など、乗り越えるべき壁がかなり多い。

小さいながらも、発信を続けることの意義や難しさなどを体感すべきだと感じ、noteを始めた。

これから

エンジニアも好きだし、美容に関することも好き。
海外の大学にも興味あるし、日本を離れて暮らしたいとも思っている。

将来は独立する(だろう)し、事業をやってみたいとも思っている。

仕事上のスキルを身につけることに注力したいが、それ以上に自分という存在のブランディング・マーケティングをしていきたい(多分その過程にスキル習得とかが存在する)。noteはそのチャレンジの一つと捉えています。

常に挑戦者であることを忘れずに生きたいという所存です。



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