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齋藤実内閣

私は斎藤実
犬養毅氏が五・一五事件で暗殺された。
「なんと。首相が暗殺されるとは、まさに国家の危機的事態」
元老の西園寺さんは考えた
<政党政治を続けることは陸軍が反対している。これ以上政党政治を続けることはムリだろう。とは言え誰か陸軍を抑えられるような人材がほしい。うむ。海軍だが穏健派の斎藤実くんがいいだろう>
そうして犬養さんの次に私が内閣を組閣することになった。
私の内閣は、政党、軍部、官僚などからいろんな人を寄せ集めた挙国一致内閣だった(挙国一致内閣→注参照)

ところで犬養君は満州国を承認しなかったがために、殺された
う~む。恐ろしいことだ
そこでわしは速攻で満州国を承認した
我が内閣は日満議定書を結び満州国を承認した。
もっとも、満州国が独立国なんて名前ばかり。実際は操り人形のように関東軍に支配されていたんだけどね(=傀儡国家)
ただ、世界の人々(国連)は満州国を国と認めてくれなかった。まあ当然と言えば当然よな。
その後、この件に関してあれこれ調べていたリットン調査団が調査の結論を出した。
「日本の軍事行動、あれは自衛とは言い難い」
「日本の満州にある権利は認めましょう。でも満州国の建国は承認できません」
それを受けて国連で総会が開かれたんだ。
日本からの全権は松岡洋右くんだった
さて、満州国は世界の人から承認されるのだろうか?
結果は42対1での不承認
「満州国は認められません」
「日本は満州から出て行ってください」
というもの。
反対の1票はもちろん日本だ。
そうして松岡くんは総会を退場してしまったんだ。


一方で中華民国と、「塘沽停戦協定(日中軍事停戦)」を結び満州事変を終わらせた。これで中華民国は満州地域を、中華民国から分離し新たな国となっていることを黙認するようになった。
それにしても、どんどん軍部、右翼の発言が強まっていく。
たとえば、こんなことがあった。
京大教授に滝川幸辰という人が書いた「刑法読本」。
これを見た一部の人が「これに不敬な部分がある」と怒ったんだ。
文部大臣の鳩山君(鳩山一郎)も、この本を発禁処分にし、滝川氏は辞任したんだ。
こうして思想や言論に対する弾圧もどんどん厳しくなっていく
日本共産党の幹部が共産党を捨てるなんてこともあった。まあ非合法政党だけどな
まあそんなところだ
わたしがその後、どうなったかって?
殺されるんだよ、岡田内閣の時に二・二六事件でな
                 おわり




(補足)
挙国一致内閣とは
私の内閣は、政党、軍部、官僚、いろいろな寄せ集めでできている挙国一致内閣だった。挙国一致って何かって?
PS 挙国の意味→「ひとつの目的のために国が一丸となってやっていこうぜ」というもの→ネットで見つけた記事ですが参考までに https://jahistory.com/saito-kyokoku/

昭和史(上)中村隆英。東洋経済 191Pより
(五・一五事件で犬養内閣つぶれる→西園寺は)結局、異常な政治状況を考えて、政党内閣をあきらめ、同時に右翼に近い平沼や陸軍軍人を排除して、海軍大将斎藤実を推薦した。斎藤は軍人出身の身ではあったが、英米との関係も深く、国際状況に理解も深く、この異常な状況の下で政局を安定させるのにふさわしいと思われたからである。齋藤実内閣は政友会、民政党両党からの入閣を要請し、官僚出身者をも閣内に取り入れて、いわゆる挙国一致内閣を作り上げた

(注)リットン調査団
(注:犬養毅氏のときに、中国が「満州の件、あれ日本が悪いですよね」と国連に訴えたことがあった。そうしてリットン調査団がいろいろ調べていた)

昭和史(上)中村隆英。東洋経済
リットン調査団の前にあわただしく満州国を作り上げた日本は、調査団を迎え、日本側に有利な説明を行ったが、調査団はもちろん、これを承認することなく、しかしながら日本の立場を考慮して、ある意味では玉虫色ともいえる報告書を提出した。
リットン報告の要点は、ワシントン体制に合致しない体制は認めがたいとしながらも、満州における日本の権益の存在を容認し、満州における自治が確保されることを勧告していた

(注:日万議定書はリットン調査団の調査報告書が公表される前に行われた。∴日満議定書→リットン調査団の順)

ネットで見つけた記事ですが添付
https://rekisiru.com/8469




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