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崖っぷちで生き抜く師走(2023年12月)

祝!一年の記事更新完走!

東京から今治への移住という人生でそうそう無い機会に、色々な生活の変化や思ったことを記録に残しておきたくなり、
「質はともかくとして、これはちゃんと書き続けよう」
と思って書きはじめて一年。

忙しさや気分の問題でエディタを開くのが月を越える直前になることもあったりもしたけれど、やり切った自分を褒めたい。

そして12月はしんどすぎて記憶が曖昧。


気づいたら忙しくなっていた12月初頭

書いたそのままの意味で、なんだか気づいたら仕事がたんまりと発生して忙しくなっていた。

忙しいなーと思っているうちに優先度がぐちゃぐちゃになり、正直うまいこと捌ききれずに迷惑をかけた部分もあり、真剣に自分の仕事の進め方や価値の発揮の仕方を考えた時期だった。

馬力やスピードで対応する部分なのか、しっかり向き合って高い品質を出す部分なのかは、自分が意思を持ってコントロールしなければならないことを痛感した。

良い意味で1月以降の仕事にもそれなりに影響していて、ここでの経験があって今は比較的まともに仕事ができる体制を作れてきている気がする。

扁桃炎、許すまじ

そんな(良くも悪くも)燃えるような状態の中で、12月中旬、かつてないほど重い扁桃炎にかかり、身動きが取れなくなる時期があった。

文字通り「三日三晩」、高熱が続き、喉はぷっくりと腫れ上がり、まともに動けなければ飲み食いすらできないという日々を過ごした。
結果、三日で体重が3.4kg減り、漫画で見るようなやつれぶりだった。

本当に辛かった。
で終わらず、ここから10日おきくらいに発熱と喉の腫れを繰り返し、しばらくこの体調不良に悩まされることになった。
(発熱に関しては、熱が出る度に検査をして毎回コロナでもインフルエンザでも無いことは確認した)

そして仕事はもちろん、家族にも迷惑をかけまくった。
妻、ごめん。

もう罹りたくないので扁桃腺の切除も検討しているが、入院も伴う可能性が高くなかなか適切な処置のタイミングを見出せずにいる今日この頃。
本当に勘弁してくれ。扁桃炎、許さんぞ。

帰省しながら怒涛の仕事納め

そんな落ち着かない時間が流れるままに月末を迎え、妻の実家へと帰省した。
(着いてすぐ発熱。幸い軽度、且つ近所のクリニックも空いており、なんとか無事に済んだ。)

もちろん、仕事が綺麗に納まるはずもなく、妻の実家で朝晩など時間を見つけてはPCに向き合う年末だった。

ただそういう自由度が高いのは、個人で仕事をしている利点でもあるなと感じたりもした。

ちなみに今回の年末年始は初めて自分の実家で年越しをしたので、年末も年末に妻の実家から自分の実家に移動したりもした。

移動に際しては長距離バス、新幹線、飛行機と、自分で運転する以外の移動手段を駆使した。
いつか船にも挑戦したい。

自我が芽生えはじめてからだと多分初めて新幹線を見た次男。目を見開いていた。
飛行機が並んで飛んでいた。何気に珍しい光景な気がする。

子供達との長距離移動もだいぶ楽になり、割と道中を楽しむ余裕があったのもよかった。

ついでに新幹線にiPadを忘れて、そのまま博多駅まで揺られていったのは年末の思い出としてメモしておく。
(しっかり拾得され、翌々日には滞在中の妻の実家まで届けてくれたのはさすが日本と言わざるを得なかった。あとAppleの「探す」機能のおかげで色々スムーズだったのでテクノロジー様様であった。)

あとは久々に山手線に乗った長男が嬉しそうだったり、自分の実家で子供と風呂に入った時に思いがけず感慨深くなったり、大晦日の駆け込みアンパンミュージアムでテンション爆上げの次男を見たりと、振り返るととても充実した年末だった。

山手線から見える景色に夢中の長男。
静かながらも興奮していることが伝わり、横で見ていて微笑ましかった。
君、一年前まで週二で乗ってたよ。

というわけで、一年分、毎月の振り返りが完了した。
また時間を空けてから見返すと、懐かしくなったりするのだろう。
自己満足だけど、後々貴重な記録になりそうな気はしている。

今年はもうちょっと違う方向性でアウトプットしていきたい。
特に「読まれること」を意識したコンテンツは、定期的に作っていきたいなと思っている。
あとできたら有料記事を書いてみたい。これは純粋にただやってみたいだけだけど。

今年も楽しく、健全に、健康的に頑張ろう、自分。

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