重要なのは味見である [小説 東の国⑧]

わし、長老。
この村で一番年長だから長老となっているが、この国ではありがたいことに長老の仕事はほとんどないんじゃ。
まあしいて言うなら、長老だから村人の事はほとんど知っている感じかの。
お国への書類だとかそういう仕事はこの国では組合…まあ、他国で言うギルドの組合長である村長が担うので、長老の仕事は何か起きた時の村人の安否確認ぐらいじゃな。
あ、そういえばこの村の場所を話してなかったわい。
今回はゲートを通って送ってもらったから、地理的な説明をした方が良いじゃろ?
一番特徴的なのは、この村はぽこ食堂があるから南寄りなのじゃが、そこの女将の事を話せばわかるじゃろ。
自分でタヌキと名乗っているが、あれは名前みたいなものでの。
本当は見てわかる通り、タヌキではなくクマの獣人の女将さんがやってる食堂じゃ。
最近は新顔で宅配もするカラスも加わったがの。

あれは、何年前かの。
えーっと、確かアライグマの所のせがれに息子が生まれてその次の年じゃったから…まあ、わしには最近じゃがおぬしにはかなり昔じゃな。
それで、その年はまだ先代の女将が食堂を切り盛りしておったな。
先代はわしと同じ本当のタヌキの獣人じゃった。
そしてその先代が、なにやら街道から少し離れた竹林でタヌキの赤子を拾ってきたと言っていてな。
赤子という割にはずいぶん大きなおくるみを抱えながら、この村の医者に見せに来たんじゃ。
その時の医者がわしの幼なじみの馬の獣人のあいつでな。
昔はあれでも名医じゃったんじゃよ。
今は娘が病院を仕切っているからイメージは難しいかもしれんがな。
本人は毎日将棋指しとるだけじゃし。
それで、とりあえず外にずっといただろうということで見たらクマじゃったということじゃ。
ちなみに、健康そのものだったというのはあとから聞いたかの。
うちの村では有名な話じゃよ。

それで、その先代の女将は国に迷子だという届は出したものの、親が現れるまでの間は自分が育てると言ってな。
本当の親が現れる事もなかったので、そのまま引き取り育て上げたというわけじゃ。
あんなに大きな背中になって立派じゃろ?
そして先代から店を託された時に、急に何を思ったか自分はタヌキだと言い始めての。
まあ、わしも事情は知っておるし幼い時からタヌキ連合にも顔を出しておったから、その時のタヌキ達はみんなあの子に甘くてのぉ。
うん、特例を出しちゃった♪
いやいや、いいじゃろ。わしだって今の流行に乗って言ってみたい時だってあるんじゃ。何でそこでちょっと距離を取るんじゃ!
ゴホン…えーっと、なんじゃったかの?あ、うそうそ。覚えておる覚えておる!
なのでさっきの話からわかる通り、あの子もタヌキ連合の一員を名乗っておるのじゃ。
その前にタヌキ連合がわからない?
まあ、タヌキの獣人ならば入会が可能な相互互助会じゃよ。商人同士のな。
例えば、新しく店を出すけども懐具合がどうにも難しい時にタヌキ連合に入っていたならば、そこのタヌキ連合で相談して古道具屋を紹介してもらったり、逆に店をたたみたいときに事前にタヌキ連合に話しておいて、専門道具を同業者に売ったりなんてことの出来る、商人同士の助け合いができる仕組みじゃよ。

それで手に入れたんじゃろうなあ、あの大きな寸胴鍋?いや、多分あれ釜じゃな。わしが30人ぐらいは入れる風呂みたいな釜。
たぶんタヌキ連合で手に入れたんだと思うんじゃよ。今まで見たこと無いしの。
ほれ、あそこの食堂の庭の真ん中でその大きな釜にしゃもじを突っ込んでかき混ぜているのがおるじゃろう?
あれがさっきから話しているクマの獣人の女将じゃよ。
割烹着を着ているし、三角巾もしているから分かりづらいかもしれんがのお。
うん?普段からクマの恰好なのかって?
いやいや、普段は動きやすいとの理由で人型にはなっておる。かなり大きいが。
たぶん、あの身の丈ほどもあるしゃもじでかき回すのに体力がいるから今はクマの恰好なのじゃろ。
あの工程じゃと、水を入れる段階になったらもっと重くなるはずじゃしな。

それで、本題じゃったな。
あの女将が何で「おばちゃん」と呼ばれるのをあんなに強く望んでいるのかという話じゃが、それにはあの子達が関係しておる。
今、鍋の周りをウロチョロして女将に怒られてるあの子ダヌキ3兄弟じゃな。火の近くは危ないからの。
なに、そんなに重大な話でも深刻な話でもない。
前にあの店で食事をしたときにあの子らが「クマの女将さん」と言ってしまったらしいんじゃ。
確かにクマの女将さんであっておるし間違いではないが、あの子にしてはショックじゃったんじゃろうな。
距離がある感じもして嫌だったとも話していたからか、親しみのわくような呼ばれ方をしたいとタヌキ連合の集会の時に相談しての。
そこで、一つの案として出されたのが「おばちゃん」呼びじゃったというわけじゃ。
それからかの、あの子がおばちゃんと呼ばれるのを好むようになったのは。

というか、おぬし先ほどから話を聞かせてくれと言った割にメモを取る手も止まっておるしあの鍋の方ばかり向いておるのお。
あんな大きな鍋でカレーを作ればここまで匂いがするのも仕方がないし気になるのもわかるが、もう少しわしの話も聞いておくれ。
それにあれはもう少ししないと食べられないんじゃよ?
うん?食堂のお昼営業の時間はもう始まっているのになんでもう少しかかるのかって?
それはの、今日は村のみんなであの食堂が先代の時と合わせて何十周年かの節目を迎えた記念に、この村のカレーを作ろうと各自それぞれが材料を持ち寄る事になっておるんじゃ。正確な年数は…忘れたのお。
と、とにかく、これはあの子がぽこ食堂を継いだ時にこの村のみんなで決めた記念の《ぽこ食堂のみんなのカレー》なのじゃよ。それは確かじゃ!

じゃから、今日はあの食堂に行ってもカレーしか食べられないぞ?
そして最後の材料を持ってくる人物が、まだこの村唯一の出入口であるこの門にたどり着いてないからもう少しかかると言っておるんじゃ。
お!あの遠くから歩いてくるタヌキがわかるかの?
あれは、カレーに合う漬物の入った壺を持ったぽこ食堂先代の女将じゃよ。
店を譲って世界を旅しても、食に対する記憶だけは相変わらずしっかり覚えておる様じゃな。日付もバッチリあっておる。

それで、わしは何を持っていくのかって?
わしは大事なスプーンを持っていくんじゃよ。
いやいや、スプーンを食べるんじゃなくて最初の味見をするんじゃよ。あ・じ・み!重要な事じゃぞ?
それに、おぬしは今日初めて《ぽこ食堂のみんなのカレー》の事を聞いたから材料も何も持ってないじゃろ?わしが話しておいてやるから安心せい。
この村の初めての異世界からの移住者じゃ、心から歓迎するぞ。
なに、おぬしの事は皆知っておる。前に来ていた物干し竿のさらりぃまんじゃろ?
先日の騒ぎの後、中央の国での手続きが終わったのが今日で本当に良かったのお。
なんでそこまで知ってるかって?だってわしこの村の長老じゃしな。