母親と何気ない会話

母親との何気ない会話が僕にとってまるで夢の中にいるかのような不思議な感覚がした。

事情があって総合病院に入院した母親だったが、面会する度に僕を見ると嬉しそうにしていた。どうやら総合病院の食事が美味しいということ。
献立を見ると「豚しゃぶうどん」という変わったメニューがあった。病院食とは思えない。お金のある病院はご飯が美味しいことを思い知ってしまった。それもあってか入院中であっても機嫌が良かった。


そして他の病院へ転院することになった。転院の手続きは大変で大量の書類が渡された。その後にようやくお迎えが来た。

そして介護タクシーの車中の何気ない会話だった。

母親「この辺も変わったねぇ。なにがなにやらわからない」
僕「うん。めっちゃ変わったよ」
母親「ここのスーパーは新しくできたとこかな?」
僕「いや、前からあったよ」
母親「そうやったっけ?覚えてないわ」
僕「久々やもんね」

数分後

母親「あたしも頑張って歩けるようになったら琵琶湖一周したいなぁ」
僕「いや、無理やろ」
母親「そうかな?でも夏暑いよね?」
僕「めっちゃ暑いよ!冬はめっちゃ雪積もるし」
母親「この辺は雪は積もれへんでしょ?」
僕「そうやね。でも滋賀県の方はめっちゃ積もるときは積もる」

母親はなぜか昔の事はよく覚えている。風景を見る度に「懐かしい」と言っていた。鮮やかとは言えないが母親との思い出が少し蘇った。
変わりゆく街並み、それでも決して変わらないものがある。
僕は不思議な感覚がしてまるで夢の中にいるような気分で自然と涙を浮かべた。


実は母親が脳出血で倒れてから8年ほど経つ。重い後遺症が残ったが、母親の懸命なリハビリによって意識が回復したどころか車椅子自走までできるようになった。そしてよく喋る。簡単なニュースや世間話までできるようになった。しかし、左半身の麻痺は治らない。それでも硬直していない。


転院先の病院へ着くと、そこには介護施設のスタッフの方々から出迎えてくれた。いつも家族のように接してくれてどこか「実家のような安心感」があった。「元気そうでなにより」と。

転移先の担当医から説明を受けることになり、現実を突きつけられた。「もう自宅には帰られないよ」と。けれど、担当医のキレのある話術で笑いが絶えなかった。いくらなんでも説明が雑すぎるやろ。


そして僕の不甲斐なさと不器用さ、劣等感と焦燥感が重くのしかかる。
「こんな頼りない娘でごめんね」
でも、何があっても元気に生きてやるからな!