見出し画像

6月に入っていた

なんだかんだと調整が続き、気がつくともう5月は終わり6月に入っていた。去年までならば、まだ5月なのに暑い、とか春が短くなった、なんて言っていればよかったが今年は奇跡的にというか言い訳できないくらいに春がちゃんとそこにはあった。とにかく気持ちいい5月の陽気が6月になってもまだずっと続いている。もちろん寒い日だってあったし、雨が続く日々もあったことは事実だ。とはいえ都内でフランス語の授業の合間に、学校の前のマロニエ通りを散歩して、新緑が薄皮を剥ぐように少しずつ濃くなっていく5月という季節の空気感をグラデーションの変化を眺めて過ごせたことは大きな収穫だと感じている。

集中コースをとって都内へ週に3回通わなければ気が付かなかっただろう。授業が週に5回だったとしたら逆に多すぎて気が付かなかっただろうとも思う。こんなふうに日常と非日常の狭間に変化の葉っぱは舞っていて、その場で立ち止まり眺めた人だけがその一葉を手のひらに載せることができる。そこにしかない一瞬の変化をたまたま手にすら。1年の間に起こる変化からするとここ数日の変化なんてほんの一瞬の出来事かもしれない。

4月と5月で大きく異なるのはとにかく伸びることだけ考えていた葉っぱが取捨選択をし始めるということだ。すでに枯れている葉もあるが、ここが居場所だと決めてしっかりと枝を伸ばしている枝もある。そこには意思のようなものを感じる。

お昼ご飯にジャガイモでパスタを作りコーヒーを飲む。余ったコーヒーをポットに入れて午後のフランス語のクラスに行く。このところ午前中に駐車場でアルバイトしていたからこんなにゆっくりした後に出かけるのは久しぶりだった。とはいえ朝5時前に起きて教科書の復習をしたり、不規則動詞の格変化をまとめたたから午前中は作業を普通にこなした。そして先月から手をつけずにいた誤差論のレポートの模範回答に手をつけて、半分くらい終わらせた。残りの証明問題を明日仕上げたら区切りがつく。

大学の非常勤講師というのは授業以外の業務が意外とある。レポートを採点したり、講義の準備をしたりするのに加えて、学生さんの質問に答えたりする。聞かれて答えるのは楽しいし、答えられない問題なんて実際のところはないのだけどなんとなく仕事が常に終わらずに存在している感覚は研究所の仕事と似ている。頭の片隅に書類を書いてある感じだ。書きかけの論文とも似ているかもしれない。

学生実験というのはいくつかの決まったテーマを順番に実習するのを教えて習得すべきスキルを学ぶサポートをする業務だ。彼らに効果的に実験をしてもらったり、解析で学習効果をあげるにはどうすればいいか考えて組み立てる必要があるのでかなり工夫の余地がある。参加から実際に実験が始まり、ここ数週間試してみてだんだん整理されてきた。あと何回か教えたらこの講座の概要は把握できるだろうし、その後は新しい案件はないだろう。受講する学生さんが班によって入れ替わるから人間観察という意味では面白い。この大学生初年度の基礎実験は理系人生においてはかなり重要で、この後彼らが人生という船旅で何をするにせよ、世界の観察と実験の考え方は役に立つことになる。と信じている。何故こんな重要な科目を外注に出しているのか疑問だが、まぁいいことにする。手がかかるからというのが回答かもしれないし、他に答えがあるかもしれない。これまでの人生でいろんな仕事を試したけど、大学で教えることになるとは全く予想していなかった。教えること自体が結構面白い。学校作ってもいいとも思う。結局のところ学びと教えというのがこの後の人生のテーマなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?