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それはそれで無数に枝が広がってしまうんですけどね。

あけましておめでとうございます。

正月が明けて、日常を過ごしております。例年よりもゆったりとした1月を過ごしている気がしています。

ゆったりと起きて、ゆったりとお風呂に入って、ゆったりとご飯を食べて。

ゆったりと時間を過ごしている時に自分の脳みそに気づいたことがあります。

頭の中は…

常に「何かを考えている」これはみんなそうなんでしょうか?

昨日見た映画の感想や細かい細部のことまで思考したり。昨日お客さんと話した内容を思い返して「やっぱりあの人は賢いな」「あの話はこれに繋がるのじゃないか?」と自分の中で、またぐるぐると思考を続けているのです。

ずーっと、ずーっと。

考えてみたら昔からそうです。

電車に乗っていても、道を歩いていても。

ずーっとずーっと。

空が青いことを考えたり。電車に乗っている人々を観察しては「きっとこの人たちは部活帰り。サッカー部かな?野球部かな?」「おー7人席に全員女性が座ってる。しかもみんな揃いも揃ってスマホをみている。コンプリート!」「あの人はきっと年明けに髪切ったんだろうな」なんてこともずっと考えている。1時間先のことも考えてるし、明日のことも考えている。一ヶ月先のことも考えてるし。過去のことも考えている。

過去のことなんかは脳内で映像(情景)で思い返してしまうから、その時の感情や記憶も鮮明に思い出したりして、それについてまた考えてしまうことだってある。

ボーーっと脱力したいって常々思っているんだけど。

何もすることがない時間だってこんなふうに頭の中がぐるぐる何かを考えているんだから。

本当に何も考えずぼーっとできる時間ていうのは、少なくて貴重なんだと気づいてしまったんです。

そんな貴重な時間っていつなんでしょうね。

そうやって考えたって答えがわからないことも今こうやって考えています。

そういえば、お客様と興味深いことをお話ししたんです。

「言葉の信憑性」について

言葉って便利ではあるけれど、そこには真実味を感じないというのです。

人には感じ方の違いが間違いなくあって

例えば、

Aさん「いやーこんなにお仕事されて儲かってますね!」

Bさん「そんなことないですよ」

この言葉の交わしをみても、仕事量が多いことが儲かることなのか?それに対する対価がきっと多いだろうということなのか?儲かる基準ていうのは…?

そんなことないです。っていう言葉も謙遜の意味もあるが真実ではあるのか?本当はもうかっているのか?それともどちらともいえないのか??そもそも儲かっているの基準とは…?

そもそも、投げられた言葉事態の意図していることへの推測が何通りもあり、それに対する明確な答えっていうのはなかなか難しく、やはり濁すということ。

でもここでは真実というのは求めてないことが多くて、言葉を使って相手の気持ちを理解しようとしたり、それぞれの感じ方で相手との天秤の水平を保つための手段だったりして。

言葉を紐解くと無駄な会話に感じるが、ただその人と人が何かを感じて共有するための会話の一部に過ぎないのかな?なんて思ったりもして…

本音と建前ですね。

建前は決して嘘ではなくて「まぁそうゆう道筋です」っていう表し方をしますよね。

お客さんに「言葉の信憑性って難しいですよね」と問われて。そのアプローチは面白いな…って思いながら、答えの見えないトークをしておりました😂

それを思い出してはまた考えて…ここに書き出してるわけなんですけどね😅

考えれば考えるほど無数に枝が広がっていってしまって…

原点を見失いそうにはなりますけど、なんだか面白いですね

結局、言葉というのは人との繋がるためのツールであって、使い方は色々で真実味っていうのは常に持ってなくてもいいような。

っていうことをまた今日も今日とてぐるぐると考えているそんな私でした。


今年こそはいい年になるといいですね!
会いたい、行きたい、やりたいが実現できる年にしましょう。もう恋焦がれ過ぎてカラカラです😅


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